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INTERVIEW

Japanese

フラワーカンパニーズ

2025年02月号掲載

フラワーカンパニーズ

Member:鈴木 圭介(Vo) 竹安 堅一(Gt) グレートマエカワ(Ba) ミスター小西(Dr)

Interviewer:川上 きくえ

結成35周年を迎えてリリースした通算20枚目のアルバム『正しい哺乳類』は、長年詞曲を手掛けてきた鈴木圭介の圭介節と、時代の波に飲み込まれずオリジナリティを貫いてきた彼等のフラカン(フラワーカンパニーズ)節を、じっくりコトコト煮出したような濃厚な1枚。1曲ずつ風景の見えるサウンドも、胸をガリガリと引っ掻く歌詞も、共に歌いたくなるメロディも、間違いなくロック好きを唸らせる。今年9月に決定した、10年ぶり2度目の日本武道館公演"フラカンの日本武道館 Part2 〜超・今が旬〜"に向け、いかに今のフラカンが最高潮であるかを体感してもらえるだろう。


歌の主人公=自分じゃないというところに今は立ってる、いい歳こいて自己憐憫は嫌だなって


-アルバム『正しい哺乳類』、まさにフラカンならではの曲揃いの1枚になりましたね。

マエカワ:このアルバムに入ってないんだけど、『気持ちいい顔でお願いします / セミ・ロング』(2023年8月リリース)と、『天の神さまの言うとおり/スタンドアローン』(2023年11月リリース)というシングルが2曲あって。一昨年から3ヶ月~4ヶ月に1回ずつ出すっていうシリーズものがあったから、3作目の『アメジスト / ハートのレース』(2024年3月)を出した後に、じゃあそろそろアルバムを作ろうかってセッションから始めた感じなんだよね。

鈴木:そう。だから2年前からずっと曲は作り続けてたような感じ。でもまだお客さんの反応も聞いてないし、ライヴで数曲しか演奏してないし。実は俺もまだ客観的に聴けてないんだよね。

小西:僕もこうして1枚できあがってみても、個人的には曲順とか昔からあんまりこだわりがないので、レコーディングで満足してあまり聴き直さなかったりする(笑)。ただ、今回のアルバム制作に関しては鈴木君がどんどん作ってきてくれたから、気持ちも切らさずに向かえたのかなって気がしてます。

-最近、マエカワさんがあちこちで"今すごくバンドの調子がいい"と言ってますが、鈴木さんから上がってくる詞曲もいつもと違ってましたか?

マエカワ:うん、まずできるのも早かった。シングル連続リリースっていうどんどん作らなきゃいけない流れがあったのもあるけどね。3曲出します、5曲出します、次また3曲出しますみたいな感じだったし。ここ数年でよくあった、"気分転換にちょっと1曲ぐらいセッションで作ろうか"とか、俺が鈴木の曲とあえて違う雰囲気で作ったカウンター的な曲とかを出す必要がないくらい、曲がたくさんあったんだよね。鈴木からいろんな曲が出てきてたから、セッションで作るとかリフから作るとかリズムで変化を出す曲が、なくてもいいんじゃないかと思えたのは大きかったし。しかも、今までは弾き語りで作ってきて、"ちょっとこれに適当に合わせて"みたいな曲の仕上げ方も多かったんだけど、今回は"こういうリズムでこんな感じの、この曲っぽい感じでやりたい"みたいな意図が、歌詞と一緒にLINEで事前に送られてきたんだよね。そのおかげでみんなで雰囲気を共有してからスタジオ入れたから、イメージを絞るのも早かった。

鈴木:今の時代、LINEがあるからね(笑)。歌詞とか速さとか、"この曲のここ聴いといて"とか。歌詞だけ置いて、音に関してはまっさらでいくよりかは、なるべく細かいイメージを伝えて、ある程度決め打ちしたほうが早いかなと思って。あくまでヒントとして入れてて、別に変わってもいいですよって感じで送ってました。

マエカワ:たぶんね、去年はライヴが忙しくて、例年程スタジオに入る時間がなかったの。前までは曲ができたらすぐスタジオに入るって感じだったけど、それがなかったんだよね。メニューの変わるライヴが一番多い年だったと思う。もうほとんど脳トレだった。

竹安:だからアルバム制作も、真面目に仕事としてしっかりやったっていうか。ライヴの忙しさがある裏で、曲を仕上げる上で要望が出たものに対しては応えられるように頑張ったつもりだし、また違うってなった場合には、自分の好き嫌いではなくイメージに合うものを自分なりに用意して。出たとこ勝負とか勢いでやってない分、もっとああしたら良かったなというのが今回はほぼないんだよね。しっかり準備して臨めて、うまいこと完成できたってことは、ちゃんと両立できたってことなんだよ。

-忙しかったはずだけど、すごくじっくり作った感はありますよね。音作りやプレイ面に関しては、新しいことにトライしたというところよりも、今持っている得意な部分を磨いた結果が生きているのかなと感じました。

竹安:そうね、磨く感じだよね。自分に不向きなことは全然やってないし、自分の中でも曲に対してあんまり余計なことはしなかった。もちろん、効果的なことをしたいとは思うから試行錯誤はするんだけど、ギターをごしゃごしゃと入れたりするのは違うっていうか。量ではなく、効果的なギターで収めたいと思ってたのは事実で。そういうのもここ何作かで少しずつ出てきた感覚なんだけど、昔と違うこだわり方みたいなのが一番強かったのが今作かもしれない。

