Skream! | 邦楽ロック・洋楽ロック ポータルサイト

MENU

INTERVIEW

Japanese

ガガガSP × フラワーカンパニーズ

 

ガガガSP × フラワーカンパニーズ

"音楽を続ける"ことは現状維持だけでは困難だ。結成30周年のフラワーカンパニーズとデビュー20周年のガガガSPはそれを長く体現してきた。"ずっと変わらない"感のある両者だが、都度自身の"常"を加味しその印象を保持。ひいてはそれらに魅了された多くの者たちとここまで歩んできた。初共演から15年超。数々のライヴを経て信頼関係を育んできたこの両者。その音楽性や世代違いなどはあれど、全体的に近い"人間臭さ"や"泥臭さ"を共に感じる。そんな2バンドがガガガSPのニュー・アルバム『ストレンジピッチャー』の発売に際し初座談会。ガガガSP側はコザック前田&山本 聡、フラワーカンパニーズ側は鈴木圭介&グレートマエカワが、同新作での大胆な変化とその驚き、そこに至る心境の機微などをはじめ、両者の関係値や長寿命バンドの要所、過去のターニング・ポイントを振り返り、"続けていく"ことの大変さや大事さを今語り合う!

ガガガSP:コザック前田(唄い手) 山本 聡(ギター弾き手)
フラワーカンパニーズ:鈴木 圭介(Vo) グレートマエカワ(Ba)
インタビュアー:池田スカオ和宏


今後長く活動していく際に、フラカンが今後の自分のお手本や見本になる確信があった(前田)


-これまで自身のライヴやイベント、対バン・ライヴやツアーに呼び、呼ばれし、その関係値を育んできた2組のように映りますが、遡ると最初の共演はいつ頃になるんですか?

マエカワ:最初にやったのは2003年の"SET YOU FREE"での大阪編でしたね。

前田:僕らや銀杏BOYZやら、当時の日本語パンク系のバンドが多く出たイベントでした。その大阪のBAYSIDE Jenny公演のゲスト枠でフラカン(フラワーカンパニーズ)が出ておられて。その枠というのが、全国各地で異なった先輩格のバンドが出演してくれたもので、もちろん以前から聴いてたし、大好きだったんで、あのときはすごく嬉しかったのを覚えています。

鈴木:そうそう。あのイベントは"おじさん枠"があったもんね。俺らそっちだった(笑)。

マエカワ:でも、あの日は自分たちの中で分岐点のひとつでもあったんで、今でもすごく印象深い。ホントあの日はショックだった。

-その"ショック"の理由は?

マエカワ:当時はメジャーを離れ、マネジメントを自身でやり始めて1~2年だったんだけど、いろいろと模索しながらライヴをやっていて。自分たちではそこそこ頑張ってる自負があったんだけど、その日のイベントを観て、そこに出ているバンドたちのすごさとお客さんの熱さに、今までに自分たちが見たことも感じたこともない熱狂を覚えたんだよね。と同時に"このようなバンドたちが熱狂的に受け入れられるし、盛り上がるシーンがあるのなら、俺たちももっと頑張れるかも......"と自信になった日でもあった。

鈴木:そうそう。移動中の車で話をして。普段自分らは移動のとき会話はほとんどないんだけど、"昨日はすごかったな......UKでSEX PISTOLS やパンク・シーンが現れた際の熱狂ってあんなんだったんだろうね"、"対して俺たちパブロック・バンド(※パブのような小さな会場で少人数に対してライヴを行うバンド)みたいな存在だったな......"って(笑)。

マエカワ:鈴木が"俺たち、まだまだだな。気合入れ直さなくちゃな......"なんて言うわけよ。そんなこと珍しくて。それが嬉しかったのと、どこかモヤモヤしていたものが吹っ切れ、何か目標や目指すものが見えた気がした。あの日からいろいろなことが好転し出した気もするし。

鈴木:当時、日本語であれだけの熱狂を作り出せて、お客さんの心を掴んでいる。あの"言葉でイケる!"、"自分たちみたいな泥臭い姿勢でも大丈夫なんだ!"という再発見にはかなり勇気をもらったから。

