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INTERVIEW

Japanese

Czecho No Republic

2024年11月号掲載

Czecho No Republic

Member:武井 優心(Vo/Gt)

Interviewer:石角 友香

00年代のUSインディーやロックンロール・リヴァイヴァル、エレクトロ・ポップ等多彩な音楽を昇華し、日本のバンドの定石にこだわらずオリジナルを作り出してきたCzecho No Republic。彼等が昨年約3年ぶりにリリースした3作の新曲に続いて、ついにオリジナル・アルバムが完成した。ファンにとっても音楽ラヴァーにとっても彼等の本格的な帰還は嬉しいニュースのはず。それにしてもかなりの空白期間の理由はなんだったのか。ソングライター且つフロントマンの武井優心の心象に迫る。

-オリジナル・アルバムが『DOOR』(2020年リリースの8thアルバム)から4年空いた理由としては、どういうことが考えられますか。

理由としては......前出したアルバムのときあたりに、バンドをやっていることに対して結構疲れてて。正直、100の力でやれてない感じ。力を出せてない、心ここにあらず状態に入ってて、先が全く見えない状況だったんですよ。だからたぶんコロナ禍じゃなくてもバンド活動をストップしてたと思うんです。っていうかそんな話をメンバーにちょっとしてて。(結成から)10年を過ぎたら次違うことやりたいからちょっと時間くれみたいな。Living Rita(タカハシマイ(Vo/Syn)とのユニット)にも繋がってくるんですけど。で、コロナ禍になってリアルに活動できない状態になったじゃないですか。自分としてはどうバンドをやっていくかの答えが全く出てない状況だったんで、それがある意味救いというか。無理矢理やりたくなかったし、かといって活動休止しますって程デカデカと発表もしたくない、しれっと休みたいみたいな。しかも解散する勇気もない、情けない人間で。そんななかで次チェコ(Czecho No Republic)がやるべきことってなんなのかをいろいろ探していったら、4年経ってましたという。

-コロナ禍はそのタイミングでもう一回考えてみようって人もいたし、止まらずに配信ライヴをやる人もいた。でもそういうムードじゃなかったわけですね。

そうですね。喪失感の中にずっといたんです。2018年に4人になって、そこから4人で新しい形でやってくんだという気持ちでやってたんですけど、結局一番過去にとらわれてたのは自分かも知れなくて。何か足りないものを埋める作業みたいになってたんですよ。"大丈夫だ、大丈夫だ"って言い聞かせてやってたんですけど、負のキャッシュが溜まってたみたいな。で、気付いたら全くクリエイティヴな気持ちが生まれなくなってて、新しい気持ちに切り替わるまで実は誰よりもすごい時間かかっちゃって。4人でも前向きにやってたと思うんですけど、結局俺が5人で鳴らすチェコのサウンドに心残りというか、結局それがやりたいなって気持ちがあったんです。今サポートを入れた5人でライヴをやってるんです。で、5人で鳴らすサウンドでもう一回返り咲きたいっていうので、今回のアルバムになったんですよ。

-別に、トレンドや世界のバンドが何やってるかを気にしすぎてたわけじゃないと思うんですけど、若干は時代って関係してくるじゃないですか。だからそういうことに対してもちょっと冷めてたのかなって。

時代的なのってどこ見て行ったらいいかわかん分かんないぐらい溢れてるんで。日本だけで考えたら、今はもうなんでもアリなんだってぐらいいろんなジャンルが入り乱れてるなと思うし、幅が広がってるじゃないですか。クオリティが高いバンドも超増えたし。で、さらに世界を見たらいろんな主流があって、K-POPがあってとか。でもそれを全部意識してやれる人は限られてると思うし、僕はできない人間で。好きなものは超こだわって好きなんですけど。だからあんまり影響は受けてないと思うんですね。それよりチェコで今一番やるべきことを突き詰めたって感じですかね。

-音楽聴くこと自体があんまり面白くない時期はありました?

ありました。というか限られたジャンルしか聴いてないなって感じ。でもそれがLiving Ritaの活動に繋がってて。サイケやドリーム・ポップみたいな音楽で、家でだらだらしたい、でもおしゃれなチルは聴きたくない(笑)、もっともっと沈みたいっていうか。そういうのにだいぶ偏って聴いてました。

-チェコでやることが具体的に見えてきたきっかけとしては?

