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INTERVIEW

Japanese

Lucky Kilimanjaro

Lucky Kilimanjaro

Member:熊木 幸丸(Vo)

Interviewer:蜂須賀 ちなみ

Lucky Kilimanjaroがシングル『実感』を本日4月24日に配信リリースした。今年結成10周年を迎えるLucky Kilimanjaro。しかしメンバーには"成し遂げた"という感覚は薄く、みんなで話していても未来の話題ばかり出てくるそうで、作詞作曲の熊木幸丸の視線も自然と前を向いた。バンドを継続させる情熱をテーマにした表題曲「実感」では、永遠に続くものなど存在しないからこそ、今この瞬間に燃えている炎が美しいのだと、その炎を灯し続けていたいのだと歌っている。カップリングの「次の朝」も含めたこのシングルについて、そしてアニバーサリーのライヴ活動について熊木に訊いた。

-まずは、2023年10月~2024年1月に行った全国ツアー[Lucky Kilimanjaro presents. TOUR "YAMAODORI 2023"]の感想を聞かせてください。

2023年をコロナ明けと言っていいのかはわかりませんが、少なくともライヴ・シーンにおいては、フル・キャパが解禁されて、自由に踊ったり歌ったりできるようになりました。コロナ禍という世界線で活動してきた僕らにとっては、みんなで踊れるライヴを"ようやくできた"という感覚があり、嬉しかったです。これまで我慢してきたことはいろいろとありましたけど、できないことがある状況の中でも頑張ってきたことがひとつ形になって、今みんなと一緒にいいフロアを作れているのが嬉しい。そういうツアーだったなと思います。

-2023年を締めくくるツアーということで、昨年出したシングル『後光』『無限さ』に収録されていた4曲もすべて披露していましたね。

一部の楽曲は他のイベントでやっていましたが、ツアーで初めてやった曲もありました。去年出した曲たちに関しては、2020年から僕らと一緒に踊ってフロアを作ってくれた人への感謝というか、フロアとの繋がりについて歌っているような感覚があったんです。そういう曲を実際にライヴで鳴らしながら、みんなと踊って繋がりを感じられたのはすごく嬉しかったですし、2023年にそういう曲を書いておいて良かったなと思いました。特に「でんでん」(『後光』収録曲)は、自分がエキサイトできるダンス・ミュージックとして出した曲だったので、それがお客さんに受け入れられたのも嬉しくて。自分にとっては、"Lucky Kilimanjaroはもっと面白くできるな"という手応えを得たツアーでもありました。

-私はツアー・ファイナルを拝見したのですが、シンガロングが起こったり、一体感が生まれる場面が多かったのも印象的でした。Lucky Kilimanjaroの姿勢としては、"ダンス・ミュージックとは自己との対話でもある。ゆえに一体感を作ることは必ずしも是ではない"という考えかと思いますが、そのうえで"繋がり"というテーマがライヴにも及んでいた感覚はありますか?

おっしゃる通り、僕は、アーティストの感情が表出した表現と(来場者の)それぞれの生きている人生が合わさって感動が生まれるというのがライヴの本質だと思っているので、一体感はライヴにおける是の一面でしかないと考えています。一体感にはもちろんいい面もありますけど、個を消してしまうような面もありますから。だけど僕自身は、個人とはたったひとりによって形成されるものではなく、環境とその人を足したものなんだと思いながら、曲や歌詞を書いていて。

-自分を取り巻く環境や他者からまったく影響を受けずに生きていける人なんていませんからね。

はい。なので、自分対アーティストの対話だけではなくて、自分対フロアの対話も含めて、楽しめるようなライヴにしたいんですよね。個人個人にしっかりと届けたいという気持ちももちろんありますけど、フロアで多幸感を実感してほしいですし、そういう環境の中で"自分の人生を肯定したい"とか"楽しくありたい"という気持ちが芽生えたらいいなと。自分の感情を踊りに変えたくて能動的に来てくれた人が"こうやって動かなきゃいけない"、"こうやってシンガロングしなきゃいけない"と感じるような場所にはしたくないですけど、"こうやって歌ってみたい"という気持ちを持っているんだとしたら、それは全力で引き出したいので。一体感というか、"フロアと繋がってるよね"、"みんな仲間で楽しくやれてるよね"という感覚は大事にしたいなと思ってますし、ライヴ全体の構成を考えるうえでもそのことは念頭に置いていました。

