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INTERVIEW

Japanese

cinema staff × Skream! × バイトル

2018年07月号掲載

cinema staff × Skream! × バイトル

Member:飯田 瑞規(Vo/Gt) 辻 友貴(Gt) 三島 想平(Ba) 久野 洋平(Dr)

Interviewer:吉羽 さおり Photo by 石崎祥子

日本最大級のアルバイト求人サイト"バイトル"とSkream!による"激的アルバイトーーク!"。今回のゲストは、6月13日にアルカラとのスプリットEP『undivided E.P.』をリリースし、今年CDデビュー10周年を迎えるcinema staff。クリエイティヴなサウンドとエヴァーグリーンな歌に磨きをかけ、且つ新たなチャレンジをしながらオルタナティヴなロックを刷新している彼らは、これまでどんなアルバイトをして、どんな想いを抱いてここまできたのかを語ってもらった。また今回は、普段はできないような非日常的な体験ができる企画"ドリームバイト"で選ばれた大学生、吉澤みずきさんも、Skream!編集部員としてインタビューを敢行。普段のインタビューでは聞けない話を、たっぷりと聞くことができた。

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-みなさんはこれまでどんなアルバイトをしてきましたか?

三島:僕らの中にはあまり、掛け持ちをしてバリバリやっていた奴はいないかもしれないですね。みんな名古屋の大学にいたんですけど、その当時はコールセンター兼メールマガジンを作るみたいな会社でアルバイトをしていました。基本的にはデスクワークで、パチンコ屋とかのメールマガジンを作ってましたね。僕は大学1年生から上京するまで、4年間くらいやっていましたね。

-4年も働いていたとなると、結構なベテランですね。

三島:そうですね。最後は正直、時給も結構貰っていましたね。その前にちょっと、野球が好きだったのでナゴヤドームでバイトや、派遣のバイトもちらっとはやっていたんですけど、基本的にはデスクワークのバイトをしていました。

-上京してからはどうですか?

三島:僕はライヴハウスですね。渋谷にあるLUSHというライヴハウスで、2年弱働きました。それでメジャー・デビューのタイミングで辞めていますね。

-久野さんはどうですか。

久野:僕は大学に入って最初にやったのが、写真屋のバイトで。フィルムを現像したり、証明写真を撮ったりしていました。ただ、そのお店は閉店が早くて、学校が終わって入っても2~3時間しか働けなくて。全然稼げなかったのでそこを辞めて、ゲームセンターで働き始めました。ゲームセンターは、夜遅いし、仕事もすごく楽しかったですね。営業中に、UFOキャッチャーで遊んでいいんですよ。遊んでいいというか、お客さんに、"これ、どうやって取るんですか?"って聞かれたときに、アドバイスできないといけないから、遊ばなきゃいけないというか。なので、空いている時間は遊んでましたね(笑)。楽しくて、わりと向いていたかなと思います。

-UFOキャッチャーの腕前も相当なものでは?

久野:どれくらいお金をかけないと取れないかは、パッと見てわかりますね。やっぱり一発では取れないようになっているんですよ。その仕組みとかはわかりました。

-たまに、ずっと取れなかったりすると、店員さんが気を利かせて取りやすくしてくれたりすることがありますよね? ああいうのは店員さんの裁量なんですか。

久野:それはやっぱり愛想が大事ですね(笑)。あの人さっきから頑張って景品を取ってるなっていうのを見てるじゃないですか。そのときにイライラして、"これ、取れないんだけど!"って言われると、そんなに取りやすくしてあげようとは思わないです。けど、本当にこの人困ってるんだなっていう感じがすると、店長には内緒でちょっと取りやすくしたりはしてましたね。

飯田:大事なのは、愛想なんだね。

久野:まじで大事。上京してからは、ピザ屋の配達のバイトをしました。ピザ屋ってだいたい、毎週シフトを組むので、バンドをやりながらでもやりやすかったですね。どうしても、急に取材が入ったり、ライヴが入ったりすることも多いので。あとは、何度か辻君と派遣のバイトでライヴの警備のバイトをしました。ACIDMANのライヴの警備をしたり。

辻:木村カエラさんのライヴの警備もしたね。

-では、辻さんは他にどんなバイトをしてきましたか?

