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INTERVIEW

Japanese

Ran

2020年02月号掲載

Ran

Interviewer:石角 友香

涼やかさの中に1本芯のある歌声で届けられる歌には、これで生きていくんだという決意もあれば、自分のままで変化してきたいと試行錯誤する姿もある。だが、いずれにしても"久々に自分の言語表現を持ったシンガー・ソングライターが現れた"という印象は変わらない。今年の夏、二十歳を迎える、まさに2010年代の後半に音楽や文学の影響を受けて育ってきたRanのフレッシュでいて普遍的な感性。それが飾らないシンプルな仕上がりで2月21日に配信リリースされる「蘇生」、「環」、そして「ご飯の食べ方」の3曲にも表れている。ここに至る彼女の、言葉を書き歌うことのプロセスを訊いた。

-まず音楽を始めることになったきっかけをお聞きするんですが、そもそもは歌を歌うのが好きだった?

そうですね。小学生のときから歌うことがずっと好きで。で、あるときに、阿部真央さんとかいろんなシンガー・ソングライターの方の音楽を、友達の影響とかもありながら聴くようになったんです。まだ作詞作曲の能力とかはまったくないけど、ヴォーカル・スクールに通って、いずれはそうやって曲を作ったりできたらいいなと思って、歌を歌い始めました。

-Ranさんの周りでは、もちろん邦ロックも流行ってたかもしれないけど、アイドルとかK-POPも?

そっちも好きでした。特に女の子のアイドルは今でも好きで。

-その頃はプロになるつもりで?

その頃から、自分で曲を書いてってことはなく、歌を歌う人になりたいとは思っていました。E-girlsのヴォーカルの鷲尾伶菜さんという方がすごく好きで、憧れていた部分もあって、それこそまだ曲とか作ってない頃はあの方の歌を歌ったりして。心のどこかで諦めきれないものというか、"私は(プロに)なるんだろうな"みたいなものがあったんですよね(笑)。

-それが徐々に今に繋がる方向に進んでいったのは、やっぱり自分でも歌詞を書いたり曲を作ったりしたくなったから?

そうですね。私、言葉がすごく好きで、本を読むことが好きなんです。本を読むことを糧にして、詞を作るってなったときに、本の読み方もすごく変わって。それに伴って自分の言葉の軽率さって言うんですかね? 軽さが滑稽に見えてくるとか、そういう心の変化はすごくあった気がします。

-Ranさんにとって言葉を書く人で大きな存在は?

村上春樹さんと島本理生さん、そのふたりが書くものがすごく好きですね。

-彼らと出会う機会は、その頃の新作ですか?

高校生の頃は学校の図書館に行って本を読んでいて。最初は......何が新作なのかとかわからずに、とにかく読んでたんですよね。読むんですけど、ちょっとしたら記憶がなくなっていくんですよ。だからこないだ読んだ本も題名も思い出せないぐらいで、本という部類としか自分の中で捉えてないのかなっていうのはあります。

-印象に残った言葉とかは書き留めたりするんですか?

全然、書き留めたりはしないです。それを読んで自分の中で作られる世界というか、そういうのに身をまかせて生まれてきた言葉が、作っていても歌っていても一番心地いいところだと思っていて。

-10代半ばになってくると自分が思ってることと、使う言葉に距離を感じたりし始めるから、思ってることを歌詞にするのが楽しかった?

そっちのほうが楽しかったです。小学生の頃とかは活発だったんですけど、だんだん人見知りというか、人と関わることが苦手になってきちゃって。なんだろう? 人と話すことも億劫になって、どこかで"どうせ伝わんないしな"とか思ったりしていたんです。そういうときにいつも歌詞を書いたりしますかね。

-グループ活動とか無理、みたいな?

まさにそんな感じですね(笑)。小学生ぐらいの頃は団体行動してたんですけど、曲を作り出して、っていうのが一番大きかったかもしれないです。

-中学生のときからスマホとかありました?

ありました。

-めんどくさかったですか? LINEグループとか。

いやー、めちゃくちゃでしたよ。なんか学年のグループみたいなのとか、クラスとか、100人単位のグループがあって。

-参加してもしなくてもわかんないのでは(笑)。

そうそう、わかんないです(笑)。でも、それでも中学生頃の女の子って、"え、○○ちゃん、何々に入ってないよね"って、それこそ今でいうマウントの取り合いっていうか、そういうのがあったり、みんながいるところで特定の子の悪口を言ったりとか。その子もそのLINEグループにいるんですよ? その中で言ったりすることがあって。ひどいなと思いました。

-抜けるわけにもいかない?

言ってしまえば自分がその標的になったときに、そばにいてくれるような子がいたんですよね。その子たちとはそれこそ6年前に出会って、今でも仲良くしてるんで、そういう子たちだけは置いといて、ちょっと嫌味ったらしい女の子たちの中からは一瞬で抜けました(笑)。

-その中でも自分で音楽を作ることで自分でいられるみたいな感覚があったんですか?

生まれてくる言葉を最初はもう箇条書きみたいにダーって書いて、そこからメロディをつけて曲として作るってことが、そのときのお守りというか。そういうことをする行為がなんか安心するというか、そういうものだった気がします。

-じゃあ、高校時代は学校での活動というよりは?

仲のいい友達もいたんですけど、ひとりでいることが多かった気がします。

-ヴォーカル・レッスンを受けながら路上ライヴも並行していて、その頃はオリジナルも歌ってたんですか?

路上ライヴを始めたのは、曲を作り出してしばらく経ってからで。そのときはなんか自分の作ったものに全然自信を持てなくて、ずっとカバーばっかりやってましたね。で、たまにオリジナルを混ぜたりして。

-たしかに人の歌なら完成されてるから。

やっぱりそのときに流行ってる曲とかをやると足を止めて聴いてくれる方も多いので、それをいいように捉えて歌ってました。