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INTERVIEW

Japanese

brainchild's × cinema staff

2018年04月号掲載

brainchild's × cinema staff

THE YELLOW MONKEYのギタリスト EMMAこと菊地英昭によるソロ・プロジェクト、brainchild'sが始動10周年のタイミングで5枚目のアルバム『STAY ALIVE』を完成させた。今回のインタビューは、菊地だけではなく、THE YELLOW MONKEYの大ファンで、"ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2016"では、彼らの真裏となったステージで「LOVE LOVE SHOW」をカバーしたという、cinema staffの飯田瑞規を迎えた対談形式でお送りする。1964年生まれの菊地と1987年生まれの飯田。世代の大きく異なるふたりだからこそ見えた、THE YELLOW MONKEYの普遍性と、プリミティヴなロックにある生々しい魅力はそのままに、ファンタジックな音景色を生み出すbrainchild'sの創造性に、ぜひ注目していただきたい濃厚な時間となった。

brainchild's:菊地 英昭(Gt/Vo)
cinema staff:飯田 瑞規(Vo/Gt)
インタビュアー:TAISHI IWAMI Photo by 石崎祥子

brainchild'sとcinema staff、世代の異なるバンドが今を描く。そのアウトプットにある共通点


-おふたりは初対面ということですが、菊地さんはcinema staffというバンドはご存じでしたか?

菊地:バンド名は前から知っていて、音源はこの対談にあたって初めて聴きました。僕らの世代でいうプログレ(プログレッシヴ・ロック)みたいな感じになるのかな? そこと、日本ならではの歌文化というか、ポップス的な要素が違和感なく混ざってる。そういうアイディアを形にするには、演奏能力が高くないといけない。素晴らしいですね。

飯田:ありがとうございます。僕らは、1960年代や70年代のプログレはほとんどわからなくて、自分の世代や、その少し前の音楽がルーツなんです。グラム・ロックという言葉も、1970年代のバンドではなく、THE YELLOW MONKEYを通して初めて知りました。

-飯田さんは1987年生まれですよね?

飯田:はい。1990年代のオルタナティヴ・ロックとか、それ以降の1990年代後半や2000年代のUSインディー系で好きになったバンドに、プログレッシヴな演奏が多かったんです。

菊地:あの時代のインディーのバンドって、たしかにプログレの要素はあるけど、今の日本の若い子たちみたいに、がっちり演奏を合わせるって感じじゃないでしょ?

飯田:そうですね。いい意味でルーズで、微妙なズレ感が生むグルーヴとか、そういうことも含めた上手さがありますよね。

-今の話から察するに、THE FLAMING LIPSがまず浮かんだんですけど、いかがですか?

飯田:THE FLAMING LIPSも好きなんですけど、僕がのめり込んでいったのは、シカゴ・インディー系なんです。JOAN OF ARCとか。

-いわゆるポスト・ロック、音響派と言われたような音楽ですね。TORTOISE、THE SEA AND CAKE......。

飯田:大好きですね。

-かたやTHE YELLOW MONKEYのような、歌が強くて曲の輪郭がはっきりした音楽も好きで、そのふたつの要素が相まって、cinema staffを形成しているということでしょうか?

飯田:そうですね。自分が音楽を好きになったきっかけは歌だったんです。それを自分の音楽に落とし込みたいという想いは変わらずに持っています。その中でも、ずっと好きで聴いてるのがTHE YELLOW MONKEYなんです。

-THE YELLOW MONKEYは、世代的にはドンピシャではないですよね?

飯田:解散されたのが、僕が中学のころでした。

菊地:解散がそのタイミングなんだ。僕は1964年生まれだから、ふた回りほど上なんだね。

飯田:初めて(THE YELLOW MONKEYに)出会ったのが、いとこに聴かせてもらった「楽園」(1996年リリースの11thシングル『楽園』表題曲)でした。小学校の中学年くらい。すごくカッコ良くてギラギラしていて、初めて感じた"大人の色気"だったのかもしれません。アルバムは『PUNCH DRUNKARD』(1998年リリースの7thアルバム)を買ったのが最初です。正直言うと、小遣いが足りなくて中古屋さんでちょっと安くなってたのを......。

菊地:はは! 気にしないでそんなこと(笑)。僕も初めて買ったドーナツ盤はQUEENの『Killer Queen』で、中古だったよ。子供の小遣いじゃね、なかなか買えないよね。それにしても小学生に『PUNCH DRUNKARD』は刺激が強くなかった?

飯田:そうですね。結構ダークな感じの曲も多いですから。でも、『PUNCH DRUNKARD』とは話がズレますけど、ダークで重たい曲となると、「JAM」(1996年リリースの9thシングル『JAM/Tactics』収録曲)は僕らの世代でもみんな歌うんですよ。カラオケで。

菊地:「JAM」を歌うと引かれるってよく聞くよ(笑)。"ベタすぎるやろ"って。歌い込む系だし、長いし。