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INTERVIEW

Japanese

マカロニえんぴつ × Skream! × バイトル

2019年08月号掲載

マカロニえんぴつ × Skream! × バイトル

マカロニえんぴつ

Official Site

メンバー:はっとり(Vo/Gt)

インタビュアー:吉羽 さおり Photo by 石崎祥子

マカロニえんぴつ × Skream! × バイトル
キャンペーン情報

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https://www.baitoru.com/contents/geki/44.html#oubo


-いろんなバイトをしてきて、印象的だったことはありますか?

カラオケは酔っ払いの相手が大変でしたね。でも、経験として接客業をやっていたのは良かったなと思います。自分がお客さんとしてどこかのお店を利用したときに、されて嫌なことがわかっているから。飲み散らかした片付けとかが一番ダルかったですけど、たまにテーブルにまとめてくれている人とかがいると、すげぇ優しいなと思って嬉しかった覚えがありますね。ただカラオケのときは、バイトの先輩があまり好きではなかったです。カラオケ屋って、外に出て"カラオケどうですか"って声を掛ける仕事もあるんです。だいたい1時間交代なんですけど、寒い冬に2時間経っても、3時間経っても、"戻っていいよ"っていう連絡がなくて、"俺いつまでやるんですか"ってインカムで聞いたら"いいよ、戻って"みたいな感じで。"これいじめだろ"って、嫌な先輩がいたなぁっていう思い出があります。

-人間関係はいろいろ学びがありそうですね。

そうなんですよね。いい人もいるんですよ。バンドをやっているお兄ちゃんがいたので、その人と話している休憩時間は好きでしたね。ただその人、メタルをしている人だったので、好きなバンドが被らなかったんです。俺がひたすら奥田民生の素晴らしさをその人に語っていた覚えがありますね。あまり食いついてなかったですけど。

-改めて学生時代のことも聞いていきたいのですが、"自分は音楽でやっていくぞ"という気持ちは、いつ頃芽生えたんですか?

バンドを始めたのは高校1年生ですけど、当時はそれで食っていこうとは考えていなくて、ただ楽しくてやっていたんです。でも、そのバンドが本気になってきて。高校3年間でひとつのバンドしかやってないんですけど、コピバンとかじゃなくて、最初からオリジナルのバンドだったんです。周りにもそういうバンドは多くなかったので。

-注目されそうですね。

ミゲルというバンドだったんですけど、毎月地元の高校生イベントに出たり、自分たちが主催してライヴをやったりもしてました。田舎のライヴハウスの高校生イベントって、お客さんがすごく入るんです。みんな遊ぶ場所もないし、ライヴハウスに遊びにいくっていうのが特別なことだったみたいで。だからイベントも毎回パンパンで、それで、これは売れるなと勘違いしたんでしょうね(笑)。上京後もそのバンドでいきたかったんですけど、メンバーは就職も考えていたみたいで。ただ俺は、高2~高3あたりの頃はバンドの熱が高かったので勉強もほったらかしで、大学に行く気もなく、フリーターをしながら地元の山梨でバンド活動をしようと思っていたんです。でも親が、"大学は出ておいたほうがいいぞ"って言ってきて、父親が大学を探してくれたんですよ。音大なんですけど、"ロック&ポップスコース"というのがあって、バンドしながら大学卒業の肩書を持つことができるぞっていう。

-夢を後押ししてくれる、いいお父さんですね。

親父もずっと音楽をやっていてバンドマンだったので、親父の存在は大きかったですね。普通は、音大だし学費も高いし、そんなところに行けなんていう親はいないと思うんですけど、"いくらでも出すぞ"って言ってくれたので。母親は最後まで反対してましたけど、説得をしました。"ちゃんとそれでご飯を食べられるようになるんでしょうね?"、"いや、それがわからないのがバンドだよ"とか言いながら。そこカッコつけるところじゃないでしょって今は思いますけど。それで大学で組んだのが、マカロニえんぴつなんです。プロ志向で、"デビューするぞ"って意気込んで僕がかき集めたメンバーだったので、ひたすら頑張りましたね。ただ、バンドに本気になり始めたのは高校時代で、高校生イベントで勘違いしたのがきっかけではありました(笑)。

-なるほど。高校時代のバンドでも本気でやっていたし、ライヴハウスの人がよくしてくれた感じがありますね。

そうですね。高校生イベントにしか出れないバンドもいたんですけど、ブッキングしてくれた兄ちゃんが、ツアーを回っている大人のバンドのオープニング・アクトで入れてくれたりもしたんです。グッドモーニングアメリカのインディーズ時代、2010年の『空ばかり見ていた』というミニ・アルバムのツアーのときに、"すげぇバンドが来るからお前らオープニング・アクトにしてやるよ"って言って、高校時代にグドモ(グッドモーニングアメリカ)と対バンしてました。たなしん(Ba/Cho)さんが、ミゲルのライヴを観てえらく気に入って、"ミゲルー! ミゲル最高ー!"ってあの感じで、MCで言ってくれて(笑)。"なんていい人なんだ!"っていう。

-すごくいい体験じゃないですか。

その2~3年後にグドモがメジャー・デビューしたんですよね。それ以降、ちゃんとお話ししたことがないんですよ。フェスのバックヤードとかで見掛けたことはあるんですけど。

-"あのときのミゲルです"とは言ってないんですね(笑)。こうして自分がちゃんとバンドとしてデビューをして、フェスで会えるっていうのはすごく嬉しいことですよね。

続けているといいことがあるなって思うことが、最近はすごく多くて。ミゲルというバンドは終わったけど、バンドはずっと続けてきたから、最近になっていい巡り合わせとかが多かったなと思います。

-マカロニえんぴつを結成して、大学時代はどういう活動をしていたんですか?

大学内にもライヴハウスがあって、学生は定期的にそこで演奏を披露できたんです。年に数回しかない学内のライヴのためだけにやっている人もいたんですけど、それではまったく意味がないと思っていたので、外で揉まれて強くなろうとライヴハウスで月に2、3本はやってましたね。新宿や下北沢のライヴハウスが多かったです。デビュー前は新宿だとMarbleというライヴハウスにすごくお世話になって、下北沢だとMOSAiCやReG。その3つは頻繁に出てましたね。遠征をしたのは、デビューしてからなのかな。学生時代にデビューしたんですけど、その頃に初めて大阪に行ったくらいですね。

-それは、呼んでもらえた感じですか? それとも自分たちでブッキングをしてですか?

所属していた事務所のマネージャーが取り合ってくれて、"行ってこい"という感じでした。と言ってもド新人だったので、自分たちでレンタカーを借りて機材を積んで、しばらくは自分たちだけで遠征をしていましたね。でも、すごく楽しかった。

-バンドの活動費は、持ち寄りみたいな感じですかね。

バンドの金庫があって、その中でやりくりしていました。でも、ツアーとかをやると、交通費とかガソリン代、レンタル代で結構すぐに飛んでしまうんです。だからみんなバイトをしながら、いくらか金庫に入れていって、なんとかやりくりしてました。

-バンドだとデモ作りとかも自分たちでやりますよね。

デビュー前は自分たちでデモ音源を作っていたんですけど、そのお金は大学の設備で作れたんです。それは助かりましたね。大学で録った音源をライヴハウスで手売りしてました。3曲入り500円とかだったかな。大して売れなかったんですけどね。でも、今メルカリで高額で売られているんです。家に結構あるので、困ったら売ればいいのかなって思って(笑)。