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INTERVIEW

Japanese

Lucky Kilimanjaro

2018年12月号掲載

Lucky Kilimanjaro

Member:熊木 幸丸(Vo/Sampler)

Interviewer:TAISHI IWAMI

2014年の結成以降、マイペースながらその音楽性を磨いてきたLucky Kilimanjaroが、メジャーからの1stリリースとなるEP『HUG』を完成させた。海外のシンセ・ポップやハウス、ディスコなど、これまで前面に打ち出してきたエレクトロニック/ダンス・ミュージックのテイストに加え、ヒップホップやR&Bにもダイレクトにアプローチし、世界照準で現在と同時進行する感覚がアップすると同時に、それらのオリジナルな折衷センスも大きく進化したサウンド。そこに、バンドの中心人物である熊木幸丸自身も、"雰囲気重視"から伝えたいことをダイレクトに言葉にするようになったと語る、劇的に変化した歌詞が乗ることで放たれる輝きは、まさに新たなポップの扉が開いた瞬間と言えるだろう。

-まずは、Lucky Kilimanjaroを結成した経緯から教えてもらえますか?

大学を卒業する半年くらい前から、今まで趣味程度でやっていた曲作りがますます楽しくなってきて、外に向けて発信したいと思うようになったんです。で、その時期すでに内定を貰ってたんですけど、就職しないことにして、同じ軽音楽サークルのメンバーだった5人に声を掛けて結成しました。

-大学生が内定を蹴るって、結構なことですよね?

音楽をやりたいなら就職することもないかなって感じで、そんなに決意めいたものはなかったですね。ほかのメンバーは僕より年下だったから、まだ進路に対して余裕もあるだろうと思って、半ば強引に誘いました。

-サークルにはいろんな人がいたと思うんですけど、5人に声を掛けたのは、なぜですか?

特に音楽的な個性とか演奏技術とか、そういうことで選んだのではなくて。彼らは、人間的にやりやすいと思った仲間たちなんです。だから、音楽の趣味もプレイヤーとしての方向性もばらばらでしたし、多少シェアできる趣味は増えたかもしれないですけど、そこは今もあまり変わらないですね。

-ばらばらのメンバーをどうやってまとめていったんですか?

メンバーは、"Lucky Kilimanjaroとは"ということはわかってくれていると思います。何が僕らの良さで、どういうことをミッションとするのか。そこはみんなに同意を得られるように伝えてきたんで。

-走り出したころから明確なヴィジョンはあったんですか?

振り返ると、結成当初はそうでもなかったかもしれません。僕はもともとギタリストなんですけど、シンセの魅力にハマったことが、最初に言った曲作りが楽しくなってきた大きな理由で、シンセをメインにしたバンドがいいなって、それくらいの感覚だったので。

-なぜ、そんなにもシンセを好きになったのでしょう。

高校のころはヘヴィ・メタルやハード・ロックが好きで、ギターは手先の動きが速ければ正義だと思ってました。そこからTHE BAKER BROTHERSとかNile Rodgersのような、クリーンなギターもカッコいいなって思うようになって。それで、ディスコとかファンクとかも聴くようになり、鍵盤の音に耳がいくようになったことがまずひとつ。それと同時に、当時流行っていたPASSION PITやFOSTER THE PEOPLE、FRIENDLY FIRESのような、エレクトロ・ポップのバンドも好きになっていったこと。大きくこのふたつの理由からです。

-ヘヴィ・メタルやハード・ロックからだと、THE BAKER BROTHERSのようなジャズ・ファンクというより、泣きのギターというか、もっとフュージョン寄りの音楽やブルース・ロックに向く人が多いようなイメージです。また、ヘヴィ・メタルやハード・ロックとPASSION PITのようなインディー畑発の、しかもギターよりシンセのイメージが強い音楽って、演者もリスナーも、まったく相容れない部分がありますよね。

たしかに、フュージョン寄りの音楽に進むっていう話も、ヘヴィ・メタルとインディーの関係性も、話としてはわかるんですけど、僕はそうじゃなかったんです。家の近くのレンタルCD屋さんとかで、とりあえず目立つように陳列されているやつは、片っ端から聴いてた感じで。とにかくいろんな音楽を聴きたかった。

-それが2013年から、Lucky Kilimanjaroが動き出した2014年のころ。

そうですね。バンドは2013年くらいからぼちぼちやり始めて、2014年からライヴとか、外で活動するようになりました。

-そして、2015年に初めてのミニ・アルバム『FULLCOLOR』をリリースされるわけですが、改めて、熊木さんにとってどんな作品だったか話を聞かせてもらえますか?

『FULLCOLOR』は、初めて出すCDということで、何をしたらカッコいいとか、どうやったら踊れるとか、あらゆることがわからない状態でした。だから、"もっとあんなことやこんなことができたな"って思う部分が多いんですよね。その一方で、聴いてくれた人たちからいい反応も貰えたので、自分たちのやってることが、誰かにとって大切なものになれる可能性を感じた作品でもありました。

-ではその次の作品、2017年にリリースした1stフル・アルバム『Favorite Fantasy』はどうでしょう。

『FULLCOLOR』は、わからないなりにもPASSION PITやFOSTER THE PEOPLEのような、エレクトロ・ポップ・バンドからの影響を自分たちの色にできたように思うんです。ただ、言ったように、まだまだやれること、勉強しなきゃいけないことも見えました。そこから、方向性として延長線上にある部分も向上させたいと思いましたし、制作的な技術や音楽的なジャンルにおいて、もっといろんなことを試したくなって実践した作品でもあります。

-具体的には、どんなことにチャレンジしましたか?

例えば『FULLCOLOR』のころは、"踊れる"という意味において、あまりBPMの遅い曲は出したくなかった。だから一番遅い曲でもBPMが115くらいなんです。でも"遅い=踊れない"ではないし、そこまで"躍らせる"ということに注力しなくてもいいのかなって。そこでグルーヴに幅が生まれたように思います。

-ひと言で言うと豊かになりましたよね。

サウンドの部分だと、『FULLCOLOR』はバンドで演奏するということが基準だったんですけど、『Favorite Fantasy』は、ひとまず入れたい音を入れて、作ったあとにバンドでできるかどうかを考えました。だから再現できるかはわからないけど、トロピカルな音を入れたり、ハウスのようなバンドではない音楽の要素も意識したりしたんで、とても自由なサウンドになったかなと。エンジニアも海外の人に依頼したんです。