挫・人間 下川リヲの"モノホンプレーヤーになれねえ"【第35回】

挫・人間下川リヲの"モノホンプレーヤーになれねえ"【第35回】

2024年02月号掲載

挫・人間

今までどれだけの数サインを書いてきたのだろう。
リリースの度、プロモーション用に千回近くサインをしている。

仮に一万回近くサインをしてきたと仮定して、そのうちの一度だけ忘れられないサインがある。

もう遥か昔の話、挫・人間が出待ち入り待ちを禁止していない時期の話。

「ライブには間に合わなかったんですけど......ファンなのでサインだけください」

と言って色紙を差し出す男がいた。

いくら不人気のアングラバンドをやっているとはいえ、さすがに察しがついた。
調べると案の定メルカリに転売されていた。

しかも、この男他のバンドにも同じ手口でサインを貰っているのか、何組か知っているバンドのサインも一緒に転売していた。

「許せない」

僕は怒りでワナワナ震えた。こいつの出品を見ると挫・人間のサインだけ売れ残っているではないか！
転売ヤーってこういう形で自分の需要の無さも可視化してくるんだ。

怒った。そして、傷ついた......。
もうサインなんてしない。

完全に人間不信であった。オタクは転売に厳しいのだ。

その日から僕は、街で声をかけられても「......ヤーマン」と返すだけで写真にもサインにも応じなくなった。心を閉ざすのはかなり好きなので苦ではなかった。

そんなある日、五反田の安居酒屋で若い女の子に声をかけられる。

「挫・人間の下川くんじゃん！ファンです！」

大学生風のその娘はキラキラした目で言った。

「......ヤーマン」

碌に顔も見ずそう返す。次にお前は、「サインください」か「写真撮ってください」と言うだろう......。

「やばー！興奮するー！ねえサインほしいです～！」

彼女はそう言ってペンとiPhoneを差し出してきた。
いつもなら適当に理由をつけて断るのだが、その日は酒が入っていたのもあり、冗談も通じるだろうと思い、こう書いた。

「うんこ」

女の子の身体が強張るのを感じた。
目をiPhoneに落としたまま「名前は？」と聞く。
Aです、という言葉を聞いて、更にこう書いた。

「エニタイム・UNKO ～うんこ最強～ドラゴン」

はい、と言って返した。女の子はiPhoneを受け取って、小さな声で確かめるように口に出す。

「うんこ......エニタイム・うんこ......うんこ最強......ドラゴン......」

僕が、彼女はどんな顔して呟いているのだろうと思い顔を上げると、バチっと目が合った。彼女が目を逸らさずに言う。

「ヤバ！！完全にホンモノじゃん！ウレシー！最高！宝物にするね！！」

「えっ......」

僕は反省した。僕は自分のファンを見くびっていたのだ。下川だのなんだの書かれるより「うんこ」と書かれて喜ぶセンスあるヤツらが挫・人間を愛してくれているのだ。
僕はこいつらを愛しぬく義務がある。この愛は転売出来ない。僕らの信頼は他人には見えない価値なのだ。

彼女とは僕からお願いしてツーショットを撮ってもらった。
水性ペンで書いたサインのように、その写真はもう消えてしまったが、彼女は今もライブハウスに来てくれているだろうかと、たまに考えることがある。

挫・人間

2008年、熊本で結成。"閃光ライオット2009"の決勝大会に進出し、同大会のキャンペーン・ガール、夏未エレナが選出する"夏未エレナ賞"を受賞。2013年に1stアルバム『苺苺苺苺苺』を発表。2021年3月にUSEN STUDIO COASTにて単独公演を実施した。2023年11月に新体制初となる東名阪ワンマン・ツアーを開催。2024年3月には2年7ヶ月ぶりのアルバム『銀河絶叫』をリリースし、全国ワンマン・ツアーも行う。

挫・人間

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