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INTERVIEW

Japanese

シナリオアート

2014年01月号掲載

シナリオアート

Member:ハヤシコウスケ (Gt/Vo) ハットリクミコ (Dr/Vo) ヤマシタタカヒサ (Ba/Cho)

Interviewer:天野 史彬

-僕も昭和62年生まれで近い世代なのでわかるんですが、幼い頃にバブルが崩壊して、その後90年代っていう、どこか社会的に暗さのある時代を原風景として持っているからこそ、現実の痛みも音楽に滲ませざるを得ないってことですよね。たとえば、一時期のFLAMING LIPSやANIMAL COLLECTIVE、もしくはちょっと前に流行ったチルウェイヴと呼ばれる音楽みたいに、多幸感だけを突き詰めたり、逃避的な側面に完璧に行き切ることには、あまりリアリティは感じられないですか?

ハヤシ:そうですね、リアリティはないかなって思います。

-じゃあ逆に、いわゆるフォーク的な、日常を生々しく描写することを追及する音楽もあるじゃないですか。そういう音楽に対してはどう思います?

ハヤシ:そういう音楽も好きなんですけど、現実とかリアルを歌ってる人って、まぁまぁ多いなって思ってて。それやったら、自分らには自分らの役割があるなって思うんです。

-「ホワイトレインコートマン」には、"黒い雨に きみが濡れないよう ホワイトレインコートになって きみを守りたいよ"っていうラインから始まる、他者を救うヒーローっていうモチーフがありますよね。で、作品全体を見ても、他者に向かって救いになるような音楽を奏でたいっていう気持ちが明確に滲んでる曲が多いと思うんです。さっきみなさんもおっしゃっていましたけど、自分たちの音楽が他者の救い、逃げ場になってほしいっていう気持ちは強いですか?

ハヤシ:はい。......なんか、救いもそうなんですけど、意識に訴えかけるっていうことがしたくて。想像力を掻き立てるというか、新しい価値観を生ませるというか。何か、なかったものをその人に気づかせてあげたいっていう気持ちが強いですね。

-いろんなミュージシャンにインタビューしてると、こうやってデビューするくらいのタイミングだと、まだ明確に聴き手や他者っていうものをイメージできない人たちも多いんですよ。でも、それが全然悪いということではなくて。キャリアを積んでそういうものを意識した作品を次第に作るようになる人たちが多い中で、シナリオアートってはじめから凄く聴き手を意識しているなって思うんです。

ハヤシ:あぁ~......なんでやろう。でも、曲を作る上で、自分のためでもあるんですけど、誰かのために作りたいっていう気持ちは強くて。自分が音楽やそこにある言葉に救われているので、自分もちゃんと他人を意識して、誰かに何かを与えたいなって思うんです。自分がもらった愛とか、そういうものを伝えたいなっていう思いが最初からあるので。そういう気持ちを歌った曲が、最後の「アサノシズク」だったりするんですけど。

-「アサノシズク」では、"僕がもらった 朝の光を あげるからさ"って歌ってますもんね。音楽への恩返し的な意味も含めて、聴き手に伝えたいことがあるっていう感じなんですね。ハットリさんとヤマシタさんにもそういう気持ちはありますか?

ハットリ:私は元々目立ちたがり屋なので、昔は自分がやってることだけに満足してたんですけど、今は人に伝えるっていうことが1番大事で。結局、曲があるのも人に伝えるためであって、これが伝わらんと意味がないしって思って。シナリオアートを始めてから、段々と芽生え始めましたね。

ヤマシタ:僕も、聴いてもらってナンボみたいな意識は段々と強くなってて。やっぱり聴く人がいるから、"こんなふうに届けたい"っていう気持ちが出てきたりするし。だから、他者を意識することによって、自分らの出したい音、やりたいことを考えていけるようになってきてるかなとは思います。