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INTERVIEW

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三浦隆一

三浦隆一

インタビュアー:山口 智男

2019年4月に活動休止した空想委員会のフロントマン、三浦隆一がソロ・アルバム『空集合』をリリース。空想委員会とはまた違うバンド・サウンドを打ち出した全10曲は、リラックスした軽やかさや聴きやすさとは裏腹に歌詞からは心の奥底を覗き込んだ印象も。ひとりの人間の再生を謳い上げるような内容から、今回のインタビューはきっと重苦しいものになるんじゃないかと出かけていったところ、そこには様々なことを吹っ切って、圧倒的に自由になった三浦隆一がいた。音楽をやめようとまで思っていた彼が再び音楽をやっていこうと思えるようになるまでを語ってくれた。

-当初、2020年4月にリリースする予定だったソロ・アルバム『空集合』が1年の延期を経て、ついにリリースされるわけですが、とても聴き応えがありました。

ほんとですか!?

-最初は、曲によっては牧歌的なところもある軽快なバンド・サウンドが心地いいと思いながら聴いていたんですけど、聴いているうちに段々、歌詞が引っかかりはじめて、これはと思って、歌詞カードを見ながらじっくり聴いたら、どんどん深いところに入っていたのでちょっとびっくりしながらも聴き応えがあって。

嬉しいです。ありがとうございます。

-全10曲で44分。大作というわけではないのですが、メロディとサウンドの聴きやすさとは裏腹にひとりの人間の再生を謳い上げながらカタルシスを感じさせる作品だと思いました。いきなり長々と喋っちゃいましたけど、三浦さんご自身、どんな手応えがありますか?

ミュージシャンというか、音楽をやる人として、続けていけそうだなっていう手応えというか、自信がつきました。今まではあんまりなかったんですよ(苦笑)。

-えっ、なかったんですか?

はい(笑)。空想委員会のときとは違って、音楽を続けていけるというか、続けていきたいと思えた作品になりました。

-このアルバムを作るまでは、続けていけるかどうかあやふやなところもあった、と?

空想委員会を活動休止させる直前は、もう音楽をやめようかなぐらいの感じだったので。たぶん新譜も出すこともないだろうし、そもそも曲を作ることもないだろうと思っていました。裏方になろうと思っていたんです。でも、周りの方にいろいろ誘われて、曲を作っているうちに、あぁ、曲作りって面白いんだなって、また思い出して。だから、作れて良かったです(笑)。

-では、今回の『空集合』は空想委員会が活動休止してからソロ・アルバムを作るまでの三浦さんご自身の気持ちの変化がそのまま反映されているんですか?

そうですね。2年間ぐらい思っていたことを全部詰め込みました。

-それにしても、なぜ音楽をやめようと思ったんですか?

曲を作って出しても誰もハッピーじゃないというか、そんな感じに思っていたんですよ。

-誰もハッピーじゃない......。

もちろん、お客さんは喜んでくれてましたけど、出しても売れないものをやっていても果たしていいんだろうかって思ってました。音楽を続けていっていいのか、いや、続けてちゃダメなんじゃないかという思いは結構ありましたね。

-空想委員会が活動休止するときに、"大好きな音楽とともに生きていくためには一度走るのをやめ、これから進む道をしっかり考えるべきだと思いました"と三浦さんはコメントされていましたが、"進む道"の中には音楽をやめることも選択肢としてあったんですね。

ありました(苦笑)。自分が作る曲に対して、こういうメロディは誰でも作るだろうとか、こういう歌詞は誰か考えるだろうとか、そういう思いはずっとあって。応援してもらっているのは、作品ではなくバンドなんだろうなって、自分が作品を作っている意味はあんまり感じてなかったかもしれないです。もちろん、いいと思って作ってはいるんですけど、別に俺じゃなくても代わりはいるだろうなって気持ちがずっとあって、それを感じながらずっと活動していたんです。それがもうきついということになって、"1回考えたいです"ってメンバーに言って、活動休止したんです。

-周りの人からいろいろ誘われて、また曲を作るようになったそうですが、いろいろというのは?

まずCDを出そうよって言ってくれたのが、(空想委員会の頃から所属している)Bellwood Recordsの時乗(浩一郎)さんというプロデューサーで、こちらから"出したい"と言ったわけではなくて、"出さない?"と言われたので、"いいですよ"って乗っかったんです(笑)。曲でいうと、「フォトグラフ」は青森県のライヴハウスの経営を助けるためのクラウドファンディングがあって、それに曲を貰えませんかと頼まれたので、いいですよって作りましたし、「分岐点」という曲も時乗さんが作ったチャリティっぽいコンピレーションCDに1曲貰えないかって言われたので作りましたし。そういう感じで、少しずつ始まっていったんです。だから今回、全部後乗りなんですよ(笑)。だから、気楽な気持ちで、自由に作っていたので、"あぁ、曲ができない"みたいなのもなかったですね。

-そうやって"作らないか"と言ってくれる人がいるというのは、三浦さんじゃなきゃ作れない曲があって、それを求めている人が世の中にはいるということですよね?