-本編ラストの曲「Kimochy」(2023年リリースの4thフル・アルバム『Kimochy Season』収録曲)のエンディングで、メンバーのみなさんが楽器を置いて前に出てきてお客さんと一緒に歌うシーンも印象的でした。

最後にサンプラーのループに入る曲で、みんな楽器を手放せるので、じゃあそのタイミングで前に出てきて挨拶しようというアイディアが出て。あの曲だからたまたまできたことですけど、僕らはフロアが主人公だと思っているので、僕らもフロアと一体化するような感じで、あの演出は良かったんじゃないかと思ってます。

-ここからはシングル『実感』について聞かせてください。この2曲はいつ頃書きましたか?

ツアー終わってからすぐに書きました。なので、年が明けて少し経ってからですね。

-歌詞の字の並びをパッと見たときに、とてもシンプルだなと思いました。自分の中にある感覚を説明したり、物語を描いたりするのではなく、"核にあるものを言葉としてアウトプットするならこれだ"というふうにデザインするような感覚は年々強くなっていますか?

そうですね。メジャー・デビューした2018年頃は、もう少し説明的な曲やストーリーを描いているような曲もありましたけど、最近は展開やストーリーを考えるよりも、"この曲が持っている一色をしっかりと伝えるためには、どのような言葉がいいか"と考えることに面白さを見いだしています。シンプルにしようとしているというよりかは、1アイディアを届けようと思ったら、結果的にシンプルになるという感じですね。特に今回リリースする「実感」は刹那的なものを歌った曲なので、アイディアは少ない方がカッコいいだろうと思って。「次の朝」も含めて、こういう歌詞の書き方が今の自分のトレンドだと思います。

-メジャー・デビュー当時と比べると、歌詞を書くときの考え方が根本的に違うということですよね。変化していく過程で、参考になったインプットはありますか?

"1アイディアを届けたい"、"濃くてシンプルなものを"と思うようになったのは、前回のアルバム『Kimochy Season』からなんです。収録曲の中で一番古いのが「ファジーサマー」なんですけど、あの曲を書いているときにフェルナンド・ペソアというポルトガルの詩人の本を読んでいたのが大きかったかもしれません。シンプルだけど臨場感があるというか......太陽の光の美しさとかが感覚をもって伝わってくる文章だったんです。その本を読んで"こういうシンプルさでいいんだ"、"装飾するんじゃなくて自然に、素直な流れで書くのもカッコいいな"と思えたんです。だけどそれだけじゃなくて、服の好みとか、いろいろな要素が合わさって、そういう歌詞がカッコいいんだと思うようになった気がします。

-では、曲の話を。表題曲の「実感」は、事前にいただいたセルフ・ライナーにも書いてある通り、バンド結成10年を目前にしたタイミングで考えていたことが形になった感じでしょうか?

そうですね。だけどこれまでの10年を統括して"自分はこういう生き方をしてきたんだ"と振り返るというよりは、"これから先の10年、どうやって生きていこう?"、"環境も心境も変化していくなかで、どういう気持ちで、どのように踊っていくことになるんだろう?"と考えながら書いた曲です。

-そこでこれまでを統括する方向に行かなかったのは、なぜですか?

