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INTERVIEW

Japanese

amazarashi

2016年03月号掲載

amazarashi

Member:秋田 ひろむ(Vo/Gt)

Interviewer:沖 さやこ

-Track.5「百年経ったら」のように"みんな"が地球を出て行く曲もあれば、Track.6「ライフイズビューティフル」では"俺らの夜明けはもうすぐそこだ"とも歌っていらっしゃいます。人間を肯定する曲もあれば人間を否定――というと言葉が強くなってしまいますが、そういう曲もあると思いましたが、ここまで両極端な曲が生まれた理由は?

どっちも本心なんですけど、両方なきゃいけないと思って。そういう両極を意識して作ったわけではないですけど、人生って意外とそんなことあるぞみたいな感覚です。光が強ければ陰も濃くなるので、今回は陰を濃く描くために「ライフイズビューティフル」のような曲が必要だったと思います。

-混乱した感情がそのまま音楽になっているようでありながら、同時に物語のようにアルバムが進んでいくところも美しい流れだと感じました。作品の統制を取ることと心情吐露のバランスはどのように取ってらっしゃるのでしょうか。

アルバムを作り始めた時点で、いい曲は揃ってる実感はあったので、それをそのままリリースするという選択もあったんですが、どこか物足りない感じがあって、それがちょうど僕が悩んで落ち込んでる時期と重なって、もうひとつ意味を重ねられないかと考えて今回のような構成になりました。地味かな、とか重いかな、とか悩んだんですけど、今現在の感覚を形にすることを優先しました。

-「ライフイズビューティフル」、「吐きそうだ」(Track.7)、「しらふ」(Track.8)の流れは秋田さんを取り巻く生活を強く感じさせながらどんどん現実が非現実に侵されていくような感覚でぞくっとしました。お酒もキーワードになっていますか?

そうですね、酔っぱらいがテーマの3曲です。この並びは意識しました。どれも僕の日常です。「しらふ」に関しては昔の僕の状況を歌っているので今となっては非現実的ですが、かつての日常だったことは確かです。

-「しらふ」は朗読とポエトリーの中間で、歌詞に合わせて音もとてもシリアスだったので印象的な曲でした。秋田さんにとってポエトリー・リーディング曲の存在の意味が少し変わったのかな、とも思いましたが。

「しらふ」は今までのインタールード的な役割とは明確に違っていて、メロディもなく、言葉だけで1曲の熱量を超えるという挑戦でした。以前にも「冷凍睡眠」(『あんたへ』収録)とか長編のポエトリー・リーディングは作ってたんですけど、より剥き出しの言葉だけに重きを置いたものを作りたかったです。

-秋田さんが、小説を執筆されるようになってから、歌詞にはいろんなギミックが感じられるようになりました。シリアスなことを綴っていても表現方法はユニークで、メッセージが豊かに響いてきましたが、ご自身で歌詞への変化を感じたりはしますか?

あまり歌詞の変化に自覚はないです。いつも何か新鮮なことをやろうという気概はあるんですが。状況や環境も変わったので視点も変わったかなと思うことはあります。歌詞はあくまで自分本位で、あまり作為が紛れないように意識して作ってます。

-Track.10「エンディングテーマ」は"満たされていないってのは 幸せなのかな"というラインがとても印象的でした。どういうタイミングでこのように感じられたのでしょうか。

生きるうえでのモチベーションとか、ハングリーさが足りないなと思ったのがきっかけかもしれません。そういう何かを渇望する瞬間を描くことで自分を鼓舞したかったんだと思います。満たされなさで渇望が得られるなら、1番満たされない状況である死を描くことで、1番の渇望を表現したかったんです。

-ラストのTrack.12「収束」を聴いて、ますます世界は"収束"ではなく"終息"の道を辿っているような、それと同時に収束の真逆を行くような気もしました。秋田さんが「収束」という曲に込めた想い、そして"収束"という言葉に込めた想いとはどういうものでしょうか?

「収束」は、いくつもの可能性が結局はひとつの結末に辿り着くというようなイメージで書きました。人類滅亡が僕の描く最良の結末だと思いました。悲観、虚無主義的ではありますが、これが僕らが抱える未来への不安の正体だと思います。そこの闇を明確に提示するのが今回のアルバムでやりたかったことです。

-勘違いでしたら申し訳ないのですが、1曲1曲で"お前はどうなんだ?"と問われているような気もして、背筋も伸びました。ですが優しさを感じる箇所も多かったです。秋田さんは今、大勢に音楽を届ける立場としてどうするべきだとお考えでしょうか。

あまりそういう"大勢に音楽を届ける立場"とか意識しちゃうと重荷にしかならないので、僕は好き勝手に言いたいこと言ってるのがいいと思ってます。

-『世界収束二一一六』はamazarashiが積み重ねてきたこととバンドの変化を突き詰めた作品だと思いました。ひとつの節目なのかな、とも思いましたが。

結構、リリースのたびにこれは節目かな、なんて思ったりするんですけど、今回もそうなりました。僕の生活をどう音楽に還元するかというのもテーマだったかもしれません。今になって思うと。

-amazarashiは"死なないための理由"のために"生きる"ことを必死に掴もうとしていたとも思いますが、シングル2作から"どう生きるか"を考えるところにシフトしているようにも見えます。ご自身で"生きること"への想いの変化を感じることはありますか?

そうですね。もう死ぬまで音楽をやることは決めたので、なんとなく人生を逆算してる感じはあります。焦らずマイペースでやりたいです。