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INTERVIEW

Japanese

ASIAN KUNG-FU GENERATION

2011年06月号掲載

ASIAN KUNG-FU GENERATION

Member:後藤 正文(Vo&Gt)

Interviewer:沖 さやこ


-そうですね(笑)。

その破壊力って永遠にあるんだな、そっちの力を信じたいな、みたいな。「ひかり」は言ってることが分かり過ぎちゃうっていうか、語り過ぎるから。……もうちょっと言葉の力と役割を、音楽の上では落としたいなっていうのを『マジックディスク』作った後に思った。

-でもアジカンの歌詞と言えば日本語の語感の良さじゃないでしょうか。私、初めてお聴きしたのが8~9年前なんですが、その時の「日本語ロックでここまで出来るんだ、言葉の音とメロディと演奏が同調してる! 面白い!」って衝撃、今でも忘れられません。

自分でも『君繋ファイブエム』の頃の面白さや良さにまた注目してて。なんか言ってること分かんないし、文だけ見ると分かんない。だけど歌ってみれば分かる気がする、みたいな。そういうものの魅力っていうのも音楽のひとつだなって思ってて。あるとき言葉がハッと入ってくるけど、ある瞬間では凄い踊れるとか。感覚と語感と意味を混ぜながら遊びのあるものをたくさん作っていくのって、いいかなーとか思ったんだよね。だから「ひかり」は最初から最後まで歌詞を読んでるみたいに聴いちゃう。その重さは日本語ロックのひとつの機能なんだけど。そうするとでもね、リスナーは詞の方にどんどんイントゥしてって音楽のことを置いていってしまったりするところもあるから。僕は音楽と言葉のいいフィーリングの落とし所がある気がしていて。例えば「All right part2」は歌詞にあいうえお作文入れたりして、言葉のコラージュ・アートみたいな感じで作っていったんだけど。「音楽を楽しもうぜ!」みたいな、フィーリングが伝えたかっただけで。

-この曲のイメージがNANO-MUGENに繋がっているっていうのは……。

それは、あんまし関係ないね(笑)。

-あ、そうですか、失礼しました(笑)。

曲は“好きなこと”を作る感じ。いい曲作れば自分達の活動に全部繋がっていくんじゃないかな。

-コンピに収録される曲は基本的にシングルにもアルバムにも収録されませんよね。ASIAN KUNG-FU GENERATIONというバンドにとってNANO-MUGENのコンピの存在ってどういうものなんでしょう?

僕らは自分がフェスやって、コンピを聴いてほしくて曲作って出すわけで。「ブラックアウト」は本当にいい曲だったから入れちゃったけど、アルバムにもう1回どうせ入るんだったら買わないよね、コンピなんか(笑)。

-ははははは、確かに(笑)。

そういうのは買ってくれた人への裏切りだと思うから。俺もそういうのが好きだったのね。「レア曲持ってるー」みたいな(笑)。

-この廃盤のシングルのカップリング超いい曲なんだぜ、とか。

そうそうそう。なんかのコンピに参加した曲が本当に良くて、でもアルバムに入ってないんだとか、そういうのも音楽の楽しみ方のひとつだから。そういう時にしか聴けない曲があっても面白いよね。

-お話お聞きしてると、リスナーの視点やリスナーとしてのご自身を大事にされてますね。

今ちょっとね……3・11以降ね。CD買うスピードが鈍ってるし、買ったけどまだ開いてなかったりとか。リスナーとしてはちょっとグッと止まっちゃってる……もう少し掛かるかな。今厳しいよ。実際厳しいと思う。音楽聴けないって人まだいると思うな、少しは。

-そんな状況で、フェスをやって、音楽活動をしていくのは非常に強い覚悟が必要だと思うんですが。

どうなんだろうね? でもライヴとかを見に行ってみたりすると、やっぱいいなぁ……ってだんだん解きほぐれてるところもあって。もしかしたら今はパーソナルに聴くよりも、みんなライヴハウスとかに来たほうが安心するんじゃないかな。「あ、同じこと思ってる奴はいっぱいいるんだ」って。NANO-MUGEN FES.は、自分の気持ちの上でも復興していくための記念碑みたいなものにしたいと思ってるんだけど。このフェスを成功させて、もうひとつ前向きな気分を取り戻せたらいいなぁって。みんなもそういう風になったらいいと思うしね。東京も地震が続いてて、放射能も降り注いで。やっぱでもね……この街に住んでるからそう簡単には出ていけないしね。そういう中でどうやって誇りみたいなものを取り戻していくかってところで……文化的なものってそういうところにしか作用出来ないんだけど、それでも誰かの力になれればそれでいい。NANO-MUGENはどうしても成功させたいな、って。