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INTERVIEW

Japanese

アルカラ

2014年09月号掲載

アルカラ

Member:稲村 太佑 (Vo/Gt) 田原 和憲 (Gt) 下上 貴弘 (Ba) 疋田 武史 (Dr)

Interviewer:天野 史彬

-ただ実際、稲村さんがおっしゃるように、この曲はアルバムの中でも特にパーソナルな想いが滲んでいる曲でもあると僕は思ったんですね。"ある日 寒空の下で 少年は 叫んでいた 叫んでいた/ひたむきに ただひたすら ギターかき鳴らして"っていうところからの歌詞を聴くと、この『CAO』っていうアルバムは、「アブノーマル~」や「嘘つき~」の話の中で語っていただいたような、社会やシーンに対する問題意識が多かれ少なかれあったぶん、"なぜ自分たちは音楽を鳴らしているのか?"っていう自分自身の根源にある問いにも向かっているアルバムのような気がして。

稲村:うん......なんかね、自分らが音楽を始めた10年ぐらい前って、よくいろんなバンドを集めてストリート・ライヴとかをやってたんですよ。当時はみんな、思い思いにカッコいいこと言いながらやってて。そういうことを思い出してたんですけど......そこから始まって今日があるのに、また同じように、なんとなくで選んでしまう自分がいて。若い時、少年だった時って、なんか知らんけど無責任にカッコいいこと言いまくってたなぁって思うと、そのときの方が、いいこと言ってたような気もするんですよね。なんか、何も知らなかった頃の自分の方がいい部分もあるなって。そういうことを考えると、そのときの自分は今の自分に対してどう思うのかな?っていうことも考えたり。同じ自分のはずなのに、別人のように感じる部分もあったりとか......そういうことを考えながら書いた曲ではありますね。......なんか深過ぎません? 大丈夫ですか?

-大丈夫です。じゃあ、この曲の"「変わる勇気」と「変わらない何かを」"っていう言葉は、バンドを始めた頃の稲村さん自身と、そして12年アルカラをやってきた今の稲村さん自身の両方を見つめることによって出てきた言葉でもあるんですね。

稲村:やっぱり"変わろう"なんてことは誰にでも言えるし、"変わりたくない"っていうことも誰にでも言えるんですけど、"変わらないこと"と"変わりたいこと"がどっちもあれば、それはどっちも正解なんですよね。別に変化しなあかんわけでもないし、でも変化したらあかんわけでもないし。自分の中の覚悟みたいなものは変わらなくても、歳をとって周りの環境が変わってくると、同じようにやっていくのは難しい。でも、同じようにやっていくためには変えなあかんことがあったり......そういう思いを言葉にしたら、その2ワードになったのかな。若い頃は"変わらないことが大事だ!"って歌っても、今、35歳になってあれから10年15年経って、バンドとしても12年経って、やっぱやり続けるために変わってきたこともあるし。そう考えると、"変わりたい"とか"変われない"っていうのは簡単な言葉じゃなくて、もっと覚悟や意志がある言葉なんですよね。今、アルカラとして12年やってきて、もう1度それを歌えるというか。永遠に続くことなんてないんですけど、でも、芸術は死なないと思うんですよ。その中で自分らがアルカラとして作品を残し続けていこうと思ったら、最初の1年目よりも、12年やった後の1年間の方が、エネルギーや責任感は何十倍にもなってるし、それに対しての覚悟がないと続けていけないんですよね。

-"永遠に続くことなんてない"っていう考えって、実はこのアルバムの最初と最後――Track.1「カラ騒ぎの彼女」とTrack.8「ドナドナドーナツ」で歌われているテーマでもあるのかなって僕は思いました。つまり、このアルバム全体を通して、"永遠に続くものはない。すべてのものには終わりがあるんだ"っていう考えかたがひとつの指針になっているのかなって思うんですが、どうでしょう?

稲村:どうなんですかね?やっぱり続けようとすればするほど、歳とればとるほど、身内もばばあじじいになっていくし、亡くなる人も出てきたりして。その中で、自分が子供だった頃を思い出すんですよね。もう自分が子供だった頃の親の歳にもなってきてますしね。そういうのが繰り返されていく中で"あのときもっとこうしとけばよかった"っていうこととか、いろいろ思い出してて......。自分らがこれからを作っていかなあかん。だけど、それもまた消えていくんやなって思ったんです。でもそれがなんか、儚いけど、綺麗やなって思えるようになってきたんですよね。それがずーっと、何千年も繰り返されてきたんやなって思うと、それもまたロマンティックやなって。"いつか終わる"っていうこと理解するからこそ変わることもあるのかなって思うんですよね。

-すごくわかります。自分がやっていることのすべてが永遠に続くわけなんてない。いつか終わってしまうんだっていうことに気付くのは、表面的に見ればすごく哀しいことかもしれないけど、でも、それをこの先にも繋げてくれる人がいたり、自分にまで繋がってきた歴史の存在に気付く瞬間っていうのは、とても幸福な瞬間でもあるんですよね。

稲村:「カラ騒ぎの彼女」の中で歌う"アバンチュールに揺れている"っていうのは、僕の中では女の子が悪いことをしてるイメージなんですけど(笑)、いつかはそんなこと言っていられなくなるときが来るんですよ。それをわかっているからこそ、彼女はアバンチュールに生きようとするのか、そうじゃないのか......っていう。"永遠がない"って知った瞬間の心っていうのは、趣があっていいなって思うんですよね。「カラ騒ぎの彼女」はすごくミクロなことを歌ってるんですよ。でもそれに対して、「ドナドナドーナツ」は言葉もマクロなんだと思います。だから、どっちも言葉尻だけ取ったら何言ってるかわからへんかもしれないけど、聴く側の経験の中でドラマを組み立ててくれたらいいなって思いますね。別に、まったく違うものとして聴いてくれてもいいし。