-結果的にそこが、ファンの人が、フラカンの演奏において一番好きなところだったりするのかもしれないですね。

竹安:そうだね。力任せというかなんというか......例えばロック・バンドのアルバムで、頭3曲で勝負してますみたいなのって多いと思うんだけど、今回のアルバムとかはそうではなくどの曲もいい曲で、ちゃんと共存できてると思う。

-1曲目からして「ラッコ!ラッコ!ラッコ!」だけど(笑)。でも、「ラッコ(ラッコ!ラッコ!ラッコ!)」で始まっても勢いは落ちないし、むしろド頭からアルバムの許容量を示してますよね。今回、テイストの違う曲が多いので並び順を決めるのは大変でしたか?

鈴木:テイスト、バラバラかな? 俺はまた似てる曲ばっか作っちゃったな~って気がしてたんだけど(笑)。でもそれは、自分が使いやすいコード進行でいくから、気になってるだけなんだろうね。今までも"あの曲と同じコード進行だよ"とかよく言われてたから。

-まぁ、それが癖というかオリジナリティだったりするわけで。

マエカワ:まぁね。しかも、そこにこだわっちゃなんにもできなくなっちゃうから。何事もそうなんだけど。以前はどうってことのないことに自分たちがこだわってただけで、今はたとえ同じことを歌ってても、メロとかテンポとか何かが違っていれば、ちゃんと違う曲になってるんだよ。だから今回も鈴木が作ってきた曲を聴いて、俺は全然テイスト違うと思ったしね。また面白いなと。まずは一度形にしてみて、最終的に他の曲とのバランスとかは、また並べてみて考えればいいことだと思ってね。

鈴木:まぁ、たいていの聴いてる人には関係ないことだしね。一部のそういうこと言いたい人が気付くだけで(笑)。

マエカワ:そうそう。「ラッコ」だって、曲ができたと聞いたときは俺たちも最初は笑っちゃったぐらいだから。鈴木はラッコがもう2年ぐらいずっと好きだからさ、"ついに曲まで作ってきたな!"と思って(笑)。でもリハで合わせてみたら"意外にいいな"ってなって、ワンマン・ライヴでやってみると"意外にいいね"ってなって、じゃあ今度はイベントやフェスでもやってみようかってなって、「深夜高速」(2004年リリースの16thシングル表題曲)を聴きに来た人に「ラッコ」を聴かせる。そうしたらやっぱり盛り上がったし、雰囲気も良かったんだよね。それはやっぱり曲のパワーがあるってことなんだなと。言ってみれば鈴木がラッコを好きなパワーだと思うし。そういうのはまた新しい一面だなと感じるんだよね。



鈴木:本当に好きなものは伝わるんですよ。別にそれがラッコであれラヴ・ソングであれってことじゃない?

-ははははは(笑)。ラッコラッコ言い始めたときに、まさかここまでラッコが重要ポジションに来るとは思ってませんでした(笑)。

マエカワ:そうよ、だってメンバーを差し置いてジャケットのセンターに立ってるわけだから(笑)。

竹安:絶滅危惧種だし。何年かしたらエリマキトカゲみたいな存在になるのか(笑)。

鈴木:なんない、なんない。そもそもエリマキトカゲなんて爬虫類じゃん。

マエカワ:かわいいじゃん。次、"正しい爬虫類"でアルバム作ってもいいよ(笑)。そのくらい俺はタイトル、ジャケットも含めてなかなかだと思ってる。

-「ラッコ」然りなんですけど、ここ数年の鈴木さんの歌詞は淡々と自分の好きなものや疑問を挙げていて、これまで情熱にまみれながら出していた自己表現とは違う方法ができてるというか。自分自身の感情や思想に整理が付き始めてるのかなと思いました。

鈴木:そう感じるところがあるとしたら、前よりも歌と自分が距離を置いているからかも。いろいろ考えていて。その結果、歌の主人公=自分じゃないというところに今は立ってるというか。いわゆる一番歌と自分が擦り寄ってたアルバムが、『吐きたくなるほど愛されたい』(2002年リリース)だったとするならば......実はあれはあれで、ちゃんと距離取ってるんだけど。本当に苦しかったら歌なんて作れないし、やっぱりどこか冷静だったんだと思う。ただ、今回自分と歌の距離を取るということを一番意識してできてるかなと思う。

-なぜ距離を取らなきゃと思ったんですか?

鈴木:いい歳こいて自己憐憫は嫌だなっていう。"いつまで自分を哀れだと言ってるの?"と思われてる節があるから。「深夜高速」のイメージ的に、この人苦しんでもがいてる人なんだなとか思われてたら嫌だなって。すごく直球型の、自分の気持ちをひたすら書き殴ってますみたいな人に思われてるんだとしたら、それは若かったらいいけど、もう55歳だしさ。そこはちゃんと分かりやすく距離を取ろうと思ったんだよね。あんまり言ってなかったけど、実は歌詞の書き方は、そういう自分なりのアップロードはしてたかな。小説でもそうだけど、文章を書くとか、そこの距離の取り方がその作家のアイデンティティということなのかなとも思うし。もしかしたら、もっと自分を曝け出してもがいて! って思ってるお客さんもいるかもしれないけど。