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INTERVIEW

Japanese

Shout it Out

2015年12月号掲載

Shout it Out

Member:山内 彰馬(Vo/Gt) 露口 仁也(Gt) 新山 大河(Ba) 細川 千弘(Dr)

2008年に産声を上げた10代限定夏フェス"閃光ライオット"が装いを新たに2015年から"未確認フェスティバル"として始動。その初代グランプリに選ばれたのがこのShout it Outだ。大阪府堺市を拠点に活動する1996年生まれの19歳。Eggsプロジェクトから立ち上がった新レーベル"Eggs"第1弾アーティストとしてTOWER RECORDS限定でリリースされる初の流通盤『Teenage』は、タイトル通り若さをダイレクトに音楽に落とし込んだ、非常にフレッシュな作品だ。"未確認フェスティバル"グランプリの賞金100万円でフリー・ライヴを行うという熱いハートを持った彼らに直撃した。

-高校入学直後の2012年4月に軽音楽部で山内さんと露口さんと新山さんが出会い、新山さんが山内さんにお声を掛けたことでShout it Outを結成したんですよね。

新山:僕ら(新山&露口)は中学2年生くらいから、それぞれが今やっている楽器を始めて高校に入学して軽音楽部に入りました。で、学校の仲間とカラオケに行ったときに山内がRADWIMPSの「ふたりごと」(2006年リリースのシングル)を歌っていて、そのときに"あ、ヴォーカルでええやつおるやん!"と思って。それがきっかけで次の日学校に行ったときから猛アピールをして(笑)。

山内:新山が休み時間のたびに僕のクラスに来て"バンド組もう""ヴォーカルとして入ってくれ"と......(笑)。僕は当時すごく人前が苦手で。ヴォーカルをするということは文化祭とかでも人前に立つということなので、ずっと断り続けてたんですけど、本当に毎日毎日休み時間に来るもんだから......"もしかしたらこれはやってみてもいいのかもしれない"と思い始めて。

新山:落としました(笑)。

-(笑)そして当時のドラマーさんを入れた4人でバンド結成。そのときはコピーを?

山内:そうですね。僕らは堺のバンドなんですけど当時KANA-BOONがぎりぎり堺のライヴハウスに出ていた時期だったので観に行ってて。だからその当時はKANA-BOONのコピーをやっていました。それで高1の秋くらいからオリジナルをやり始めて。オリジナルを作る経験はまったくなかったのでゼロからのスタートでした。

露口:"こんな感じでいいんちゃうん?"って探り探りパソコンで作曲を始めて(笑)。中学時代はGREEN DAYやBUMP OF CHICKENを聴いたりしてたので、それは結構影響があるんじゃないかなと思います。作ったデモをメンバーにデータで送って、それからバンドでアレンジをしてます。

-そして高校2年生の4月に初自主企画ライヴを開催。この年からデモCDを作り始めて、"閃光ライオット"にも応募を始めていますよね。

山内:自主企画に地元の同い年の高校生がいっぱいきてくれたりもしたので、その当時は正直調子に乗っておりまして......(笑)。それで"ちょっと腕試しで出てみるか"と"閃光ライオット"に応募して、2次審査で落とされて伸びた鼻がへし折られまして。それで"地道に頑張ろう、来年は決勝に出よう!"と。

新山:僕は小学校の高学年からラジオ番組の"SCHOOL OF LOCK!"を聴いていて、そこで"閃光ライオット"のことも知ってて。バンドをやりたいなと思ったきっかけがそこなんです。だから応募したいなという想いはずっとありました。

-近い世代のバンドが憧れの対象だったんですね。そしてその翌年2014年には大阪のサーキット・フェス"見放題"に出演が決定。高校3年生で見放題に出られるとは、なかなかない経験です。

新山:その前の年までチケット買って遊びに行ってました(笑)。だからそういうイベントに自分たちが出るという実感のなさがすごくて。

山内:誘われたときはすっごくびっくりしたし......嬉しかったですね。会場は違うとはいえ、出演バンドにはチケットを買ってライヴに遊びに行ってたバンドの名前がズラッと並んでて......その当時くらいから全員が"こういう人たちと肩を並べられるくらいに頑張ろう"という意識でバンドをやるようになりました。

-最近は"未確認フェスティバル"を筆頭に若いアーティストを発掘するコンテストが盛んでチャンスも多いですが、みなさんにとってこういうイベントはどういう存在ですか?

山内:やっぱりすごく大きいです。自分たちがそこをキッカケにいろんな人に知ってもらえるのはもちろんなんですけど、コンテストに出場することによってちゃんとした目標ができるじゃないですか。それは自分たちの原動力にもなるんですよね。

新山:"いついつにこれがあるから、それまでにあれを克服しよう"と逆算しながらスケジュールを立てていたので。頑張る目標になってましたね。ずっと。そうするとすべてが前向きに進んでいくので。

-なるほど。そして高校卒業後に大阪以外での活動も本格化。そして10代最後の今年、ラスト・チャンスとなった"未確認フェスティバル"のグランプリを獲得。閃光ライオット時代から考えると三度目の正直ですね。

山内:やっとですね(笑)。敗北を2回も越えてきているし、僕らは19歳の年だからラストだったので"決勝に行きたい""グランプリを獲りたい"という気持ちが他のバンドの比じゃないと言い切れるくらいあって。今回のアルバムにも入っている「光の唄」(Track.1)は高校生のときにデモCDで出した、すごく大事にしている曲なんですけど。本当は2014年にこの曲を決勝ステージで歌いたかったんです。でもそれが叶わなくて。でも今年"未確認フェスティバル"で決勝ステージに立って、その気持ちを伝えたうえで最後にこの曲を演奏することができて......グランプリまで獲ることができて。

新山:それでグランプリを獲ることができて本当に嬉しくて。それから生活は激変ですね......。初めてのいい経験ばっかりさせてもらってて。

山内:今回のミニ・アルバム『Teenage』をリリースすることももちろんですし、いろんな人が注目してくれるようになったのがすごく大きいですね。"イナズマロック フェス 2015"にも出演して、初めて野外で演奏をしたんです。やるまではドキドキで......でもいざステージに立ってみたら琵琶湖も見えるし音がどこまでも遠くに放たれている感じがして、すっごく気持ちよくて。おまけにたくさんの人たちが観に来てくれて。いい経験になりました。ずっと野外でやってみたかったんです。