前田:当時は自分たちも日本語パンク・ブームの中にいながらも、シーンに若干の陰りが窺えていた頃で、その先に確実に収束が待っていることを予感しながらライヴをしていた時期だったんです。なので、自分たちでも迷っていた頃ではありました。"他との差別化をどうしようか?"とか。そんななか、YO-KING(真心ブラザーズ)さんやフラカンと一緒にやって、あの上の世代とやれる喜びや、"これだ!"というのに目覚めた瞬間でもあったんです。

山本:そうそう。あの日を境に"俺たちもいつかはこういった方々みたいになっていきたい!"という想いが強くなっていきましたから。

-そのあとツーマンで2007年に四国を一緒に回ったんですよね。

前田:そうそう。徳島ではオープニング・アクトとして四星球も出ましたから。

マエカワ:ツーマンって自分たちだけ盛り上がってもダメだし、相手だけ盛り上がっても良いツーマンとは呼べない。それが基本だと考えていて。自分らも下の世代とやりたかった時期だったし、そんななかハマりが良く、お互いお客さんも含め刺激を与え合えるバンドって......とパッと浮かんだのがガガガだった。

前田:印象的だったのは、"普段鈴木さんは打ち上げにも出ないし、自身の出番以外はほぼホテルに閉じこもって神経を集中させている"って話だったのが、徳島ではずっと楽屋にいて。それは珍しいことだとマエカワさんが教えてくれて、そこでいろいろと話をしたんですよね。

鈴木:ガガガ(ガガガSP)に当時の自分が惹かれたのはURC(URCレコード)を通っていた面で。最初に観たときから"えっ!? これ青春パンク? これ現代版のURCじゃん!"って思った。歌もすげぇ字余りだし(笑)、"オラぁいちぬけた"なんて題の曲もあるし。そのあたりにえらくシンパシーを抱いた。

前田:そのあたりの話ができるのは周りでも少数派でしたからね。そこを汲んでいただき、わかってくれていたのはすごく嬉しかったです。あとは、自分が歳を重ねていき、今後長く活動していく際に、フラカンが今後の自分のお手本や見本になる確信がそこでさらに強固になったんです。"長く自分たちの音楽を続けていける方法"とでもいうか。特にあの当時は"もうこれで終わってもいい"と先のことは一切考えず、無茶苦茶やっていた時期でしたから(笑)。"こんなんで長く活動していけるのか?"と懸念していた時期でもあったし。

山本:当時はライヴでもそのあとの打ち上げでも"どれぐらい無茶できるか"が基準でしたから(笑)。"ケガするぐらいが勲章"なんて考えていた時代に、フラカンの"音楽だけで人の心を動かす"あの姿勢やライヴは感銘を受けました。"あぁ、俺たちもこんなふうに活動していきたい"という指針になったんです。

マエカワ:俺たちも20代の頃はやっぱり"ケガしてなんぼ"って気概でライヴをやってたよ。いや、今でも変わんないかも(笑)。でも、30代で大きく変わったのは曲だよね。鈴木が詞曲共作ってくることが中心になってきて、あんまりノリに頼らなくても、一体感や一緒感が育めたり得れたりするようになった曲ができ出したのがデカい。

鈴木:その頃ちょうどDIYでやり出して、その成果を実感して、それが嬉しかった時期でもあったんだよ。いいライヴをやればそのぶん物販でたくさんCDが売れたり、そのあたりでモチベーションが変わった時期だった。もちろん不安もあったけど、それよりワクワクのほうが上回っていて、すごく楽しみながらやれてた気がする。

-その後、ガガガは自身のイベント(2010年9月25日開催の"長田大行進曲")を初めて野外で行った際にもフラカンに声を掛けてますね。

前田:あのときは1回目だったし失敗したらあとがないので、これはもう自分たちが信頼している、"この人たちと一緒にやりたい"という方々だけに声を掛けました。秋に神戸のスキー場でやったんですが、このシチュエーションで自分が観たいアーティストだけをと。快諾して出てもらえたのはすごく嬉しかったです。で、あのときはちょうど小西(ミスター小西/Dr)さんが療養中で叩けず、クハラ(カズユキ/The Birthday/ex-THEE MICHELLE GUN ELEPHANT etc./Dr)さんが叩いてはった。そこでも、"休止せずとも、こんな乗り切り方もあるんや......"って勉強になったんです。で、その近々の神戸でのライヴではドラムが......。

マエカワ:サンコンJr.(ウルフルズ)だった! でもキュウちゃん(クハラ)とサンコンの両方のドラムを当時観ていたのはすごい! バンドマンではガガガだけかも。