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INTERVIEW

Japanese

KEYTALK × Skream! × バイトル

2017年03月号掲載

KEYTALK × Skream! × バイトル

メンバー:小野 武正(Gt/MC/Cho) 首藤 義勝(Vo/Ba) 寺中 友将(Vo/Gt) 八木 優樹(Dr/Cho)

インタビュアー:吉羽 さおり

日本最大級のアルバイト求人情報サイト"バイトル"とSkream!のタッグによるこの企画では、バンドマンたちがどんな学生生活を送り、また今までどんなアルバイトをしていたのかをインタビュー。今回は、3月15日に4thフル・アルバム『PARADISE』をリリースするKEYTALKの4人に、それぞれのバイト経験や、そこで培ったこと、身になっていること、そして学生時代の話などを訊いた。バンドマンならではのバイト探しのコツ(?)もアドバイス。

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-初めてやったアルバイトは何でしたか。

小野:寿司屋でしたね。理由としては、家と学校の間の駅近くで通いやすかったのと、寿司が好きだったからってくらいなんですけど。おつまみを作ったり、仕込みの手伝いをしたり。サバとかよく仕込んでましたね。

八木:最初は、パン工場のライン作業のバイトをしました。当時はライヴをするにもお金がかかるし、そのためだけにバイトしてました。だから、ライヴは月1回くらいだったんです。

首藤:僕は、高校1年生のときのファーストフード店でのバイトが初めてですね。バイトのイメージというか、選択肢がファーストフード店しか思い浮かばなかったんです。家からも近かったので始めました。

-寺中さんはどうですか。

寺中:高校時代は学校がバイト禁止だったので、初めてやったのは大学1年のときで、ラーメン屋でした。そのラーメン屋は他のところよりもちょっと時給が高くて、賄い付きというのもあって決めたのと、あとは単純に生活費ですね。上京してきたので、家賃とか飯代を稼がなきゃっていう。

-えらい。楽器などを揃えるときは、自分で稼いで買うことが多かったですか。

首藤:そうですね。500円玉貯金をしてたんですよ。バイトの給料が主でしたけど、それで10万円貯めてベースを買いました。普通に貯金しても良かったんですけど、2万5,000円分を銀行で500円玉に替えて、貯めてました。

小野:はははは(笑)。

首藤:チャリンって入れる感覚が楽しいじゃないですか。

八木:かわいい。僕は初めて手に入れた楽器は、親に買ってもらったんです。高1のときだったかな。いい親ですね、ありがたい。

-音楽をやることを賛成してくれていたんですね。

八木:そうですね、基本的には"やりたいことをやれば"っていう感じでした。

小野:僕はまず中学3年のときに1万円くらいの入門用ギターを買ってもらって。高校1年のときにギブソンのギターが欲しくて、貯まっていたお年玉5万円くらいと、あと6万円くらい親に出してもらってギターを買いました。それは今でも使ってます。最初はレスポールが欲しかったんですけど、楽器屋に行ったら、その隣にあったSGがなんかかっこよく見えて。

-学生時代の話もおうかがいします。バンドを始めたのは高校生くらいのときですか。

小野:僕と八木は高校が一緒で、軽音楽部でバンドを組んでからずっと一緒ですね。

八木:13年目ですかね、長いですね。そのころはふたりでスタジオに入って、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのコピーをやってました。ギターとドラムで、ヴォーカルもなく。高校1年のときはそんな感じで、高校3年の冬くらいに義勝が入ってくれたんです。それで3ピースでやってて。

小野:それだと高3までベース探してたみたいになってるけど(笑)。

首藤:入れ替わりはあって、僕が9人目です。

-コピーは長くやっていたんですか。

小野:高1の終わりくらいからオリジナルをやってましたね。うちらはそのころから音楽教室にも通っていたので、他の子とは熱量の差があったかもしれない。"俺らはプロになるんだ"みたいなことを言っていた覚えはないんですけどね。単純に楽しくやっていたら、今のようになったという流れだったんです。

-首藤さんはふたりのバンドをどう見ていましたか。

首藤:出会ったときは、若いのに上手いなっていう印象でした。タメですけど。

八木:おっさん!

首藤:ふたりの通っていた学校も軽音楽が盛んだったんですけど、僕も通っていた高校で軽音楽部に入っていて、部員が100人くらいいたんです。初めてふたりの演奏を見たのは、埼玉の川越にある貸しライヴ・スペースみたいなところで。それも予約が被っちゃってて、それなら一緒にやろうかという感じだったんです。そこで知り合ったんですけど、そのときは全然かっこよくなくて。

八木:あぁ(苦笑)。

首藤:一応連絡先は交換していて。1年後くらいに、武正から一斉送信風のライヴのお知らせメールが来たので、観に行ったらかっこよくなっていたんです。

-成長しているぞと。

首藤:若いのに、鍛錬を積んでましたね。そこから話をするようになって、聴いてきた音楽も似ていたので、まだ高校生なのにいいバンド知ってるなって。

小野:誰なんだよ、さっきから(笑)。

首藤:学校の部活内で収まらないで、積極的に外に出てライヴ活動をやってたことが繋がっていったので、良かったと思いますね。外に出ることは大事だなって思います。

-寺中さんとはどう出会ったんですか。

小野:僕が大学に進学して、熊本から上京して来た巨匠(寺中)と出会ったんです。彼は当時、弾き語りをやってまして。ヒゲを生やしていて、半袖のTシャツに、白いダウンジャケットを纏ってました(笑)。まだ入学式当時は寒かったので、分厚いダウンジャケットを着ているのに、それを脱ぐと半袖なんです。

寺中:部屋は暑いからね。

小野:巨匠以外の3人は、それまで埼玉の中で人間関係が完結していたので、世界は広いな、いろんな人がいるなと衝撃を受けて。それから何度か、3人でやってるときにライヴを観に来てくれて、心理学の授業のとき、"昨日のライヴお疲れ"、"あぁ、来てくれてありがとう"、"あーあ、俺もあんなところで歌ってみたいな"って(笑)。当時、巨匠はMr.Childrenとか尾崎豊さんの曲で弾き語りをしてたから、ジャンルが違うかなとは思ったんですよ。でも歌は上手いし、ヴォーカルを探していたし、入ってくれたらいいなとも思っていた矢先だったので。"じゃあ、入ってよ"ってことで4人になりました。