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INTERVIEW

Japanese

ヒトリエ × Skream! × バイトル

2019年01月号掲載

ヒトリエ × Skream! × バイトル

Member:wowaka(Vo/Gt) シノダ(Gt/Cho) イガラシ(Ba) ゆーまお(Dr)

Interviewer:吉羽 さおり Photo by 石崎祥子

ヒトリエ × Skream! × バイトル
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-特殊な能力がつきましたね(笑)。wowakaさんは、音楽活動とバイトと学生生活をどう切り盛りしていましたか。

wowaka:僕は、大学で東京に出てきたんですけど、お金もないので大学の寮に入ったんです。その寮に住んでいる同じクラスの人がふたりいて、その子らと最初に仲良くなって。"これからどうやってやりくりしていくの?"っていう話になったときに、そのふたりがどこかからのツテでバイト先を探してきて、それが塾の講師だったんです。それで、俺も誘われる形で紹介してもらって。それと同時期に、大学の軽音サークルに入ったんです。そこはコピー・バンドをするようなサークルだったんですけど、そこで先輩に気に入られて、当時部長だった先輩と一緒に、サークル内でバンドをやって。そこで初めてギター・ヴォーカルをしたんですよね。先輩が"お前には、ギター・ヴォーカルの才能がある"って言ってくれて。

シノダ:すごいな。

wowaka:今思うと、それが自分が歌うことだったり、人前でやることのとっかかりだったのかなと思いますね。結果そのサークルで部長になって、サークルの方が、大学よりも楽しくなっちゃったんですよ。学業は疎かになりながら、サークルやバイトもやっていくうちに、サークルでオリジナル曲をやるバンドをやろうという話になって。そのバンドで、下北沢や高円寺で何度かライヴをやったんですけど、自分としてはあまり手応えもなく、悶々としていたんです。そのとき、クラスの友達から、ニコニコ動画っていうものがあるぞって紹介してもらって。そこで初音ミクの曲に出会って、"すげぇ面白いな"と思って、気がついたら吉祥寺のヨドバシカメラで、初音ミクのソフトウェアとパソコンとオーディオ・インターフェースを買って、VOCALOIDで曲を作り始めたのが、今に繋がるきっかけでしたね。

-そうだったんですね。

wowaka:今度はボカロの方が楽しくなっちゃって、サークルと学業とバイト、すべてに支障が出始めました(笑)。それから半年くらいは、ずっとボカロのことばかり考えてましたね。結局そのあと、バイトも辞めて、サークルも卒業して、このバンドを始めて今に至る感じですね。

ゆーまお:"教え子が15人くらいいる"って言ったじゃん? その教え子が、当時の先生が今ヒトリエのヴォーカルをやってるって知ったら、びっくりするんじゃない? 俺が生徒だったらびっくりする。

wowaka:たぶんびっくりするし、俺当時と風貌から感じから何もかも変わってるから。

ゆーまお:"あの先生、今バンドマンなの!?"っていう感じ?

wowaka:ひとり気づいてる子がいるっていう話は聞いたりもするんだけど(笑)。

-教えていたときは、"先生実は大学でバンドやってるんだ"という話はしなかったんですか。

wowaka:音楽の話はしてましたよ。音楽が好きだという子もいたので、そういう子に"今こういうことやってるよ"っていう話はしてました。サークルでギター弾いたり歌ったりしてるよっていうことは、言ってましたね。

-それがコミュニケーションのひとつになっていたんですね。イガラシさんは、バンドとバイト、学生生活をどうこなしていたんですか。

イガラシ:大学生のときは、自分も大学内でバンドをやっていただけだったので、授業の合間にバイトをして、あとはサークル活動をしてという感じでしたけど、卒業後はフリーターみたいな感じでバンドをやっていましたね。なるべく働きたくなくて、週3日くらいで済ませたいっていうのがありました。なるべく短時間で稼ぎたいなと思って、その結果のピザ屋だったんです。

wowaka:いい条件ではあったんだ。

イガラシ:まだリーマン・ショックが起こる前だったから、それより前から入っていた人は時給が高かったんです。長時間入れてくれるところだったし。その頃はたくさんチップがもらえたんですよ。

wowaka:へぇ~!

イガラシ:海外の人がたくさん住んでいる地域だったので、2,200円のピザの注文に5,000円札でお釣りをくれたりして。なるべく多く回りたいっていうのはあった(笑)。下手したら日給よりも貰えたりするからね。

-みなさん、バイトの経験で何か今の社会生活に役立っていること、経験が生きていることはありますか?

シノダ:僕はないですね。

wowaka:はははは(笑)。ないか。

シノダ:何も足しになってる感じがないんですよね。コミュニケーションとかも......びっくりするほどなくて(笑)。先輩らしい先輩もいなかったので。大学の同期に紹介してもらったバイトだったけど、そいつも入るタイミングが合わなかったし。話すなら大学で話すしっていう感じだったから。

wowaka:じゃあ、バイトは配達してるだけっていう。

シノダ:そう。辞める直前くらいに、ようやく心を開いてくれたおじさんがいて。"君、バンドをやってるんだって? どんな音楽をやってるの?"って話し掛けてくれて。当時オルタナティヴな洋楽っぽいバンドをやっていたんですけど、それをどう説明すればいいのかわからなかったから、"まぁ、ロックですかね"って言ったら"それは洋楽っぽいのかい?"って返してくるとか、それぐらいでしたかね(笑)。もっと早く言ってくれれば良かったのにって思うんですけど。

