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INTERVIEW

Japanese

the cibo × アルカラ

2020年03月号掲載

the cibo × アルカラ

アルカラ:稲村 太佑(Vo/Gt)
the cibo:前川 翔吾(Vo/Gt)
インタビュアー:吉羽 さおり Photo by 新倉 映見

-前川さん自身は、一時期はソロのような活動になっていたようですが、seekからthe ciboへというなかではどういう変遷があったんですか。

前川:seekというバンドが終わってすぐに、歌を修行しないといけないと思って、"1年間、武者修行します!"って弾き語りをやっていたんです。そのあとに、the ciboを作ったんですよ。その弾き語りでも、初ライヴは、"心響アンプラグド"っていうART HOUSEのイベントだったんですよね。

稲村:ART HOUSEは地方のライヴハウスなので、毎日スケジュールが埋まるわけではないんですよ、バンドもそんなにおれへんし。

前川:赤裸々ですね(笑)。

稲村:パッと見たときにスケジュールが埋まっていないと、このライヴハウスまわってないのかなと思われたら、ここから先、来そうなバンドも来なくなるじゃないですか。だから、僕も従業員をやっていたし、バイトを全部入れんでも照明も自分でできるからイベントをやろうって、各バンドのヴォーカルだけ呼んで始めたのが"心響アンプラグド"で。"とりあえずメンバーの人数だけ呼んでくれたらええから"っていうので、やったやんな。8アーティストくらいで、それぞれふたりは入れろって言うてるのに、そのふたりすら入らなくて10何人とかでやっていて。

前川:やってましたね、当時(笑)。

稲村:こっちは売り上げとかよりもスケジュールを埋めたいなという気持ちで、そんなときに修行したいっていうぜん君がいて、どっちもウィンウィンで。こうやってぜん君みたいに、自分たちの学びとか、歌の修行やって捉えてくれる人もいたっていうのは、一石三鳥分やね。

前川:太佑さんのドリカムとか、最高でしたよ。

-一度はバンドが解散しても不安であるとかはなかったんですね。

前川:音楽をやめる選択肢は一切なかったんです。じゃあ次っていう感じで、バンドがなくなって翌月くらいから弾き語りをはじめていましたね。当時のやめるやめないとかもそうですけど、最近はまた悩んでバンドをやめていく同世代が増えてきていて。全然想像はつかないですけど、太佑さんにもそういうときってありました?

稲村:音楽をやめたら、俺なんにもないからな。悲しいけど。

前川:ひとつ聞きたかったのが、太佑さんがミュージシャンじゃなかったら何をやっていたのかなっていうことで。

稲村:よく聞かれんねんけどな、わからんねん。だって音楽から今も学んどるしね。音楽じゃなくても、同じように何か目標や好きなものを見つけたら、同じように熱情を持って同じような学びが、たぶんあるんやろうけど。俺、大学に行っとってん。

前川:そうなんですね、知らなかった。

稲村:ちゃんと書いてもらいたいくらい、こいつ大学行ってないと思われてるから(笑)。ちょうどぜん君がseekを始めたり、解散したりする時期くらいに、俺も前にやっていたバンドを解散していて。それで、大学を卒業してからアルカラというバンドを組んだんやけど。大学に行くとな、周りが就職すんねん。

前川:うん、そうですよね。

稲村:関西のまぁまぁいい大学行っとるから。

-それこそみんな、就職するなりさらに進学するという進路になりそうですね。

稲村:僕、高校のツレとかもみんな医者とか弁護士とかそんなんばっかりだから、同窓会すごいおもろい。俺だけ、なんかポケモンきたみたいな感じで。

前川:はははは(笑)。

稲村:大丈夫なん、こいつ? っていう。で、大学に行くと、今から就職活動しないともう間に合いませんよみたいに煽ってくるやん。その就職活動するような時期に、急に事故って1ヶ月入院しとって。そんな(俺にとって)無駄なことに時間を費やそうとするなと言われたのかなと思って、病室にギター持って行ってた。手、折れとったから弾けんかったけどな。

前川:ダメじゃないですか(笑)。

稲村:結構、周りに流されるタイプやねんけど、そういうときにバッシーンと叩かれんねんな。だから、結局ここにいったのかなって。それくらい、腑に落ちたっていうか。たとえバンドをやめても、じゃあひとりでやりますっていうのになるのも、それが細い通りにくい道やとしても、そこしか見えないっていうか。という感じはするかな。

前川:なるほど、そうだったんですね。

-神戸のバンドにとってのアルカラっていうバンドは、どういう存在なんですか。

前川:特に僕はART HOUSEという場所で、ガラガラのお客さんの反応もないようなとこから始めて。太佑さんがアルカラやってわかって、ライヴを見に行ったときに、その自分の始まりの場所がパンパンで。お客さんがみんな手を上げていてっていう景色を見て、強烈な憧れを抱くというか、僕もああなりたいっていうような感じだったので。僕は夢を見させてもらっている感じなんです。僕らが頑張れる大きな理由は、太佑さんが先を行ってくれていて、あそこに行きたいっていう追いかける道を作ってくれていることで。思い出したのは、アルカラが"ROCK IN JAPAN FESTIVAL"に初めて出演するとなって、先輩があのステージに立つのを絶対に見たくて、ひとりで飛行機に乗って前乗りしてフェスに行きましたね。だから神戸の、僕らの中では強烈な憧れであり、頑張れる、自分も夢を見れるような偉大なバンドですね。

-神戸って、いろんなバンドや面白いバンドが集まりやすいような土地柄だったりして、環境は何かあるんですかね。

稲村:絶対的に神戸は、どのライヴハウスもバンドマンがやってるからというのが大きいと思います。今もそうですね。ずーっと各ライヴハウスは、元〇〇の誰々とか、今〇〇の誰々っていうやつがやってますし。それは、恵まれてるなと思いましたね。

前川:たしかにそうですね。

稲村:どうやったら人が入るかを、一応考えているんですけど。でもそれよりも、もともと音楽をやっていた側で、あるいは今もやっている側だから、どうやったら自分らにしかできない音楽を出していけるかみたいなところにグッとくるところがあって。そういうところが、神戸の人の経営力がない感じになっていくっていうね。

-音楽をやっている人たちだからこそ、アンテナがちがうんですね。

稲村:アンテナはちがうと思いますね。ちょっと面白いところは、その比重が高いわけじゃないけど、ほかと比べたらだいぶ高いのかな。

前川:そうですね。あとは特に太佑さんの時代は強烈な個性のバンドがむちゃくちゃ多かったですよね。

稲村:好きやってん。謎の人が。

前川:それでもかっこいいし、人は集まるし。へんてこりんとかそういう個性ではなく、かっこいい強烈な個性のバンドたちが多かったんですよね。

稲村:あれはすごいよな。ほんますごい財産やったなと思うし、そういうのと一緒に居れたのは。

前川:ジャンルレスで1日、切磋琢磨してるようなイベントやったりしてましたよね。

稲村:いつも、そんなに人は入らないんですけどね。でもなんか、いい影響はし合っていて。

前川:僕はずっとそういうART HOUSEとか神戸のライヴハウスに遊びに行っていたから、他の人が持ってない"財産"をライヴハウスで体感できて。あれを見れているからこその自信っていうのは、音楽に変えられているかもしれないですね。