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INTERVIEW

Japanese

空想委員会

 

空想委員会

Member:三浦 隆一(Vo/Gt) 佐々木 直也(Gt) 岡田 典之(Ba)

Interviewer:山口 智男

2年の活動休止を経て、デビュー10周年を迎えるタイミングで活動を再開した空想委員会が、復活第1弾となるニュー・アルバム『世渡り下手の愛し方』をリリース。もちろん、彼らはただ帰ってきたわけではない。ダンサブルなアレンジや聴き手を叱咤激励する力強いメッセージが印象づけるのは、自ら掲げる"日々の暮らしで感じる生きづらさ。そこに潜む希望の欠片を探すギター・ロック・バンド"の成長だ。2年の活動休止がファンに寂しい思いをさせたことは間違いない。しかし、彼らはその2年を決して無駄にしなかった。それは3人の言葉からも明らかだろう。

-2年ぶりに活動を再開した2021年は"社会復帰"と題したツアーに加え、約3年半ぶりの新作もリリース。さらにはリリースを待たずに"世渡り下手の伝え方ツアー"と題したリリース・ツアーもスタートさせるなど、精力的に活動してきましたが、改めてどんな1年だったのかというところから聞かせていただけますか?

佐々木:空想委員会の復活が決まったのが2021年の1月11日だったんです。そこからいつ復活を発表するのか、ツアーはどこを回るのか――当時はまだ新型コロナウイルスが大流行していたときで、緊急事態宣言がまた出たタイミングだったんですけど、"感染防止対策をしながらでも、やっぱりツアーはやりたいよね"ってことを決めていきながら、あっという間に1年が終わってしまったので、だいぶ忙しかったですね(笑)。

岡田:あっという間でしたね。

佐々木:今はセルフ・マネージメントでやっているんですけど、"あ、こんなにやることがあるんだ。まだまだ勉強不足だな。ライヴハウスの押さえ方も俺はわからないんだ"ってところからの再スタートだったので、今までは事務所とレーベルにほんとにお世話になっていたんだってことが身に染みてわかりました。でも、インディーズ・デビュー、メジャー・デビューを経験して、今はセルフ・マネージメントでというふうに、いろいろなことを経験してきたんですけど、今はまたデビューする前の空想委員会に戻ったような感覚もあって、忙しいけど、何をやっても新鮮というか、楽しみながらできてるという1年でした。

三浦:最初は"活動は再開するけど、ゆったりやろうよ"って話をしてたんですけどね。そしたら、全然ゆったりじゃなかったっていう(笑)。

佐々木:"誰、ゆったりやろうって言ったの?"って何度も言い合ってました(笑)。

三浦:"話と違うじゃん"って(笑)。でも、近年稀に見る面白い1年でしたね、僕は。暇な時間がないって幸せだなって思いながら1年過ごしてきて、あっという間に終わっちゃったし、今は2021年の1年間でやったことが2022年に繋がっていくのがものすごくありがたいことだと感じてますね。だから、いい1年だったと思います。

岡田:空想委員会が止まっている間も音楽はやってたんですけど、やっぱりぽっかりと穴が開いた部分もあって、その部分っていうのが2021年は完全に埋まった状態で進んでいったので、もう完全体の1年でした。思い残すことはないです(笑)。

三浦:えっ、終わっちゃうの(笑)?

岡田:いや、それぐらい充実してたっていう(笑)。来年はさらに良くなるんでしょうけどね。

-三浦さんが2021年4月にリリースしたソロ・アルバム『空集合』の「フォトグラフ」という曲に佐々木さんと岡田さんは参加されていましたが、あれが再始動のきっかけになったんですか?

