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INTERVIEW

Japanese

伊津創汰

2021年02月号掲載

伊津創汰

Eggsプロジェクト

Official Site

伊津創汰

インタビュアー:山口 智男

"マイナビ未確認フェスティバル2019"で3,101組の中からファイナリストに選ばれた現在20歳のシンガー・ソングライター、伊津創汰が1stアルバム『DREAMERS』をリリース。同じ5曲を、それぞれバンド・アレンジと弾き語りで収録した2枚組12曲収録という意欲作になったのは、"これまでの自分"と"これからの自分"を詰め込みたかったからだという。自分と同じ夢見る者たちへ歌を届けるため、伊津創汰は今、羽ばたき始めた。

-17年の春からギターの弾き語りというスタイルで活動を始めたそうですね。

はい、17歳のときでした。

-もともと、野球をやっていたんですよね?

小学生の頃から10年ぐらいやっていました。

-野球をやめてからギターを手に取ったのでしょうか、それとも野球をやりながらギターも弾いていたのでしょうか?

ギターは高校1年生のときに始めました。まだ野球はやっていたんですけど、野球がオフになる冬にたまたまおじいちゃんからアコースティック・ギターを貰って、ちょっとやってみようかなっていう好奇心から、冬だし、家にいるし、好きな曲を弾いてみようってやってみたんです。

-おじいさんから弾き方を習って?

いや、ギターだけ貰って(笑)。あとはYouTubeを観ながらひとりで練習しました。

-そのあと、野球をやめて代わりに何をやろうかと考えたタイミングで、より打ち込むようになった、と?

そうですね。その頃には好きな曲を何曲か弾けるようになっていて、野球をやめたタイミングで何か自分にできることや、やりたいことはあるかなと考えたときに音楽が上がってきた......というか、結構落ち込んでいたんですよ、挫折して(苦笑)。そのときに音楽を聴いたり、歌を歌ったりしながら乗り越えたというか、支えてもらった部分があったので、自分にもそういう音楽が作れないかなと思ったんです。

-もともと、どんな音楽が好きだったんですか?

その頃聴いていたのはONE OK ROCKとか、RADWIMPSとか、バンドが好きでバンドばかりがっつり聴いていました。最初にギターで弾いたのもそれこそONE OK ROCKだったんですよ(笑)。その頃、友達がドラムを始めて、本当はバンドをやりたかったんです。それでエレキ・ギターを買ったんですけど、メンバーを集めようとしたら、それまで野球ばかりやっていたから、周りには野球をやっている友達しかいなかったんですよ(笑)。私立の野球の強豪校だったから、軽音楽部もなくて。しばらくはエレキの練習もしていたんですけど、歌も歌いたかったから、自然とアコギを弾きながら歌うというスタイルになっていきました。

-17歳のときには、もうライヴハウスに出ていたんですか?

ええ。違う高校の人たちが集まっているという話を聞いて、一緒にバンドを組める仲間を探しにライヴハウスに行ったんですけど、みんな、すでに自分たちでバンドを組んでいて。でも、"アコギが弾けるんだから、ライヴに出てみなよ"って言われて、ONE OK ROCKのコピー・イベントに、オープニング・アクトとしてアコギの弾き語りで出してもらいました。それがきっかけで、そのライヴハウスでやっている高校生のイベントに呼ばれるようになって、結局、バンドを組む機会がないまま弾き語りでずっと出続けていましたね。

-そのときはONE OK ROCKを含め、コピーをしていたんですか?

1年ぐらいは。そもそもコピーを楽しむっていうイベントに出ていたので、オリジナルって考えがなかったんです。周りにもオリジナルを作っている人たちはいなくて。ただ、弾き語りでライヴするために、その頃、いわゆるシンガー・ソングライターの人たちの曲をたくさん聴きました。そういうところからちょっとずつ今のスタイルに寄ってきたんだと思います。

-例えば、どんな人たちを聴いたのでしょうか?

シンガー・ソングライターという魅力にハマるきっかけになったのは、秦 基博さんの「鱗」。あの曲、初心者には難しいんです。それを頑張って練習して、"これならイケる!"ってライヴハウスで披露したとき結構反響があって"あ、バンドじゃなくても、ギターと歌だけで人の心をこんなに動かすことができるんだ"と思いました。それからもコピーは続けていたんですけど、ライヴハウスでやるようになって1年ぐらい経ったときに、ライヴハウスの店長さんから"オリジナルも作ってみたら?"って言われたんです。高3の春だったんですけど、"高校最後の年だから作ってみれば"と勧められて、じゃあ作ってみようって。そしたら、"レコーディングまでやってみよう"って計画を店長さんが立ててくれたんです。

-オリジナルはすぐに作れましたか?

最初は秦 基博さんを手本にしました。コード進行とか(笑)。それまでたくさんコピーをしていたんで、ある程度コード進行の知識とか、シンガー・ソングライターの曲の雰囲気とかは、たぶん身についていたと思うんです。指弾きもできるようになっていて。それで、いきなりバンド・アレンジにするわけではなく、"歌とアコギ1本だけで録る音源にしよう"って、そのときは弾き語りのシングルを作りましたね。

-そのときの曲は今もやっているんですか?