-では、バイトでのいい思い出は何かありますか。

シノダ:ひとりで車を運転するわけじゃないですか。当時配達していたエリアは野原が多いので、そのへんをゆっくりと走っているとちょっと牧歌的な気持ちになってくるというか(笑)。

wowaka:ドライブ的な観点で楽しいと(笑)。

シノダ:"俺、今ポストマンや"っていう──その間にいろんなこと考えたり、むしろ考えなかったりして。

wowaka:だいぶ虚無に近いね(笑)。

シノダ:そうなんですよ。僕もバンドを始めたりとかして、バンドマンとして大成しなきゃいけないとか、強迫観念みたいなものが少なからずあったんですよ。そういうのとはまったく無縁な時間だから良かったなって思いますね。

-逆に悩みから切り離されている時間になっていたんですね。

シノダ:そうですね。午前中にこれを運べばいいっていう。それすらできなかったときもありましたけどね(笑)。

wowaka:大学生くらいの時期ってさ、自分も人間としてそんなにできあがってないし、バイト自体にちゃんと目的意識を持てないんだよね。

シノダ:うん、ないね。

wowaka:暮らすためとか、なんとなくっていうところがあったよね。

-あとあとになって、"あれはこういうことだったんだな"というのがわかることもありますね。

wowaka:そういうのはありましたね。

-ドリームバイトの萩原さんも今大学生なので、そういうところのお話もできるかと思います。ここから萩原さんにバトンタッチして、質問をしてもらいます。

萩原:大学2年生の萩原です。よろしくお願いします。僕は、ヒトリエのことが好きで、今日直接お会いして、ずっとずっと言いたかったことがあって。僕は今大学に通っているんですけど、受験期につらいことが多かったんです。そのときに、ヒトリエの曲を聴いて、"明日から頑張ろう"って思えて。ずっとヒトリエの曲を聴いてきました。その節は、ありがとうございました。

シノダ:こちらこそありがとう。

wowaka:受験期に聴いた曲って忘れないよ、まじで。

萩原:はい。ライヴで演奏しているのを聴いても、その当時の感情がフラッシュバックして、ライヴで泣いちゃうことも多いんです......。

-萩原さんは、中学生時代からヒトリエを聴いていたそうですよ。

萩原:ニコニコ動画でwowakaさんのボカロの曲を知って、ひとりアトリエ(※ヒトリエの前身バンド)時代から聴いてます。1曲聴いたときから好きになってしまって。ヒトリエをきっかけにいろんなバンドを知りました。今回、こうしてドリームバイトに当選して、みなさんと話をする夢が叶って嬉しいです。

シノダ:こういうふうに言ってもらえると、やってて良かったと思うよね。だって、俺が中学、高校のときに聴いていたバンドって、ナンバーガールとTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTとかだから、みんな高校生のうちに解散しちゃっているしね。

萩原:ヒトリエの曲を通じて出会って友達になったりとか、高校のころにヒトリエが好きってことで意気投合した女の子と付き合ったりもしました(笑)。

wowaka:やったじゃん(笑)。俺らの曲でもそういうこと起きるんだな。

萩原:めちゃめちゃ感謝しています。

イガラシ:良かった良かった。

萩原:これまでヒトリエで音楽をやってきたなかで変化したこともあったと思います。メンバーが思う、こういうところが変わったなとか、変化に対して思うことはありますか。

wowaka:さっきのバイトの話もそうだけど、それこそ大学時代に塾講師のバイトをしていたときは、友達の紹介があったからとか、時給が良かったからとか、そういう理由で選んでバイトをしているというのが強かったのね。だけど、それこそあとになって、そのときに俺は何を貰ったかなとか、何ができたかなというのを改めて考えると、今になってその経験が身体に残ってる感じはするんだよね。まぁ、シノダは残ってないって言ってたけど(笑)。塾講師だと、中学生、高校生くらいの生徒たちとよく話すわけじゃない? 話をして、俺も前はこういうことを思ってたなとか、最近こういうことに気づかなくなってたなとか、そういうことを、話したり教えたりしながら学んだような気がするのね。

萩原:なるほど。

wowaka:その瞬間、瞬間で自分が頑張ることが人生にいっぱいあるんだけど、音楽を作るにしても、ライヴをするにしても常に必死だから、今、俺は何を受け取っていて、何を世界に返していて、これがどう今後の人生になっていくのかはわからないままやっている部分がすごく多いんだよね。でも、瞬間、瞬間で必死に頑張って取り組んでいくことで、結果として自分があとで気づけることや、自分がちょっと変わったなと思えることがある。そういう繰り返しで、俺はここまで続けてきた感じかな。でもむしろ、変わってないものが軸で動いているからそうなるんだよね。変わってないから、変わっていかざるを得ないっていうか。瞬間、瞬間で、自分の曲がらないものをやろうとし続けることで、結局変わっていって、俺はここまできたような感じですね。

シノダ:僕は、やれることが増えてきたんだなっていう感じがしますよね。それは単純に、個々のスキル・アップでもあるだろうし、平たく言うと音楽性の広がりというのもあるし。昔の音源を聴くとそれはそれでいいものを作ってきたなと思うんですけど、今だったらもうちょい良くできるなとも当然思うしね。毎度、全力投球で作ってはいるんですけど、過去の自分たちに"今の自分たちの音源"は絶対に作れないし。そういう感じで更新できているなっていう気持ちがありますね。

萩原:ありがとうございます。