佐々木:いえ、そうじゃないんです。きっかけはいろいろあるんですけど、コロナ禍で世の中も元気なかったし、コロナ禍のせいで不幸になってしまった人もいたし、僕らも音楽を演奏する場所がどんどんなくなっていって、"あ、これ、いつ音楽ができなくなってもおかしくないな"って状況になったじゃないですか。もともと、空想委員会は現体制活動終了ということでお休みしていたので、再始動なのか、解散なのか、どっちにしろけじめはつけないといけないと思っていたんですけど、コロナ禍になって音楽ができなくなったときに、もう1回やっておけば良かったと思うことが怖くて。だったらやれなくなる前にやったほうが絶対いいと思ったし、空想委員会が復活することで、待っていたファンが少しでも元気になってくれるなら、それは音楽家として一番いいことなんじゃないかというのもあって、みんなに声を掛けたんです。そしたら岡田君も三浦君も"いいよ"って言ってくれたんですよ。

岡田:それをプロデューサーの時乗(浩一郎)さんに話したんですよ。そしたら、"三浦君がソロ・アルバムを作ってるから1曲参加してみたら"って言ってくれて。それが「フォトグラフ」だったんです。

-三浦さんは"ソロ・アルバムを作ったことで、音楽がまた楽しいと思えるようになった"とおっしゃっていましたが、再始動を持ちかけられたのが、また楽しいと思えるようになったタイミングだったから、"いいよ"と答えられたところもあるんでしょうか?

三浦:そうですね。ソロを作ってなかったらやってないですね。音楽が嫌いなまま足を洗ってたかもしれない(笑)。でも、ソロを作らせてもらったおかげで、"全然大丈夫。やろうよ"ってすんなり言えましたね。

-再開後、どんなふうに活動していこうと話をしたんですか?

佐々木:それが"ゆったりやっていこう"だったんですよ(笑)。活動休止前はもう目まぐるしかったんで、そのせいで活動休止したってわけではないんですけど、今は各々にサポートの仕事もしてますし、ソロもやってますし、俺的には空想委員会はしっかり活動しつつ、でも、めちゃめちゃツアーをやって、リリースもしてじゃなくて、できるときにやっていこうってイメージだったんですけど、イメージだけでした(笑)。

岡田:ハハハ(笑)。

三浦:全然、忙しいもんね(笑)。

佐々木:でも、誰よりもお客さんが楽しんでくれてるから、それが良かったなってすごく思います。

-『世渡り下手の愛し方』の12曲は、書き下ろしの新曲だそうですが、1月11日に再始動を決めてから作ったんですか?

佐々木:"社会復帰"ツアーが終わってから、ツアーで得たものを曲に、みたいな感じで作っていきました。

-曲を作って、リリースしてからツアーという順序もあったと思うのですが。

佐々木:あぁ、そうですね。でも、ライヴが一番楽しいし、僕らは何よりもライヴ・バンドなので、ライヴを見せたいというのもあったし、実際にお客さんに顔も見せたかったし。"復活するなら、ご挨拶したいよね"ってことで、まずは"空想委員会、帰ってきたよ"って意味で過去の曲のみでやろうってなりました。

-その結果、空想委員会のことを待ってくれているお客さんがいっぱいいるんだなと改めて実感したんじゃないかと思うのですが、さっきおっしゃっていたツアーから得たものっていうのは?

岡田:待ってくれている人が想像以上に多かったと思ったことですね。趣味で始めたバンドを、こんなにたくさんの人が待ってくれてるんだって感動があったんですよ。

三浦:個人的には、空想委員会の曲って学生の頃の恋の話が多かったんで、歳を取ってから歌えるのかっていう不安がずっとあって。いい歳をしたおやじが"あの子の存在を独り占めしたい"(2011年リリースの1stミニ・アルバム『恋愛下手の作り方』収録曲「独占禁止法」)とか言ってんじゃねぇっていうのがあったんですけど、意外にやってみたら、お客さんは普通に聴いてくれてるし、楽しんでくれてるし、歌っているこっちも"いやぁ、昔の話でさ"という感覚にならずに、未だに根深いものが胸の内にあるんだなって感じられたので、あ、まだ歌えるわって思えたのは結構大きかったですね。これからも歌えるし新しい曲も作れるし、大丈夫そうだなっていうのは、最初のツアーで感じました。だからツアーからやって良かったです。

