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INTERVIEW

Japanese

amazarashi

2013年04月号掲載

amazarashi

インタビュアー:沖 さやこ


-秋田さんは青森県むつ市にお住まいですが、やはり北国のかたにとって“春”という季節は特別なものなのでしょうか。


 

「春待ち」は今年に入ってから作ったので、真冬まっただ中で、早く春が来ないかなーと思いながら作ってました。北国の冬はしんどいので、春は特別かもしれません。

-ポエトリー・リーディングの“詩”と、メロディのある“歌詞”との違いを、秋田さんはどうお考えですか?

 

ポエトリーの方がメロディの枠がないぶん自由なんですが、「春待ち」の様に韻を踏んだり、文字数をそろえたり、定型なものになるとそんなに変わらないと思います。気分的にはポエトリーの方がのびのび書ける気がします。

-「風に流離い」はストリングスとコーラス・ワークがやわらかく、歌詞とのバランスが興味深いです。歌詞も楽曲の前半はとても鋭く攻撃的でしたが、後半では“脅し”と綴られていた“希望”を感じられるものになっているのも印象的でした。こういう葛藤が秋田さんにあったのでしょうか?

 

僕の今現在から見た、僕の人生についての歌です。昔の作品の「光、再考」という曲も自分自身の人生についての歌で、あの時は自分を肯定することが最優先でああいう歌になったと思うんですが、「風に流離い」はそれ以降というか、自分を肯定して踏み出して、希望も見えてきて、というところを歌詞にしました。

-“手を差し伸べてくれた人”に“感謝”をしているけれど“自分のために今は歌いたい”と歌われていますね。“誰かのために”ではなく“自分のために”という考えに行き着いたのはなぜでしょうか。

 

感謝の歌にすることも出来たと思うんですが、amazarashiに力を貸してくれてる人たちはそういうのを望んでないと分かったので、こういう歌詞になりました。自分らしく歌うことが1番の恩返しだと思ってます。

-「ジュブナイル」は少年少女世代の若者に歌われていると思うのですが、これは現在の若者に向けてでしょうか?それとも若かりし頃の秋田さんに向けてでしょうか。

 

リスナーの若い頑張ってる人たちに向けて作ったんですけど、昔の自分と重なる部分もあって、僕自身を奮い立たせるものでもあると思います。

-「性善説」は「風に流離い」と通ずるものがあると思います。この壮大なテーマに向かい合うのは非常に体力が必要だったのではないでしょうか。性善説とは孟子が説いた“人は生まれつきは善だが、成長すると悪行を学ぶ”というものですが、これを歌うキッカケになった出来事は何でしょうか?

 

2番目の歌詞に出てくる“馬鹿な男の下世話な自慢話に 子供を連れ車両を変える母親を見たよ”という歌詞は実際に見た光景で、それがきっかけでこの曲が出来ました。タイトルやテーマは仰々しいんですが、身近な、手の届く範囲での歌詞になるように意識しました。

-「ミサイル」はダンサブルでキャッチーなサウンドが、否定も肯定もしない歌詞の無機質さを生々しく出しているような気がしました。“僕らの自由とは不自由で”のようにamazarashiの歌はその対極的なものが表裏一体だと歌っているものも多いと感じています。秋田さんはあらゆることをそうお考えですか?

 

対極的な歌詞を書くのは言葉遊びの部分もあって、分かりやすい引っかかりになりやすいんですが、そこからなにかしら真実めいたものが見つかる時も多いので、よく書いてしまいます。あと、なんでも疑ってかかる僕の性格もあると思います。

-「パーフェクトライフ」で歌われているのは、秋田さんの音楽人生のことなのではないかと思ったのですが、いかがでしょうか。また秋田さんが考える“完璧な人生”とはどういうものでしょうか。

 

そうですね。音楽人生の歌だと思います。いろいろ大変な分、素晴らしい体験もさせてもらっているのでこういう歌が出来たんだと思います。自分を“完璧な人間”と言える人は少ないと思いますが“完璧な人生”だったら意外と言えるんじゃないかなと思います。

-東名阪ツアーの東京公演は3回目の渋谷公会堂ですね。ホールとライヴハウスでは、心持ちや見せ方は変わりますか?

 

やっぱり大きい場所だと緊張も大きいですし、気持ちは全然違います。でもどこでも同じ感覚でやれるようにならなきゃなと思ってます。amazarashiの歌のゴールは人に届くことだと思うので、ライヴはCDとは違うもうひとつのゴールです。僕らの歌を直接届けて、なんでもいいんで感じてもらえればと思ってます。