Skream! | 邦楽ロック・洋楽ロック ポータルサイト

MENU

INTERVIEW

Japanese

藤巻亮太

2019年09月号掲載

藤巻亮太

Interviewer:秦 理絵

藤巻亮太がオーガナイザーを務める、野外音楽フェス"Mt. FUJIMAKI 2019"が9月29日に山梨県 山中湖交流プラザ きららにて今年も開催される。富士山の裾野に広がる豊かな自然とフルーツ王国 山梨が誇る食文化の魅力を堪能しながら、何よりも藤巻自身がリスペクトを寄せる豪華ミュージシャンが奏でる音楽を楽しむことできる"五感を刺激するフェス"として大きな一歩を踏み出した"Mt. FUJIMAKI"。今年は、トータス松本(ウルフルズ)、曽我部恵一(サニーデイ・サービス)らを迎えて、昨年以上にパワーアップした姿を見せたいと意気込む藤巻に、フェスに込めた想いを語ってもらいつつ、"Mt. FUJIMAKI"の存在が、ミュージシャン=藤巻亮太に与える影響を掘り下げた。

-"Mt. FUJIMAKI"は去年初開催でしたが、意味合いとしては"富士山の世界文化遺産登録5周年を記念して"というかたちでしたね。

始まりはそうですね。共同開催したのが山中湖村だったんですよ。山中湖村は富士山の裾野だから、富士山の世界文化遺産登録5周年で何かやりたいっていう思いと、僕自身も地元で何かやりたいって思いがあって合致したんです。

-藤巻さんの中で芽生えていた"地元で何かやりたい"っていうのは、どういうことだったんですか?

僕は山梨県で高校まで育ったんですけど、本当に田舎だったんです。その四季の風景が自分の中に染みついてたんですね。小中高で培ってきた人間関係もあるし、山梨が僕の歌の基盤になってる。っていうのもありつつ、"Mt. FUJIMAKI"の1回目のきっかけのひとつとして、実家の近くの公民館を借りて曲作りをしたことがあったんです。その公民館っていうのは、小っちゃいころに缶蹴りとか鬼ごっこをして遊んでた場所なんですけど、田舎なので、自治会長さんのような人にお願いをしたら、借りられて(笑)。そこに機材を持ち込んで曲作りをしていた時期がありました。

-いつごろのことですか?

2016年ぐらいかな。甲府盆地を一望できるような場所なんですけど、これが自分の原風景で、変わらずにあるものだと思ったときに、「北極星」っていう曲ができて、そこから『北極星』(2017年リリース)っていうアルバムができたんです。それが、僕が地元と向き合うきっかけになったんですよね。それで、ここまで音楽を続けてこられたことに対して、おこがましいんですけど、恩返しの一環として地元に還元できるアクションがあればいいなと思ったんです。そのためには、やっぱりミュージシャンだから、音楽フェスというか。人と人が出会う場所を提供することで、いろいろなものを持って帰れる場所ができたらいいなと思ったのが、"Mt. FUJIMAKI"ですね。

-なるほど。

で、"Mt. FUJIMAKI"にはテーマがふたつあって。山梨って、わりと東京が近いから、ミュージシャンの観点からすると、ライヴを切りづらい場所なんですよ。全国ツアーを開催してもエアポケット化する。ライヴを切ってもらいづらい県っていうリアリティもあるから、そういう山梨県の人たちに、近くで音楽を聴いてもらえる場所を作ろうと思ったんです。

-もうひとつのテーマというのは?

これは僕自身も勉強していく必要があるんですけど、山梨の魅力を、山梨県外の方に伝えていくっていうことですね。そのうえで、当日、会場に来てくれた方には、山梨の方、県外の方、関係なくいい音楽を楽しんでもらうっていうことを目指してるんです。

-もともと藤巻さんって、バンド(レミオロメン)時代にも山梨で凱旋ライヴをやったり、山梨でミュージック・ビデオを撮影したり、地元を大切するイメージはありましたよね。

あぁ、そうかもしれないですね。とくに初期は歌詞の中に風景描写が多いんです。その景色って、東京に住んでいながらも、山梨の景色を歌ってたような気がするんですよ。「北極星」でも歌ってるけど、変わっていくのが世の中の常だと思うんです。年齢も環境もそうですし、変わっていくことが正解なんですけど、それでも変わらずにあるものが、そこで過ごした時間の中にある。だから、その場所で自分自身と向き合ったり、自分の座標を確認したりすることは、20代のころからやってたような気がしますね。

-ちなみに藤巻さんから見て、山梨の魅力はなんだと思いますか?

月並みですけど、まず自然ですね。特に富士五湖周辺は、すごく自然が残ってる場所なんです。僕が生まれた甲府盆地のほうも景色がきれいだし、そういう自然の匂いも楽しんでもらいたいです。あとはフルーツが美味しいところとか、勝沼ワインとか地ビールもありますし。そういうところを口で味わってもらう。そこで流れる音楽を都会とは違う新鮮な気持ちで味わっていただきたいです。五感で楽しんでもらいたいですね。

-なるほど。去年初めて開催してみて、強く感じたことはなんでしたか?

まずフェスっていうのは、ひとりの力ではできないものなので、手伝ってくださった方への感謝が大きかったです。あと嬉しかったのは、お客さんが楽しんでくれたことですよね。尊敬するミュージシャンのみなさんが"気持ちいいね"って言いながら伸び伸びと歌ってくださったことで、お客さんとの間にいい循環が生まれたことが、オーガナイザーとしては何より嬉しかったです。

-去年出演したアーティストは、本当に藤巻さんがリスペクトする方たちでしたもんね。宮沢和史さん、TRICERATOPSの和田 唱さん、フジファブリックの山内総一郎さん、FLYING KIDSの浜崎貴司さんとASIAN KUNG-FU GENERATIONっていう。

アジカンはバンド・セットでしたけど、他のみなさんはMt. FUJIMAKIバンドの中で歌ってくださって、そこで一緒に演奏したことは、自分自身もミュージシャンとして学ぶことがたくさんありましたね。同じミュージシャン、歌い手、クリエイター......アーティストと呼ばれる人たちに対するリスペクトが大きくなったというか。

-もともとお声かけした時点でリスペクトはあったと思いますけど、それ以上に?

一緒に音を奏でたら、やっぱり違うんですよ。それぞれのミュージシャンが持っている音楽の魅力と、才能と、情熱と、いろいろなものから影響を受けました。

-去年は藤巻さんの音楽人生に大きな影響を与えたアーティストが揃いましたからね。

1年目は本当にそうでしたね。最初にお声掛けさせていただいたのは、地元の大先輩の宮沢和史さんだったんですよ。「島唄」のイメージで沖縄の方だと思われてるんですけど(笑)、山梨の方なんです。どうしても1年目は宮沢さんに出ていただきたくて、直接お電話をして。

-藤巻さんご自身で?

はい、緊張しました。宮沢さんも地元でいろいろな活動をされてて、富士川の清掃活動をやってるんですよ。で、たまたまその日は、午前中に富士川の清掃ウォーキングがあって山梨にいるから、出てもいいよって言ってくれたんです。

-じゃあ、当日はウォーキングしてから会場入り?

"ちょっと疲れたよ"って言いながら来てくれました(笑)。

-あははは、素敵ですね。

で、最後は「島唄」を歌ってくださったんですけど、そのときに富士山の向こうから太陽が差し込んで。本当に持ってらっしゃるなっていう。その時間だけのために、エイサー隊の方を呼んでくさだって、一緒に太鼓と舞いをやりながら演奏してくれたのは、涙が出るぐらい感動しました。あれは忘れられないですね。