佐々木:お客さんに元気になってもらいたいと思いながら回ったのに、結局、元気を貰ったツアーだっていう(笑)。なんか、いつも逆になるんですよね。再結成した理由もそういうつもりだったのに、みんなの反応が嬉しくて元気を貰ったし、なんだこれみたいな(笑)。

-では、そこで貰った元気をまたお客さんに返そうという気持ちで新曲には取り組んでいった、と。

佐々木:そうですね。そういうところはありますね。

-じゃあ、曲作りは詰まることなく?

佐々木:いや、ずっと詰まってました(笑)。それはそれ、これはこれみたいな。でも、待ってくれる人がいるからこそできるっていうのはあるから。これで誰も待ってくれてなかったら、作る意味がないし。

岡田:モチベーションがないもんね。

佐々木:やっぱりライヴの景色とか、お客さんの中には知っている顔もいっぱいいるから、そういう人たちの顔とかを思い浮かべながら、頑張るかっていうふうにはなっていたんで、ずっと詰まってましたけど、乗り越えられました。

三浦:僕はなんのプレッシャーもなかったですけどね(笑)。ソロ・アルバムのときもお話ししたと思うんですけど、嫌いだったレコーディングがまず好きになり、曲を作るのも、もう何を作ってもいいみたいになっちゃったので、全然もう、"7月は曲作りの期間だからね"って言われてたのに四国にお遍路に行ったりしてたから(笑)。

佐々木:あぁ、行ってたね。

岡田:これから作るよって言ってあったのに。

三浦:10日間ぐらい行ってくるわって(笑)。で、帰ってきて急いで作り始めるみたいな。それでも全然、むしろお遍路で考えてたことが全部曲になったので、なんでもありじゃんって。だから、ほんとに自分が楽しいことばかりやってる感じですね。

岡田:僕ももともと曲作りが好きで、しょっちゅう作ってたので、曲を作ることに対して気負うってことはないんですけど、やっぱり復活1発目のCDってことでプレッシャーはすごくありました。その意味で、今までOKにしてたラインをそこで終わらせずに、もうちょっと考えるっていうのはすごくやりましたね。最初は10曲って言ってたんだよね?

佐々木:そう。そしたら12曲になっちゃいました。

-どんなアルバムにしようと考えたんですか?

佐々木:あぁ、それはあんまり考えてなかったですね。

三浦:全体のイメージもなかったかもね。とりあえず曲を作ろうってだけで。

岡田:全曲新曲でっていうのは言ってたね。

佐々木:あぁ、書き下ろしでね。歌詞のテーマ的には社会人の応援ソングのようなものっていうのはざっくりとあったんですけど、曲作りに関しては、いつもそうなんですが、各々に作曲したものを出し合って、選曲していくって流れなので、どこでどういう曲調がいいみたいな話もなかったです。ダサい曲は書いてこないだろうってお互いに信用しながら作ってたと思います。

-活動休止中に各々に活動していたせいか、それぞれの個性と言うか、色が際立ってきたという印象もありましたが、そのへんも意識せず、自然とそういうふうになった、と?

佐々木:そうですね。自分が曲を作るときは、ざっくりとしたテーマですけど、ふたりが書かないような曲っていうのはあるんですけど、それ以外は自然に作りました。コード感は昔よりも意識しましたけど、あんまり変えすぎて、"これ、空想委員会?"ってなっちゃったら違うと思うし。もっとも、僕らが作ってアレンジして三浦君が歌えば、空想委員会の曲になるんですけど、やっぱり空想委員会だなって思えるような楽曲にはしたかったです。でも、そんなに意識してないですね(笑)。