それはそのとき、感じました。初めて感じたかもしれないです。需要があるんだ、曲を作ってほしいと言ってくれる人がいるんだ。だったら作ろうとやっていったら、意外といい曲ができたというのが積み重なっていって、リリースまで漕ぎつけたという感じですね。

-まっさらなところから、成功や挑戦のチャンスを求めて、走り始めたことを宣言するようなアルバムだと思うのですが、走り始めるひとつ前にぐっと沈み込んでいるじゃないですか。

ハハハハ。

-自分の内側の深いところに沈み込んでいる印象があって、歌詞の中の言葉を借りると、三浦さん自身の中の魔物と向き合ったと思うのですが、その作業は結構苦しかったんじゃないでしょうか?

いえ、そんなに苦しくなかったです。むしろ、楽になったという感じがありました。作品に価値がないと思っていたけど、実はあったんだとか、自分だから誘ってもらえたんだとか、そういうことに改めて気づくなかで、自ずと自分と向き合うことが多くなっていって、そしたら失敗したらイヤだなと怖がっていたことがどうでもよくなった......と言ったら言い過ぎですけど、別にいいじゃんって思えたんです。だったら、またできるかもって気持ちが変わったんですよ。

-曲を作るたびに気持ちが楽になっていった、と?

そうでしたね。デビューする前に戻った感覚はちょっとありました。好きに作って、できた! 良かった! という感じにもう1回戻りました。それが良かったです。

-アルバムのリリースがコロナ禍の影響で1年遅れましたが、リリースを待っている間に新たなに手を加えたところはあるんですか?

曲はもう決まってたんですけど、そこからまた曲を作って、入れ替えました。「自演乙」はそうですね。8曲ぐらい作って、結構入れ替えようと考えたんですけど、もともとあった曲も強かったので、結局、他の曲とはカラーが違う「自演乙」だけ入れようってなりました。曲を作るときの気持ちは最初とそのあとではかなり変わっていたと思います。音楽をやる意味を考えていた時期なので、マインドとしては結構違いましたね。新たに8曲作ったときは音楽が好きになっていたんですよ。その前は、そんなに好きじゃなかった。コロナ禍の影響で延びて良かったとちょっと思います(笑)。

-一曲一曲、できた曲からレコーディングしていったんですか? それとも何曲かまとまってからレコーディングしたんですか?

全曲出揃ってから一気に録りました。

-今回のレコーディングのコアになっているバンドのメンバーが豪華ですね。

豪華ですよね(笑)。

-どんなふうに集めたんですか?

藍坊主の(渡辺)拓郎(Dr)さんは、空想委員会がインディーズのときのレーベルの先輩なんですけど、時乗さんが呼んでくださって、そこで初めてちゃんと喋りました。モノブライトの出口(博之/Ba)さんは何度も対バンしたことがあって、もともと仲良かったんです。出口さんもバンドが止まっちゃって、DJ活動をいっぱいやっていたので、ベースを弾いてほしいと思って、お願いしたら、"全然やるよ"って言ってもらえて。ギターのKenji Smith(ex-ウソツキ)も彼がウソツキにいる頃から仲良かったんですけど、バンドをやめてヒマそうだったんで、"ヒマならやらない?"って誘ったら、"やりますやります"って(笑)。だから、拓郎さん以外は、本当は楽器を弾けばいいのに弾く機会がない人たちに頼んだって感じです。ちなみにアレンジはデータでやり取りして、レコーディングの当日だけ全員がスタジオに集まって、"せーの!"で録ったんですよ。僕はみんなのことを知ってますけど、みんなは初対面で、"よろしくお願いします"、"じゃあ、やりましょうか"って感じで(笑)。でも、3人ともすごくバランスが良かったので、レコーディングしながら時乗さんと"人選ばっちりでしたね"って。いいレコーディングでしたね。楽しかったです。

-空想委員会の岡田典之さん(Ba)、佐々木直也さん(Gt)も参加しています。

「フォトグラフ」で弾いてもらいました。最初、僕は参加してもらおうとは思ってなかったんですけど、空想委員会のインディーズ・デビューとメジャー・デビューどっちもひっぱってくれた時乗さんが"ふたりにやってもらったらいいんじゃない?"って提案してくれたので、"じゃあ、お願いしますか"って(笑)。そしたらふたりも快諾してくれたんです。