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INTERVIEW

Japanese

ビッケブランカ × Skream! × バイトル

2019年07月号掲載

ビッケブランカ × Skream! × バイトル

Interviewer:吉羽 さおり Photo by 結城 さやか

日本最大級のアルバイト求人情報サイト"バイトル"とSkream!による企画"激的アルバイトーーク!"の今回のゲストは、美しく切なく人々の心を打ったバラード「まっしろ」から一転、軽快でファニーなダンス・ミュージックとなったニュー・シングル『Ca Va?』をリリースしたビッケブランカ。クリエイティヴで凝り性で、常にいろいろなものにアンテナを張り巡らせているこのシンガー・ソングライターは、学生時代にどんなアルバイトをしてきたのか。学生時代の話や夢、進路の話をたっぷりと訊いた。また今回は、ビッケブランカにインタビューをするドリームバイトに選ばれた大学生、田中夏織さんもSkream!編集部員として取材に参加。創作についてや、音楽の姿勢について熱い話を引き出してくれた。

ビッケブランカ × Skream! × バイトル
キャンペーン情報

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-初めてやったアルバイトはなんでしたか。

最初は高校時代で、駅でチラシ配りをしていましたね。知り合いがくるので、知り合いに10枚くらい渡すんです(笑)。で、どこかで撒いてくれと。という感じで頭使ってやってましたね。

-効率良くやるのがうまそうですね(笑)。

そうかもしれないです。同じ沿線上に転校したんですけど、チラシ配りをする駅が昔住んでいたところだったので、中学時代の友人と会えるんです。それを楽しみにやっていた感じで。終わったら、友達とフードコートに行って遊ぶという。高校時代はそのバイトだけでしたね。それもアルバイトというものがやってみたかっただけなので、半年くらいは頑張りましたね。大学に入ってからの方がバイトはしてましたね。

-大学時代はどんなバイトを?

上京してすぐに、家の近くにあったアイスクリーム屋さんでバイトをしたんですけど、そんなに長続きはしませんでしたね。夏でも涼しいだろうというのがあったし、バイトが終わるとオーナーが"1個食べていいよ"って言ってくれたりもして、3ヶ月くらいはやったんですけど。大学も始まったばかりで、バイトに行かないといけないけど、どうしても眠い場合に行くのがイヤだったというのがあり(笑)。

-それは、困りましたね(笑)。

身体は寝なきゃいけないと言っているのに、バイトに行かなきゃいけないと。そこまでする必要があるのかという葛藤がありました。まぁ、そんなに頑張らなくてもいいかなっていうことで辞めちゃいました。そのあとは、池袋のダーツ・バー兼レストランで働いてましたね。ホールの仕事だったんですけど、立っているだけっていうのが本当につらくて。骨格的に向いてないんですかね? 骨盤の形状なのか立ってるだけというのがつらくて、座れないのがこんなに苦痛なのかと思って、それも3~4ヶ月で終わりました。

-そういう体験は次のバイト選びに活かされるんですか。

活かされた結果、最終的に一番長くやったのが家庭教師のバイトですね。それが僕自身の最後のバイトで、大学卒業後までやってました。そのレストランから家庭教師の仕事まで空白の1年くらいがあるんですけど。多少の仕送りも貰えていたので、その1年は何もせず曲ばかり作ってました。

-仕送りもあったけれど、またバイトをしようってなったのは何が大きかったんですか。

多分、大学を卒業するかしないかくらいでいろいろとお金がかかり始めたんでしょうね。楽器や機材を買うとか設備を整えたりするので、プラスアルファ必要だなっていうのでやっていたと思いますね。

-家庭教師は、いろいろ教える技術なども必要そうですね。

大きな家庭教師の会社だったんですけど、まず本社で試験を受けて、生徒をあてがってもらう感じで。最初に受け持ったのが小学生の子で、その子は成績も上がって、親御さんも"ありがたいです"と言ってくれて良かったですね。そのあとに担当したのが、これまでに5、6人先生が変わっているという中学生の男の子だったんです。親御さんから、"次の先生で最後です。これでダメならもうやめます"と言われていた子で。それで評判が良かった僕が呼ばれて、"最後の砦で行ってくれ"ということで、担当することになったんです。

-それは責任重大じゃないですか。

親御さんはふたりとも忙しいようで、家政婦さんがいる家庭だったんです。生徒さんも初めは寡黙で、真面目なんだけど、やる気はあまりない様子でした。でも僕も頑張って教えていたら、2~3ヶ月後くらいから少しずつ成績が上がる兆しが見えてきたんですよね。だけど家政婦さんは、"大丈夫なんですか"とか"携帯とか見ないで、ちゃんとやってますか"っていう感じで、ちょくちょく覗きにくるので。これはいろんな先生が辞めるのもそうだろうなと思いながらも、頑張ってやって。3ヶ月くらい経ったとき、ずっと無駄話しなかったその男の子が、"先生すごいですね"って突然言い出したんですよ。テストはもうすぐだし、そこでいい結果が出たらすごいと言ってもらえるのはわかるけど、まだそんなのわからなくない? って話していたら、でもすごいと。何がすごいかって聞いたら、"今まで来た6、7人の先生はみんな、僕の横に座って、片手にずっと答えを持ちながら教えていた"って言うんです。心の中では、"答えを見るだけなら僕にだってわかる、こんな人に教えられても仕方ない"って思っていたと言うんですね。"でも先生は、一度も答えを見ずに僕に教えてくれたし。それで答え合わせすると、ちゃんと合っていて。この人から学んでいれば、頭が良くなるんじゃないかって思えるんだ"って言ってくれたんですよ。

-いい先生じゃないですか。

"そうだよな!"って(笑)。これからも頑張っていこうぜってなって。その子もなんとか頑張って成績を上げたんです。僕がレコード会社との契約が決まって、バイトを辞めなきゃいけないとなったときは、ちゃんと家政婦さんともお話をして、最後には"先生で良かったです"と言ってもらえて。それで僕のバイト人生は終わったんです。

-教えるというのが上手なんでしょうね。

まぁでも、覚え方ってコツがあるじゃないですか。点数を取るだけだったら、コツがあるんですよ。生きていくうえで必要なことは、勉強じゃないところ、学校生活や部活で学んでいくことで。テストなんて、点数が取れて、その先のステップに行くときに有利に働く内申点さえつけば、その人のためになると思っていたので。点数を取るコツだけを教えたというものでしたね。だから、頭を良くしたわけじゃないと思ってますね。

-それは自分自身でもやってきたことですか。

そうですね、点数さえ取れればというのはありましたね。英語とかは、文法よりも単語さえ全部覚えちゃえばなんとでもなるなとか、自分が学生時代に見いだしたコツがあったんですよ。そのノウハウを教えるっていう。

-生徒さんからの信頼も厚かったようですが、勉強以外でいろんな話もしたんですか。

前の小学生の生徒さんのおうちはみんないい方で、ゲームの話をしたり、僕がビッケブランカとして音楽活動をしていく変遷もFacebookとかで見てくれたりして。"先生、すごいですね。ライヴに行かせてくださいよ"って言ってくれたこともありましたね。だからすごくいい思い出なんですよね、バイトっていうものが。

-それは手を抜かずしっかりやってきたからこそですよ。

やるならちゃんとね。でも教えるのは面白かったんですよ。もう1回やりたいです、そういう企画ないですかね(笑)?