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INTERVIEW

Japanese

ラックライフ × LACCO TOWER

2016年03月号掲載

ラックライフ × LACCO TOWER

-それで、自分たちのイベントに誘おうと思ったきっかけは?

PON:最初の滋賀のライヴで、怖い人たちやなと思ったときから、ライヴはめっちゃかっこいいと思っていたんです。ただそのときのライヴがあまりに壮絶で。ステージ上がぐっちゃぐちゃになってて、"怖すぎる、この人たち......"と。かっこいいとは思っていたけど喋れなくて。そこからずっと音源だけ聴いていたんです。でも、自分たちの気合い入れたイベントやからこそ、LACCO TOWERに出てほしいなと思って誘ったんですね。

塩﨑:でも、当時はお互い連絡先を知らなかったんですよ。顔も知ってるし、名前も知ってるけど、最初の一歩を踏み出せない関係が続いていて。たしかDOOKIE FESTAのマネージャーを通じて、連絡先を教えてもらったのかな?

LOVE大石:そう、それで電話をしたんです。LACCO TOWERも"I ROCKS"をやっていたから、イベントの趣旨をよく理解してくれたんですよね。でも滋賀でのライヴ以降、対バンすることもなかったから、ラックライフのことをどう思ってるのかわからなかったんです。ぶっちゃけて言うたら、ライヴを観ていいバンドだから企画にも出てくれるっていうことが多いと思うんですけど、LACCO TOWERはライヴを観てないにもかかわらず出てくれたんですよ。それと、そのあとの2マンに誘ったのも大きかったと思うんですよね。ガチンコで、かっこいいバンドと2マンでライヴしたいっていうので、LACCO TOWERとはそのときそこまで話したことがなかったし、ここで一度ちゃんと繋がりたいなと思って話をしたら、啓示が――

塩﨑:呼び捨てか。今の、そのまま使ってくださいね(笑)。

LOVE大石:受け入れてくれて(笑)。

塩﨑:"GOOD LUCK"自体は、次でvol.38で、なんばHatchに会場を移したのが2014年かな? "GOOD LUCK"という企画は長く続けてるけど、なんばHatchにチャレンジしたときのタイミングが僕たちが"I ROCKS"というイベントを立ち上げたタイミングとも近かったし。大きなハコでやることの苦労がわかるんですよね。ブッキングも自分たちでやっているし、いろいろと共感できるところがあって。志も近かったので、即答したんだと思いますね。それで、翌年の2015年は見事にイベントの日程自体が、被るという。

LOVE大石:しかも、誘ってるバンドも5個被ってたんですよ(笑)。

-共通点が多いんですね。

塩﨑:そのとき唯一、両方に出たバンドがircleで。ircleは"I ROCKS"でトップバッターを務めて、そのまま大阪に行くっていう。

松川:お土産を託してな。"これ持ってってくれ"って(笑)。

-両者のイベントの話が出たところで、それぞれこうした大きなイベントを始めようというのは、どういった思いがあったんですか。

LOVE大石:まず、ぶっとんだことをしたくて。"キてるバンド"みたいなのってあると思うんですけど、自分たちが大阪の中心のバンドとして立ちたいっていう思いもあったんですよね。大阪では南の方が、例えばGOOD4NOTHINGとかが中心でやってる"SAKAI MEETING"があって盛り上がっていたんですけど。大阪の北の方は、そういうバンドがいなくて。

-だったら、自分たちでその場を作ろうと。

LOVE大石:自分たち発信でやりたかったんですよね。こんなにいいバンドがいっぱいいるのに、なんでみんな目をつけてくれないんかなとか、人気出えへんのかなと思って。そういうシーンやバンドを盛り上げるためっていうのもあるんですけど、1番は、なんばHatchというデカいハコで自分たちがイベントをやりたいという思いがありましたね。地元の先輩がそういうことをやっていたら、後輩も夢があると思うんですよ。しかも、サブステージも作って、後輩のバンドが出られたり、そこに出たいって思ってもらえたら、高校生とかがバンドを頑張るきっかけになるかなとか思ったんです。でも最初は、メンバーには"嫌や"って言われたんですよ、(笑)。

-"嫌"というのはどなたが?

PON:たぶん、俺っすね。

LOVE大石:"だって怖いもん"って(笑)。

PON:嫌じゃないですか。1年中そのイベントをプレッシャーに感じ続けなきゃいけないし、コケたら今後一切そういうことができひんくなるし。自分らの周りのバンドでなんばHatchのキャパでライヴやってる人は当時まだおらへんかったし。勇気がいるというか。でも話しているうちに、"どうにかなるんちゃうかな"って頭おかしなって(笑)。"やろうか"って言うて。

塩﨑:誰しも最初は怖いもんだよね。

-地元のバンドはもちろん、イベントの在り方として、他にどんなバンドに出演してもらおうというイメージはありましたか。

LOVE大石:お客さんいっぱい入れないとダメなので、地元の子たちに関しては"力貸してくれ!"っていう意味でも後輩たちに声をかけていったんです。でもやっぱり先輩バンドも呼びたいっていう気持ちもあって。なんばHatchっていう会場なら呼べるいい機会でもあるし。ただ、メンツは決まるかどうかが見えないので毎年、怖いんですよね。そういう意味で、1年目は当初は決まらんと思っていたLACCO TOWERが決まってくれたのは、結構デカかったんですよね。お客さん自体も、LACCO TOWERのお客さんがすごく多かったので。僕らの次に多かったです(笑)。

塩﨑:いいよ、それ言わないでも(笑)。お前らが1番呼ばなきゃダメだろ!

-(笑)LACCO TOWERが"I ROCKS"を立ち上げたときはどんな思いがあったんですか。

塩﨑:いま話を聞いていて、似てると思いましたね。後輩や地元のこともそうだし、活気づけたいという気持ちがひとつと。あと、僕らは10年以上バンドをやっていて、何も残せてないなという悔しさがあったんですよね。何かひとつ形にして、それをずっと続けていくのがまず大事かなと思ったんです。大阪にはイベントもかなりあると思いますけど、群馬はイベントがあってもすぐになくなっちゃうんですよね。恒例のイベントみたいなものがなかなか根づかない。その中で、"I ROCKS"は今年3年目で苦労もありますけど、続ける意味はデカいなと。自分たちが動いてる姿を見せないと、人は動かないんですよ。自分たちのそういう背中を見てかどうかわからないですけど、周りのバンドが手を貸してくれる割合も高くなっていて。そういうのは今年すごく感じましたね。