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INTERVIEW

Japanese

cinema staff

2012年06月号掲載

cinema staff

Member:辻 友貴(Gt) 飯田 瑞規(Vo&Gt) 三島 想平(Ba) 久野 洋平(Dr)

Interviewer:天野 史彬


-歌を歌いたいっていう欲求はずっと持ってたんですか?

飯田:持ってました。ギターを弾き始めたのも、歌うための手段としてやってただけで。歌いたいからバンド始めたっていう感じです。

三島:僕は、小さい時から家にギターがあったんで、なんとなく弾いてはいたんですけど、中学校の時にゆずを聴いて、熱狂的な“ゆずっこ”になりまして。自分でもやりたいなと思ってギターを持って友達と路上に出たりしてたんです。でも、高校に入ってバンドもいいなって思ってからは、邦楽ロックを聴き漁るようになって、で、高2の時にナンバーガールを初めて聴いたんです。それがセンセーショナル過ぎて、自分の中で価値観が全部変わっちゃって。向井さんに凄い憧れましたね。僕は元々フロントマン気質というか、一番前に立ちたいと思ってる男なんですけど、向井さんはバンドの全部のイニシアチヴを取ってる。でも、歌は下手だし。なのに、なんでこんなにカッコいいんだろうって思って。そこからオルタナ/グランジを一通り聴いて“これだ!”と思ったのが、cinema staffを始める直前ですね。で、それ以来その音楽性をメンバーに強要しましたね。“これを聴け! お前らぬるいんじゃ!”って(笑)。

飯田:口調も変わってたよね。

辻:凄く高圧的になってました(笑)。

-(笑)。メンバーそれぞれがまったく異なるバックグラウンドを持ちながらも、次第にオルタナティヴな音楽に惹かれていって、cinema staffに繋がっていくっていう感じなんですね。じゃあ、cinema staffが結成されてから、全員で共有して目指していたものってあったんですか?

三島:やっぱり、始まった頃はナンバーガールなんですよ。俺はナンバーガールになりたかったから、“ギターをテレキャスにせえや”とか“シングルコイルにしろ”みたいに言ってて(笑)。でも、それは徐々に挫折していくんです。その時、一番重要ポイントだったのは、飯田くんの歌だったんです。俺は最初、“もっとダーティーに歌え!”“もっと叫ぶように!”って言ってたんですけど、できなくて。でも、時を経るごとに、徐々に自分の中でそこに開き直っていったんですよね。これはこれで、もしかしたら面白いのかも知れないって。それは多分、自分がリスナーとして成熟していったところがあったからで。大学に入って音楽サークルに入ったんですけど、そこの先輩が凄い幅広く音楽を聴いてて、そこにモロに影響を受けて、耳も成長したりして。さっきも言ったように、ナンバーガールとかのオルタナに出会った高2くらいの頃は“オルタナ以外はクソだ”みたいに言ってたんですけど、そういう偏見が全部取っ払われて。ハードコアでもいいもんはいいし、歌モノでのいいものはいいじゃんって思った時に、飯田くんのこの歌もいいじゃんって思えたんです。そこで開き直るポイントがあったんです。そこが、今のcinema staffの始まりだと思いますね。

-飯田さんは、三島さんに“もっと叫べ”と言われた時、どう思ったんですか?

飯田:凄く悩みました。実際、自分もそう思ってたんです。自分の歌がどんどん嫌いになっていって。でも、言われたように歌いたいと思ってもどうしてもできないし、自分の歌がそこに合わないことはわかってて。それでずっと悩んではいたんですけど。でも、たとえば自分の好きなバンド、SONIC YOUTHにも、個性があるじゃないですか。たとえ過去のバンドに影響を受けたとしても、自分を出す部分はしっかり出してる。だから僕らも、過去のバンド――たとえばナンバーガールだったらナンバーガールをそのまんま真似することがカッコいいんじゃなくて、影響を受けつつも、自分たちのやれることをやることがカッコいいんじゃないかと思って。それなら、さっき三島くんが言ったようにグワーって鳴ってる音の中に自分の声があったら、むしろそれが個性になるじゃん、武器になるじゃんって気づくようになってきましたね。