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INTERVIEW

Japanese

Lucky Kilimanjaro

2023年04月号掲載

Lucky Kilimanjaro

Member:熊木 幸丸(Vo)

Interviewer:石角 友香

およそ年1枚アルバム・リリースを重ねるという、コンスタントな活動を展開するLucky Kilimanjaro。早くもメジャー4作目となる『Kimochy Season』は、熊木幸丸の軽妙なワード・センスの内側にダンス・ミュージックの多様な側面を忍ばせた、ラッキリ(Lucky Kilimanjaro)版"四季"のアルバムと言えるかもしれない。先行配信されていた「ファジーサマー」や「一筋差す」、「Heat」で予見できた新しいサウンド・デザインがアルバム・スケールで展開する様は、決して楽しいから踊る、だけじゃない、ラッキリの芯の部分が伝わってくる内容だ。より機能的に踊ることができつつ、サウンドやビートに考え方が含まれた本作の深度について、熊木に訊いた。

-去年7月リリースの「ファジーサマー」や、[Lucky Kilimanjaro presents.TOUR "YAMAODORI 2022"]でもアルバムの片鱗は見えていたかなと思うんですが、いかがですか?

そうですね。もう「ファジーサマー」の段階で、なんとなく今回のアルバムのテーマ感とか、どんなことにこの1年で向き合っていこうかなというのは結構考えていたので、その意味では前回の作品より全体が見えるのが早かったかもしれないです。ライヴをやったなかでもいろいろ思うことや、もっとこうしていきたいな、こんなメッセージが欲しい、伝えていきたいというところが多く出てきたので、着想の段階ではあまり困らなかったというか、それをどう広げていくかに時間を使った印象がありますね。

『TOUGH PLAY』(2022年リリースの3rdアルバム)って本当に楽しいし、フィジカルに訴えるアルバムではあったと思うんですけど、今作は別にその反動ではないんですか?

そういう反動は自分の中でありましたね。もしかしたらダンス・ミュージックの表面的な楽しさだけが受け入れられちゃうんじゃないか? みたいな恐怖があって、ちょっと嫌だなと。自分が考えているダンス・ミュージックの良さって本当に泣けて、カタルシスがあるというところにあるから、自分がライヴをやってみんなが楽しいとなっているなかで、もしかしてLucky Kilimanjaroがダンス・ミュージックにおいて、楽しい側面ばかり伝えてしまっているんじゃないか? 楽しいときに聴くものとしてダンス・ミュージックを伝えているんじゃないか? という感覚があって。もっと気持ちで踊れるものをちゃんと作りたいし、それを踏まえてみんなと踊っていきたい、というところをすごく考えたアルバムでした。この『Kimochy Season』がそういうアルバムになったのは『TOUGH PLAY』と、そこからツアーを回ったり、いろいろなライヴをやったりした経験が反動になっていると思います。

-ライヴについては、あれだけ踊るっていうことをこれまでやってきてない人たちがほとんどだと思うので、ひとつのハードルを越えてはいると思うんです。

そうですね。あとはコロナ禍を経て、お客さんが結構変わったというか、新しい人になった感覚があって。コロナ前のライヴってある種ハジけることが当たり前だったというか、そこから一歩ハジけることに対して整理をするようになったのが現状だと思っているんです。そこにダンスというある種気持ちを気持ちのまま取り出すものをどんなふうに届けるかとなったときに、気持ちにちゃんとアクセスできる作品じゃないと絶対ダメだなというところがあったのも、全体の曲に影響してるのかなと。

-昨年のツアーは必ずしもノンストップじゃなかったし、中盤に「地獄の踊り場」とか、ちょっとドープというかサイケデリックな部分とかもあったと思うんで、そこも見え始めた感じはしてたんですよね。

まぁ、そうですね。昔からダンス・ミュージックとは言ってますが、ハウス/テクノにすごく偏るというよりかは、もっと広く踊る音楽を自分たちでやることを意識しています。今回はわりとハウスやテクノのサウンド感、リズム感が多くなってはいるんですけど、気持ちいいことが一番いいと考えているので、必ずしも四つ打ちでわかりやすい踊りではないです。ただサウンドで気持ち良くなって踊れるっていうスタイルは、自分の芯にある部分だし、今回のアルバムでより深くなったのかなと思いますね。

-印象としてサウンド・プロダクションがよりテクスチャー化してるなと思ったんですよ。この音がどんなふうに感じられるか? という部分が強い。

サウンド・デザインから何を感じさせるのか? という。寒さだったり、暑さだったり、匂いなのか空気の湿度、温度なのかわからないですが、楽曲ごとにこの音がどんなふうに伝わってほしいかというのを考えながらサウンド・デザインをしたところはすごくあります。その技術は純粋に上がったなと思ってますし、サウンドと歌詞と楽曲のコンセプトがより密になって届けられるようになったかなという感触がありますね。

-ヴォーカルもサウンド化していってますね。例えば「一筋差す」の歌い出しからして、"え? なんて歌ってるの?"みたいな感じで。

それこそさっきのサウンドの話もですけど、歌で寒さとか暖かさとかをいかに表現できるのかを、自分の中でもっと突き詰めたいなと思った1年でした。個人的にはまだ全然途中だという感覚はありますが、少しずつ表現できているのかなと。