いや、さすがにちょっと(笑)。頑張って作ったんですけどね。でも、そのとき自分の周りの人たちだけですけど、心を動かせるんだってちょっと自信に繋がったんですよ。それまではコピーだったから、どんなにうまく歌ったとしても、曲がいいからってことになるじゃないですか。でも、自分が作った歌を歌って、それが"いいね"と言ってもらえたときは、曲をたくさん作ってみようって思いました。

-1日1曲作るとか、1週間に何曲作るとか、そういうノルマを決めたんですか?

月2曲は書いていました。ライヴが月に2、3回あったので、そのときにできるだけ新しい曲を持っていこうと考えて、曲を作っていましたね。

-それから自分らしい曲が作れるようになったと感じられたのは、どれぐらい経ってからだったのでしょうか?

わりと最近なんです(笑)。ずっとどこか誰々っぽいとか、何々っぽいとかっていう気がしていたんですよ。だからって、具体的に誰に似ているというわけではなかったんですけど、自分らしい歌詞とか、曲とかって、どういうものなんだろうってことにちゃんと向き合えたのは、この1年ぐらいのコロナの期間があって、自分の曲を改めて聴き直したときなんです。

-自分らしさとは、こういうことだと気づけたきっかけが何かあったんですか?

『DREAMERS』に入っている「Try」を書いたことですね。1年ぐらい前からある曲なんですけど、初めて誰かに向けて、その人の曲を作ろうと思いながら作ったんですよ。その当時はまだ今回のアルバムを作るって話は全然なかったんですけど、自分の身近に、夢に向かって挑戦している人がいたんです。その人に向けた応援歌を書こうと思って書き始めたんですけど、書いているうちに自分の気持ちを歌詞にしていたんですよ。そこに気づいたとき、自分のことを歌っても、誰かの歌になるんだということを感じて。しかもその曲をその人にプレゼントしたらすごく喜んでくれて、"試合の前に毎回聴いている"と言ってもらえたんです。自分もライヴで歌うとき、自分の気持ちをちゃんとまっすぐ歌えている気がして。それまでもそういう曲は何曲かあったんですけど、それが誰かのための曲になっているって感覚はなかったんです。だけど、「Try」は自分の気持ちを歌っているんだけど、他の誰かの曲になっていたんですよ。それから自分の気持ちを歌いつつ、それが誰かの曲になるってちゃんと感じながら歌詞を書けるようになったので、「Try」ができてからの曲作りはだいぶ変わりました。それまでは、きれいな言葉を並べて、曲を作りがちだったんですけど、自分の気持ちを誰かの歌になるように歌詞にするってことが、少しできるようになった気はします。

-『DREAMERS』を聴きながら、歌詞の面で興味深いと思ったのが、どの曲も伊津さんが日々の暮らしの中で感じる様々な気持ちを歌いながら、例えば、「はっぴーえんど」では"僕ら"と歌っていたり、「カラフル」では"君"に歌いかけたりしているところでした。それはやはり「Try」の延長で、誰かのための曲にしたいという思いがあるからなんですね。

もちろん自分の気持ちを歌っているんですけど、自分以外の誰かに聴いてもらったとき、その人を含めた自分たちの曲になるじゃないですか。そういう感覚がいいなと思うんですよ。「カラフル」も"君"に歌いかけているんですけど、いろいろな人の心の中にある気持ちを歌っていると思っていて、それが「Try」のように人に渡ったとき、その人の中でその人の感情を歌った曲になる。それが大事なんだということに、「Try」を書いたときに気づけたんですけど、そういうことがちゃんと歌詞に落とし込めたという意味で、「カラフル」の歌詞は特に気に入っています。

-そういう歌詞の書き方をするようになってから、ライヴでのお客さんの反応は変わりましたか?

それまでは"いいね"と言われるときは、声とか、メロディとかについてということが多かったんですけど、「Try」を書いてからは"声がいいね"ではなく、"あの曲いいね"と言われるようになったと感じることが多いので、歌詞も含め曲をちゃんと聴いてもらえるようになったんだと思います。

-もちろん声も魅力だと思いますけどね(笑)。ところで、19年に10代限定のオーディション型フェスティバル"マイナビ未確認フェスティバル2019"で、3,101組の中からファイナリストに選出され、翌20年、1st EP『CAN YOU』をリリースしましたが、現在はもちろんプロのミュージシャンという自覚や、プロとしてやっていこうっていう決意があるわけですよね?

音楽でお金を稼いで、食べていきたいという気持ちは、曲を作り始めたときからずっとあるんですけど、メジャーを含め、どこからリリースするかみたいなことに対するこだわりはあんまりないんです。それよりも、音楽を作る楽しさとか、自分が作った音楽に反応を貰ったときの嬉しさとか、そういうことが真ん中にあるんだと思っています。ただ、それを続けるには音楽で生活していくことが必要になってくるのかな。だから、あるとしたら、プロとして音楽を作り続けることや、もっといい作品を作り続けていきたいという気持ちですよね。