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INTERVIEW

Japanese

ラックライフ

 

ラックライフ

Member:PON(Vo/Gt)

Interviewer:TAISHI IWAMI

ラックライフが所属事務所を移籍し、新作ミニ・アルバム『Unbreakable』をリリースした。"壊れない"という意のタイトルが示す通り、彼らがこれまで発し続けてきた酸いも甘いも踏まえたうえでのポジティヴなメッセージと、牽引力や包容力に満ちたメロディをさらに磨き上げ、サウンド面ではこれまでの実績に頼ることなく、新たなアップデートを試みた、並々ならぬ決意をダイレクトに感じるドラマチックな作品となっている。今回はバンドのフロントマンでありすべての作詞作曲を手掛けるPONに、バンドを始めた頃の衝動から移籍の理由、全曲の制作過程とライヴやファンへの想いをじっくり訊くことで、"今のラックライフ"の魅力を徹底解剖する。

-今回の取材にあたって、改めてラックライフの歴史を辿ってみたんですけど、まず10年以上メンバー・チェンジもなく、止まらずにバンドを続けてこられたことは、シンプルにすごいです。

我ながらすごいなって思います。ラックライフとしては2020年の3月で結成12周年なんですけど、高校生の頃から同じメンバーでやってるんで、合わせると14年。振り返ってみると、特に20代はバンドのことだけを考えて駆け抜けてきたなって思います。ほかに何か大きなことがあったか考えてみても、バンドにまつわること以外、ほぼ思い浮かばないですから。

-おっしゃるように、PONさんはバンド一色、ラックライフ1本に身を捧げてきた方だと思います。それに対してライトな質問で申し訳ないとは思いつつ、訊いてみたいことがあって。息抜きになる趣味とか、あります?

それがないんですよ。ほんまに無趣味で。お酒も飲まへんし、ギャンブルもせえへんし、"俺、何を楽しみに生きてるんやろ"って、最近よく考えるくらい何もない(笑)。友達夫婦の家に行って、そこの子供に会うことが唯一の楽しみかも。

-ラックライフ以外の音楽を聴くこともあまりないんですか?

全然聴かないんです。音楽というか、歌うことが好きなんですよ。だから、カラオケとかはちょくちょく行きます。そうですね、趣味は歌うことなんやと思います。

-カラオケでは何を歌うのですか?

誰と行くかによりますけど、めっちゃJ-POPです。バンドとか、洋楽とか、全然通ってないんですよね。

-では、ミュージシャンを志すようになった経緯を教えてもらえますか?

最初は子供の頃に、KinKi Kidsに憧れて歌う人になろうって思ったんです。しばらくして"ASAYAN"っていうオーディション番組で、堂珍(嘉邦)さんと川端(要)さんが選ばれて、CHEMISTRYがデビューしたじゃないですか。"俺もこうやって歌手になるんや"って思ってました。

-それなのに、バンドマン。

高校に入ったときに、ドラムの大石(LOVE大石)と出席番号が続きで席が前後やったんで、いろいろ話してたら、軽音部のライヴを観にいこうって誘われて。正直、バンドそのものにはあまり興味がなかったんですけど、人気者になれそうやから始めたのが、ラックライフの前身なんです。

-そこからシンガーの夢には戻らなかったんですね。

僕にとってバンドは人気者になるための手段で、全然本気じゃなかったんです。高校を出たらオーディションを受けて、ソロかユニットかなんかでやっていこうって思いつつ、高校を出てからも続けてた、みたいなテンションで。そこから20代の初めくらいまでは、誰か大きな会社の偉い人がソロで引き抜いてくれるんやろなって、思ってましたし、もしそうなったら、ぶっちゃけメンバーは置いていく気しかありませんでした(笑)。でも、だんだんとバンドが面白くなってきたんですよね。そして自分の生活の一部どころかすべてになっていって。

-子供の頃から抱いていた夢を超えてくるほどの、バンドの魅力ってなんですか?

ライヴですね。4人がひとつの握り拳みたいになる瞬間があるんです。それはきっとソロのバック・バンドでは味わえへん、いつも一緒にいていろんな時間を共有してきたバンドやからこその、気持ち良さなんやと思います。そのあとはもうバンドだけのことを考えて必死にやってきて、気がつけば12年。

-そして2019年夏。ここにきて所属事務所を"株式会社ユークリッド・エージェンシー"に移籍したのはなぜですか?

