THE BACK HORN 松田晋二の"宇宙のへその緒"【第二十七回】

2022年10月号掲載

THE BACK HORN

第二十七回「虚無」

帰りの電車の記憶はうっすらとしている。決闘に向かう前の大人数のあのざわざわとした空気と変わって、5、6人の車内は静まり返っていた。薄暗くなった田園風景がやけに寂しかったのを覚えている。電車を降り、朝から壮絶だった出来事を心が処理できぬまま帰路に着いた。玄関を開けて家に入ると、どことなくいつもと違う空気が流れている。茶の間に座ると、母からサッカーの顧問の先生から何度も電話がかかってきたことを告げられた。黙って座っていた父の口が静かに動く。「自分がどうするかは好き勝手だが、先生には迷惑をかけるな。明日謝ってこい。」重く低い声だった。僕は、「分かった。」とだけ答えた。味気のないご飯を食べ終えて、早々に自分の部屋に入った。なかなか寝付けない夜だった。見上げた天井に今日一日の壮絶な映像が浮かんでは消えた。そして、大好きだったサッカーで選抜に選ばれ、それを休んでしまった罪悪感が一気に込み上げた。さまざまな感情がごちゃ混ぜになり、目を瞑っても天井を見つめても布団を被っても、ただそれがぐるぐると渦巻いた。気づけば夜が明けた。障子の隙間から朝陽が溢れる。それでも体を起こして学校へ行く準備をした。

家を出る前に、母親は「分かってるね。」とだけ背中に語りかけた。何も答えず玄関のドアを閉めた。学校に着くと仲間たちが昨日の出来事を漫画やテレビで観た番組のように盛り上がっている。「あ、そういえばお前も最後までいたよな？あの神社で。」と仲間が話しかけてきた。思ってもみなかった皆のその盛り上がりに、昨日の出来事は夢だったんじゃないかと思うほど、心は少しずつ落ち着いていくようだった。たまたま最後までいた同級生が少なかったせいか、リーダー格の友達からも「昨日凄かったよなー」といつもより多く話しかけられて少し嬉しかった。だけど、顧問の先生に謝らなくてはいけないというタイミングをいつにするか、それだけがずっと気になっていた。

いつもと変わらぬ一日が過ぎようとしていた放課後、担任の先生から給湯室に行くようにと伝えられた。昨日の事件が先生まで伝わるはずもないなとは思いつつも、選抜練習会を休んだことだろうなと想像はついた。恐る恐る給湯室の扉を開けると、同じく練習会に行かず、決闘で一緒だったリーダー格のメンバー2人が正座をしていた。自分も隣に座った。すると奥から鬼の形相をした顧問が現れた。「おい、お前ら昨日何してた！なぜ待ち合わせ場所に来なかった！」と怒鳴られた直後、脳天に強烈な痛みが走った。「遊びに行ってました。」とほぼ3人同時に答えた。打ち合わせをした訳でもないのに答えた台詞は皆同じだった。隣町との決闘だなんて言える訳もない。もしくは言ったところで、違う世界で生きている先生にはふざけた冗談に聞こえて余計激怒されたかもしれない。頭の痛みがまだ消えぬ中、顧問は続けてこう放った。「お前らが来なかったせいで、選抜チームの監督の所まで行って何度も謝ったんだぞ！その気持ちが分かるか！」また物凄い剣幕で怒鳴った。あれ、何だろうこの違和感は。あー、そうかこの先生は、僕らの選抜が取り消されることよりも、約束を破ったことよりも、生徒のためを思ってでもなく、謝って恥をかかせられたことに怒っているんだ。自分が僕らのせいで屈辱を受けたことにただ怒っている。多分他の2人も、瞬時にその怒りの理由に気づいていたと思う。大人が思うより敏感な心で子供は生きている。怒りの中に僕らへの愛情がないと悟った瞬間、虚しさと同時に見捨てられたような、諦めに似た感情に支配された。そして、昨夜父に言われた「謝ってこい」という言葉は少しずつ消えてゆく。僕は絶対に謝ることはないだろうと、心の中で何度も何度も噛み締めた。

＜つづく＞

THE BACK HORN

1998年結成。"KYO-MEI"をテーマに、聴く人の心を震わせる音楽を届けていくという意志を掲げる4人組ロック・バンド。2001年、メジャー1stシングル『サニー』をリリース。以降、そのオリジナリティ溢れる楽曲の世界観からクリエイターとのコラボレーションも行う。2018年に結成20周年を迎え、海外公演や日本武道館公演を含むツアーを完遂。2022年2月にはシングル「ヒガンバナ」、3月に「ユートピア」を配信。4月に同2曲も収録した13thアルバム『アントロギア』をリリースし、同作を引っ提げたツアーを実施。9月に日比谷公園大音楽堂、10月1日に大阪城音楽堂でワンマンを開催した。

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