辻:僕は、2年ごとくらいで変わっていたんですけど、最初は塾の講師でした。中学からずっと通っていた塾で、大学生になったタイミングで講師としてバイトを始めて。そのときは、数学と化学を教えていて──

久野:数学と化学できるんだ。

辻:そのときはできた(笑)。

三島:理系だったからね、辻君は。

辻:あとは、当時唯一、地元の岐阜にあったコンビニでも掛け持ちで働いてました。そのあと名古屋でひとり暮らしを始めてからは、イタリアンレストランで働いていたんですけど、そのお店での思い出はないです。

飯田:懐かしいな。俺、コーヒー飲みに行ったけどね。

辻:それで、上京してからは渋谷にある(TSUTAYA)O-nestというライヴハウスで働いていました。そこは、cinema staffもずっと出ていたライヴハウスで、だいぶお世話になっていたし、友人とか好きなバンドがよくライヴをしていたところだったので、楽しくやってましたね。

-ライヴハウスでのアルバイトは、基本的にどんな仕事をするんですか?

三島:僕らはホール担当だったので、ドリンクカウンターとかチケットのもぎりとか。たまに、ブッキングもやりましたね。でも基本的には、ドリンクを出す、掃除をするとか、雑務ですね。

辻:僕もそうです。友達とかが出ていると、だいたい打ち上げまで出るので、打ち上げでバイト代を失いますね。

久野:そこは自腹なんだ。

-そうだったんですね。では、飯田さんはどうですか。

飯田:僕は学生時代、岐阜駅前の焼き鳥居酒屋でバイトしてました。

三島:やってたなぁ(笑)。

飯田:それは4年くらいやってましたね。キッチンからホールまで、その日によって変わるんです。炭火焼き鳥なんですけど、その炭作りから始まるんです。他には、引越しのバイトもしましたね。

辻:引越しのバイトは、初めて一緒にやったバイトだよね?

飯田:そう。あとはコンビニでもちょっとだけやってました。ずっと飲食のバイトをしていて慣れていたから、上京してからは、食材もすべて京都から仕入れた京しゃぶしゃぶ屋で働きましたね。あとはそうだ、高校のころに、三島と辻と俺で、辻の家の近くの和菓子屋さんで、"餅を広げる"という仕事をしてました(笑)。

辻:昔からある、友達の家のお店なんですけど。

-餅を、広げる?

三島:年末に、おせち料理に入る米菓になるものの素を仕込む仕事だったんですよね。その期間は、辻君の家にみんなで泊まって。

飯田:4日間くらいでやるんですけど、朝早くから夕方までずっと、もち米を洗ったり、機械でこねた餅を広げて、何等分かにしてっていうことを分担してやってましたね。俺は4日間くらい、餅を広げてました(笑)。4日目になると広げ方もうまくなりますからね。ただ、大変だったよね、腰がやられて。

三島:大変だったよ、あれは。でも結構バイト代を貰えたよね。

-先ほど久野さんからシフトの話も出ましたが、バンドをやっているとどうしても時間のやりくりが大変になってきますよね。みなさん、どう調整していたんですか?

飯田:僕は飲食をやっていたときは、最初にバンド活動をやっていることを店長に伝えていたので。店長も理解のある人で、シフトは融通を利かせてもらえましたね。当時の店長が新しいお店を始めたんですけど、岐阜でやっている"OOPARTS"というcinema staffの自主企画イベントで、出店してくれたりもしているんですよ。

久野:シフトを組む人と仲良くなるのは大事かもしれない。僕もそうだったんですけど、シフトを組むバイトリーダーが、すごく応援してくれていたので。シフトを変えてくれたりもしたんですよね。人間関係は大事。