一回活動のペースをガクっと落としてライヴをやってない時期があって、その後じゃあちょっとサポートを入れて5人でライヴやってみようかって始めたときに、肩慣らしのつもりだから分かりやすい代表曲みたいなのをやってたんです。だけど、そういうライヴをやってたときに妙に評価が上がっていって。周りの協力してくれてる人も水面下で"いいね"、"またやってこうよ"みたいな感じになってて、そのときにチェコのアイデンティティ、ライヴでの幸福感とかが分かりやすく見えた感覚があったんです。Rita(Living Rita)も始めたんですが、ライヴでここまで持って行きたいって感情の沸点に、始めたてのバンドだと力技で行けないというせめぎ合いがあって。チェコではなんとなく目指してるところまで絶対行けるんですよ。そういうときに、長いことやってきたのもあるし、チェコはチェコのアイデンティティがしっかりあるんだなって分かったんです。初めて外から見られたというか。"こういうの聴きたいだろうな"って気持ちも、いちリスナー側で想像できたんで、今の状態になれた感じですね。

-去年Cwondoさんのプロデュースで配信シングルを3曲出したことは、きっかけになった感じですか?

そのときはとりあえず出したんです。それが約3年ぶりなんで、それだけ空くともう何出していいか分かんなくなってるんですよ。で、俺もまだ元気じゃないんです。疑心暗鬼というか。前菜代わりに軽く聴けるようなポップな曲出したいな、熱い曲出したくないなみたいな状態で。THE STROKESチルドレン的なギター・サウンドがやりたかったんで、そうなったら、日本で一番カッコいいギター・ロックやってるCwondo君に入ってもらおうとなって、さらに良くなったんです。このときはチェコが何をしたらいいかまだ分かってない、あんまり見えてないときだったんですけど、インディーにものすごく振り切って原点回帰するのは面白いなって。チェコに約3年ぶりですげぇJ-POP出されても怖いというか、"振りかぶって来たな"みたいなとこあるんで(笑)。

-去年配信シングルを出したことで、もうちょっと作って出したいなって感じにはなったわけですよね。

出さないともう一生出せないですもんね。

-アルバムに着手する直接的なきっかけはなんだったんですか?

きっかけは5人でライヴ活動をまた始めたときに、事務所の声が沸点に到達した感じが一回あって。"来た"、"整った"と。で、一番過去を引きずっていた自分がいよいよ今のモードになってるぞ、長い喪失感から抜けてきてるなって思ったのが去年の11月とかだったんですよ。"じゃあ来年アルバム出しましょう"ってなったんです。そこから一気に集中して、家出て実家帰って1部屋借りて(笑)、"一切関与しないでくれ、俺 をいないことにしてくれ"と。それが実家ってとこがまたダサくて面白いんですけど(笑)。

-(笑)

一部屋を借りる余裕はないから。それでひたすら、ここに入ってる曲のだいたいを書いて。集中してバーッと書けたんで、1年書き続けた感じですね。

-どこであれ集中する必要があったと。

良かったです。そんなことなかなかしたくないじゃないですか。だってやってできなかったら最低だし、1人だからやっぱつまんないですよね。まぁ当たり前のことなんですけど(笑)。でも、曲を作る上で孤独って超大事だなと思いました。超満たされないから......実家にいて言うセリフじゃないんですけど。しかも11月だから冬の入り口なんですよ。寒くて。で、"寂しいな"って、すごく切なかったんですね。切ないって超いいなと思いました。"そういや俺「切ない」好きだったわ"みたいな。切ない程ポップな曲が書けることに気付きましたね。

-創作のガソリンって、そういう切なさとかブルージーなものですよね、きっと。

そうです、そうです。だからそのとき、満たされてどうすんねんって思いました。

-具体的に何曲かについてお伺いしていきたいんですが、実質的な1曲目の「Bad Dreams」の着想はどういうものでしたか?

これは最後にできた曲で。まぁだいたいそうなんですけど、アルバムの最後に"あと1曲書いておかない?"って事務所の人に言われるんですね。で、"いや、もういいじゃん"って俺は思うんですけど、今回も、期限はあと10日ぐらいあるんで最後1曲強いの書いてみようみたいなお題が来たから、またとことん切なく孤独になりたいと思ったんですよ。で、広島に、もう亡くなって住んでないんですけど、じいちゃんばあちゃんの家だけあるから、そこに行こうと考えて。そこってもう切なさポイント溜まりまくってるじゃないですか。