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INTERVIEW

Japanese

アルカラ

2012年08月号掲載

アルカラ

Member:稲村 太佑 (Vo&Gt) 田原 和憲 (Gt) 下上 貴弘 (Ba) 疋田 武史 (Dr)

Interviewer:天野 史彬


-バンド・メンバー4人揃ってそういう話をすることってあるんですか?

4人:ないですね(笑)。

疋田:セッションで曲を作っていくので、なんとなく“こいつ、いきたがってるな”とか、“ここは引いたほうがいいかな”とか、全部が全部を言わんでも、なんとなく阿吽の呼吸みたいなものでわかるんで。もちろん、いちいち言わなわからん部分もあるんですけど、全部変に話し合うっていうよりも、楽器を合わせながら見えてくるものが多いような気がします。

下上:段々と、周りの楽器が聴けるようになったのかもしれへんな。ここは歌やな、ここはドラムやな、ここはベースやな、ここはギターやなっていうのが。少しずつですけど見えてきてるのかもしれないですね。

-前はそれぞれの自己主張が強かったですか?

田原;自己主張というか、周り見えてなかったというか。必死やったかもしれないですね(笑)。

-なるほど(笑)。この『ドラマ』っていう作品は、今までの話にあった変化があってこそだと思うんですけど、メッセージ的にも研ぎ澄まされてるなって思うんです。アルカラが今までずっと音楽を通して言ってきたことって、一貫して“音楽も人間も単純なものじゃない。複雑で、額面通りいかないこともある。だからこそ楽しいんだ”っていうことだと思うんですけど、それがこのアルバムでは今まで以上の強度を持った音と言葉になってますよね。

稲村:そうですね。“みんなで楽しんで前向いて歩いていこうよ”みたいな言葉って、無責任にもほどがあると思うんですよ。そう思いたいけど思えない人もいたら、思えるけど実践できない人もいる。表裏一体という言葉があって、失恋するからこそ恋愛を知ったり、失うからこそ愛を知ったり、そうやって人間は成長するって昔から言われてるじゃないですか。要は、綺麗な部分は汚い部分があるからこそ成り立つんであって、暗い部分を受け入れてないのに明るい部分って歌えへんなっていうのが僕の中にあるんですよ。だから今の僕は、汚い部分と綺麗な部分の両方を歌ってるんです。両方の中でどっちにも取れるような書き方をしてるんですよ。……でも、最近わかってきたことがあって、もしかしたら20年くらい経った時に、“笑顔で楽しく遊びましょう”みたいな歌ばっかり歌ってるかもしれないなって思うんですよ。

-真っ直ぐな、ある意味で単純な言葉の中にある意味にも意識的になったっていうことですか?

稲村:今までは、ずっとそれを否定してきたんですけど、もしかしたらそういうことも言えるようになるのかなって、最近は思えてるというか。今回、原点に回帰して自分の過去を見たりする中で、単純なことって、もしかすると一番難しいのかなって思ってるんですよね。言葉にしても、深みのある言葉を選んでいこうとすればするほど内容はわからんくなっていったりするし。でも、内容をわかりやすくすればするほど、伝わるべきことが安っぽく伝わってしまったりもするし。なんかもう、答えはないじゃないですか。だから、今の自分は表裏一体、両面性っていうものを歌えなあかんなって思ってますけど、でも、自分が今まで響かなかった歌も、もしかすると今後、響いてくるのかもしれないなって思ってて。

-それはさっき言ってくださった、音楽的な引き算の話にも繋がってきますよね。足して飾っていくことによって、見えづらくなる本質もあるっていう。そういう思いがあったからかもしれないですけど、今回のアルバムって、今までいろんな物語であったりユーモアを交えて言葉にしてきたものを、凄くストレートに放ってますよね。自ら泥をかぶりに行っているくらい、自分の思いを吐き出してる感じがして。

稲村:そうですね。今回、“君”っていう言葉や“愛”っていう言葉をふんだんに使ったのは、“その言葉の何を知ってんねん?”って思う自分がいたとしても、敢えて挑戦したかったからで。過去の作品で軽く言葉を選んでこなかったからこそ、そこをバツとしてきた今までをもう1回見つめ直して、2周目に行きたかったんです。前だったら、“私”とか“あたい”っていう言葉で使ったり、敢えて劇画チックにしてみたり、セリフっぽくやってみたりして、ちょっと真ん中よりズレた第三者的な視点になるようにしながら詞は書いてましたけど、それは、どっかで泥をかぶらないように、“自分は第三者として歌っていますよ”って言いたかったからだと思うんです。でも今回はおっしゃるように、歌い手として自分の言葉を使ってみましたね。

-だから、今までで一番、稲村さんのパーソナルな部分が表出した作品でもあるのかなっていう気がするんですよね。特に最後の「ビデオテープ」とかは、まさに稲村さんが自分自身に向けて歌っているような内容の歌詞ですし。

稲村:そうですね。でも、自分でもまだ、その変化に対してしっくりきてない部分と、逆にしっくりきてる部分もあって、まだ客観的に見え切れてない感じもあるんですよね。下手したら次の作品を作るってなった時に、やっと、この作品についての良し悪しがわかるのかもしれないですし。……でもまぁ、ずっと同じままじゃ面白くないので、“今回変わったな”って言われたいし、言われるだろうし、言わせられたのなら、よかったのかなっていう感じはありますね。……たぶん、“アルカラっぽい”ていうのが聴いてる人の中でも違うと思うんですよ。メンバーの中でも違うし、僕もようわかってないし。その中でやっていく中で、いろんな変化の可能性を含めれたら面白いなって思いますね。幾通りにも道があるっていうのは、迷うこともありますけど、楽しみがあるっていうことなんで。