-日本の音楽における何度目かの日本語詞の挑戦かなと思ってて。「一筋差す」だったら"一筋差す"のリフレインでビルドしていく感じとか。今までラッキリって聴いてる人の世代感とかもあると思うんですけど、"自分たちのことだ"みたいな親近感というか、そこが共感だった気がするんです。でも、だんだんそうした意味を超えてきた感じもして。

たしかに昔はもっとある種言葉の発する意味にすごく頼っていて。だから描写を細かくする方向で歌詞を書くことが多かったんですけど、今回はすごく抽象的な部分で、ふわっとしたエモーションとかフィーリングだけを伝えるというのをやることが多くなりましたね。まぁ細かい描写もありますが、メインとなる歌の部分は抽象的で当たり前の言葉を使って、でもその言葉とサウンド・デザインでどうフィーリングを伝えるかというところに、自分の興味が移っている感覚があります。そこはかなり変化したところですね。フィーリングでもっとみんなと気持ちを共有したいなという、ある種変化があるのかなと思いました。

-日本語としてあまり我々も親しみがない「咲まう」とか。

そうですね。これはうちのメンバーも誰ひとり読めなかったです。"さきまう"って言われました(笑)。

-(笑)読めないです。これは曲調としてはすごくある種オーセンティックで、それが組み合わせとして面白いなと思いました。

そうですね。楽曲的には普通っぽいのですが、ちょっと浮遊感やサイケな成分、ローファイな成分があるなかで、時間に自分が溶け出すような気持ちを、どんなふうにサウンドとこの"咲まう"という丸い言葉で表現するかというところで。すごくたくさん書いてますが、このサウンド・デザインというか、みんなと一緒にこれを聴いてるグルーヴを楽しんでほしい曲ですね。

-ちなみにこの"咲まう"って言葉を熊木さんはどこで知ったんですか?

最初は"エモート(Emote)"というのが元ネタにあって、近い語感とかないかな? と適当にひらがなで"えまう"を調べたんですよね。そしたらこの"咲まう"があって。"笑まう"と書いても"えまう"と読むんですけど。"あ、エモートと絶対近いところがあるな"と面白い繋がりがあり、むしろエモートはどこかで使うかもぐらいに取っておいて、"咲まう"にしようというのがスタートだった気がします。

-リフレインさせるには"咲まう"のほうが使いやすいですよね。

そうですね。実は自分がよく行く居酒屋の話をしてるんですけど(笑)、言葉の柔らかさとかも含めてそこのニュアンスに"咲まう"のほうが近いなと。

-居酒屋のムードに?

ムードというか、僕と、シンセサイザーであり妻である大瀧(真央)さんとでよく行くお店があって、そこで一緒に食事をしながらお酒を飲んで話してる状態に近い言葉が"咲まう"だなと思って。

-いい言葉ですね。

そうですね。逆にこの言葉が決まってからここをベースに絶対離さないぞという感じで(笑)、構築していきました。

-めちゃくちゃ飛ぶんですけど、この「咲まう」の私のイメージはPercy Sledgeの「男が女を愛する時(原題:When A Man Loves A Woman)」だったんですよ。リズム・アンド・ブルースの名曲というか。

そういう質感をどんなふうに今っぽく出すか、クラシックのままじゃない状態で出すかはすごく心掛けました。そういう歌と声、表現だけでいくんだけど、そこに飾ってある装飾が面白いみたいな状態ですね。

-たしかに。使ってる機材とか時代が全然違うから違うっていうのもあるでしょうし。今回の楽曲には四季が通底してありますけど、四季っていうか、季節感のサウンド・デザインがすごく難しかった曲ってどれですか?

そもそも意識しているものとしていないものはあるんですけど、しいて言うなら難しかったのは最後の「山粧う」です。"山粧う"というのは秋の季語で秋の曲なんですけど、秋感ってなんなんだろう? と。最初僕は"山粧う"という言葉と、自分の考えていたコンセプトが近くて。秋の雲がなくてそれが高くて青い状態と紅葉の写真がなんとなく浮かんでいて、ここにどうサウンドをデザインしていこう? とかなりのパターンを試した曲ですね。どれもハマるんだけどどれもハマらないなみたいな。最終的には凛としながらも進んでいくようなサウンド感が自分の中でハマって、この形に落ち着いたんですけど、苦労しました。

-ともすればシティ・ポップ寄りのファンクみたいなふうに聴こえなくもないから、すごく微妙なさじ加減で。でも逆にすごく新鮮でした。

シティ・ポップと思えばシティ・ポップに聴こえますし、ファンクだったりダンス・ミュージックだと思えばそっちに聴こえるという、その微妙なバランスを一生懸命突き詰めて。どっちかに行っちゃうと、この秋の"山粧う"という言葉に対するバランスとして、キャラクターがちょっとつまらなくなるから、そこはサウンド・デザインですごく詰めましたね。考えに考えてという感じです。

-歌詞の内容からするとジャンル感としてはどっちでもないですもんね。

そうですね。途中で速いパッセージのちょっとラップっぽいのが入ってきたり、シティ・ポップっぽい、抑揚がすごくあるわけじゃないハイ・ピッチで切ないメロディが入ってきたり。そのバランス感覚を自分では楽しんでましたけど、どこに秋の存在感を残したままやるかという部分は大変でしたね。考えました。