まず、一番大きい理由は、マネージャーが大怪我をして、前の事務所を辞めることになったから。もはやメンバーのひとりくらいの気持ちやったんで、一緒に夢を追いかけることを選びました。

-迷いはなかったんですか?

かなり迷いましたよ。前の事務所もレーベルもほんまによくしてくれたし、マネージャーだけでなく、いいスタッフもいたし。アニメのタイアップも継続的にやらせてもらったからこそ今の僕らがあるし、感謝の気持ちでいっぱいです。でも、僕はJ-POP育ちやし、いつかは紅白に出たくて。もし、その夢が叶ったとして、そこにマネージャーがいない光景は考えられへんかったんですよね。

-アニメのタイアップを多く担当したことは、ラックライフの知名度が上がった最も大きな要素のひとつ。しかし、それはアニメに特化したレーベルの信頼度があってこそ。紅白などお茶の間を見据えたときに、そこを離れることはリスキーだと思わなかったんですか?

アニメのタイアップがあって今があるんで、そこがなくなることは正直怖かったですし、なんやったら今でもビビッてます。でも、それよりもマネージャーの意見を貰いながら、ともに夢を追いかけたかったんです。

-そして今回のミニ・アルバム『Unbreakable』は、移籍後の1stリリースなので、数字的な結果が見えるのはまだ先ですが、その"ビビッてる"気持ちとはどう折り合いをつけてるんですか?

アニメのエンディングを聴いて"この曲、誰?"って、調べることはしても、CDを買ってライヴまで観に行くエネルギーってすごいじゃないですか。

-"いいな"と思うことはよくありますけど、たしかに。

気になっても、せいぜいYouTubeで何回か観るくらいがほとんどやと思うんです。そう考えたら、CDを買ったりライヴにまで来たりしてくれて繋がった人たちとの絆って、そんなに緩いもんじゃない。そもそも、僕らはタイアップ用に曲を書いてたわけじゃないんで、ちゃんといい曲を作っていいライヴをやってれば大丈夫やろと。ちょっと強がりもありつつ、やったろかいな、言うてますけどね(笑)。

-言うてますけど(笑)。タイトルの"Unbreakable"は"壊れない"という意。そこに並々ならぬ決意を感じます。

今年の3月に、僕らのホームやった高槻RASPBERRYっていうライヴハウスが閉店したんです。僕らは、世の中のみんなが思う以上にRASPBERRYにどっぷりやったんで、かなりショックでした。僕は特に、高校を卒業すると同時に履歴書を持って行って、そこから6年くらい働かせてもらってましたし。辞めてからも曲作りに煮詰まったら、アコギを持って遊びに行って、いろんな人と喋ったり、ホールを借りて曲を作らせてもらったり、生活に欠かせない場所でした。だから、僕らは4人とも、高槻で生まれ育ったわけではないんですけど、ライヴの終わりには"高槻のラックライフでした"って言うてますし。そこからさらに、マネージャーが辞めるってなって、感情の起伏も激しくなって、これは僕らもラックライフを終わらせるタイミングとちゃうんかな、とか考えるようにもなって。

-そこまで考えたんですね。

音楽やるのに年齢は関係ないとは思いつつ、もう30歳になり、諦めるならなら今かなとも思ってました。でも、メンタルはそんな感じで最悪でも、やっぱり歌いたいことがあって届けたい人がいて、根っこにある気持ちはまったく変わらへん。それやったら、ボロボロの旗でも、改めて掲げてやっていこうぜって。そういう気持ちですね。

-"壊れない"という決意がすごく伝わってくる作品だと思いました。どの曲も、ラックライフらしいポップの真ん中を貫きつつ、アップデートされています。まずは、1曲目の「理想像」。アンセミックなコーラスにハッとして、そこからの展開は、爆発力はありつつも、流れがシームレスで美しい。そして、そのサビの向こうにもうひとつ抜けのいい景色があります。まさにラックライフのネクスト・レベルを提示する曲になったのではないかと。

そんなに意識はしてないんですけど、曲作りの方法が最近になって変わったことが影響している部分はあると思います。これまでは、僕が弾き語りで作ったものをスタジオに持って行って、"せーの"で合わせる、すごくアナログなやり方やったんですけど、今はパソコンを使ってちゃんとプリプロをやって、作るようになりました。