10年続けられたことは、ありがたいことではあるものの、まだチュートリアルなんじゃないかという感覚が正直あって。お寿司職人さんとか落語家の方とか職人のキャリアに当てはめて考えると、10年ってまだまだ最初の段階じゃないかと。同じように音楽も、10年ぐらい経験を積んでから初めて"じゃあここからあなたは何をしますか?"という領域に入ってくるように思うんです。そういう思いがあるので、"私たちはこういうことをやってきました"と統括するにはまだ早いと。これは僕だけじゃなくて、バンド・メンバーも同じように感じていて。

-そうなんですね。

過去のことを振り返るのは別に悪いことじゃないですけど、みんなで話しているときもそういう空気にはならないんですよ。"俺らよくやってきたよね"みたいなことは誰も言わないですし、"次はこういうことをやりたいよね"というふうに未来の話ばかり出てくるんですよね。もうすぐ10周年を迎えるけど、やりたいことはまだまだあるし、"Lucky Kilimanjaroはもっと面白くなるぞ"と僕もメンバーも思ってます。

-そうやって未来に想いを馳せたときに、"時間切れ"や"さよならする日"というワードが出てくるのが気になりました。あと、"必要ない日々も/愛の過程だと信じている"というフレーズも気になります。

この先の10年を考えたときに、技術革新とか、環境の変化もいろいろあるだろうけど、そのうえでどれだけ熱中し続けられるだろう? と思ったんです。不安ではないんですが、未来は不透明なものだという認識がずっとあるので。僕は制作途中にああでもないこうでもないと考えながら、"自分の感情がちゃんと表出されたな"と思える表現を探し求める作業が好きなんですよ。上手くいかなくてもどかしく感じることもありますけど、探し求める過程にこそ愛があるんだろうなと思っていて。そういう感覚を"必要ない日々も/愛の過程だと信じている"という歌詞にしました。だけど次の10年のうちに環境が変わって、その過程がもっと簡単になる可能性もあるじゃないですか。

-そうですね。例えばテクノロジーが発達したら、"自分が1から考えたものよりも、AIから提案されたものの方がいいぞ"ということも起こり得るかもしれない。

そういうふうに僕の考えたことが簡単に表出されるようになったら、僕はそのアウトプットに対して愛を感じられるんだろうか? と。それはテクノロジーに限った話ではなくて、自分の生活環境や心境の変化によって、"この曲を書きたい"という情熱が消えていってしまうことはあり得ると思います。もちろんそのときにはまた新たな情熱が生まれているかもしれませんが、2024年の1月に「実感」という曲を書いたときとまったく同じ喜びや愛を感じられる機会は、この先の未来にはないんだという。

-だからこそLucky Kilimanjaroは、ストックしておいた曲を引っ張り出してきたりせず、そのとき出したい曲を制作し、発表するスタイルを今まで採ってきたんでしょうしね。

そうですね。次はどの曲をリリースしましょうかという話し合いのときに、お蔵入りになった過去の曲をもう一度みんなで聴いてみたりするんですけど、まぁ採用されないんですよ。"この曲を書きたい"という愛は時間が経てばなくなっていってしまうから、"じゃあできるだけ早くこの愛を具現化させないといけない"、"僕の気持ちが踊らなくなる前にやっていかなくちゃいけない"というスピード感で常に活動してきました。自分たちの熱量になるものを探して、形にしたらまた次のものを探して、と自転車操業みたいにやってきましたし、このグルーヴの中でしか続かないバンドだからこそ、こういう歌詞、こういう考え方になるんだろうとは思いますが......バンドが終わる可能性も考えながら作った曲なのに、そんなにネガティヴにならなかったんですよね。この情熱は永遠ではないとわかっているからこそ、今はLucky Kilimanjaroの活動に対してすごく情熱を持てているという事実をひたすら味わいたいと思っています。何かひとつの情熱が消えたとしても、また次の面白いことを見つけてやっていくんだろうなと、少なくともこの先10年はそうやって生きていきたいなと考えながら書いた曲です。これまでもそういうふうに生きてきましたし、これからもそういうふうに生きていきたいなと思いますね。