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INTERVIEW

Japanese

塩入冬湖

2019年07月号掲載

塩入冬湖

Interviewer:石角 友香

これまでもソロ作品やライヴ活動を行ってきたFINLANDSの塩入冬湖。バンドが実質ひとり体制になった今、彼女にとってソロ作品の意義とはなんなのだろう。このたびリリースされるミニ・アルバム『惚けて(読み:ほうけて)』はすべて宅録によって作られたパーソナルな作品で、従来のアコースティック・ギターの弾き語りなどに加え、初めてトライしたピアノ、デジタル音源からイメージにしっくりくるサウンドを丹念に見いだして構成した、生と打ち込みの融合物でもある。実質2年に及ぶ制作期間に考えていたこと、ひとりでの音楽づくりなど、塩入冬湖という表現者の核が窺える対話になったと思う。

-冬湖さんの中でバンドとソロにおける気持ちのバランスは変わらないですか?

私自身はあまり変わらないなと思うんですけど、今はFINLANDSってバンドもひとりでやってるので、周りの人から"どこに違いがあるのか?"ってことを聞かれるんです。それを言われたら私もわかんないですよね。具体的に"こことここが違うんだよ"って言うのも、なんかあまり好きではないなと思って。だったら作品として聴いていただいたときに、FINLANDSと塩入冬湖って作品は違うものだということを、作品で提示できればいいなと思いますね。

-両方聴けば、それは明確にわかることだし。

そうですね。わかっていただけるかなと思うんですけど、中には"違いはない"って言う人もいるかもしれない。けど、そこに対して"そう思うんだったらそれでいいかな"と思うんですよね。作者は一緒ですし、もうどう捉えていただいてもいいんですけど、本人としては全然違うぞっていう気持ちです。

-ちなみに今回のソロ作品はじっくり聴けました。

あぁ、ありがとうございます(笑)。

-ソロ作品はじっくり聴ける曲がこれまでも多かったと思うんですが、今回、曲の尺が全然気にならないし、長さがあって完結するんだろうなと。

長いですよね、7曲入りにしては尺が(笑)。

-ちなみにソロの曲はいつ、どんなふうに作っていたんですか?

今回、結構時間がかかって。前作(『落ちない ep』)を一昨年の11月にリリースして、今回で3作目なんですけど、今までずっとCDショップに置いたりせずに作ってたんですね。それっていうのも自分がひとりで完結させたいなと思ってる曲を溜めておいて、それをFINLANDSの活動の合間にやったりして。それは私にとって――変な言い方ですけど息抜きみたいなところがあったんですね。だからそういう意識下にあるもので。なのでこの2年近くずっとFINLANDSの制作期間にも曲を作りながら、これに関してはひとりで完結させたいなと、ギターの音とベースの音とドラムの音だけじゃない楽器で作りたいなと思うのはとっておいて、空いてる時間に進めていく。そういう感じでいつも作ってますね。

-今回はピアノやシンセが入ってますね。

ピアノを練習したんですよ。去年のFINLANDSのレコーディングのときにグランドピアノが置いてあって、空き時間に練習してて。今までピアノは弾けなかったですし、ある種、そこに対して諦めてる部分もあったんですね。でもやれなくない、完璧にできるか? って言うとあれですけど、新しい楽器に対して、理解してから自分に落とし込めてきてる部分が結構あって。そういうのがすごい楽しかったです。だからそういうこともひとつひとつ丁寧に整理して考えながら作ってましたね。

-頭に浮かぶ音像が変わってきたんですか?

音像ってものがないんですよね、ソロのときは。バンドだとある程度、構想がないと人に説明ができないなと思うので、そこは意識的に作ってるんですけど、ソロってどうとでもなるんですよね。だから逆に音像はまったくなくて。出たとこ勝負で入れてみた音から派生していくってことがすごく多いので、わりと無鉄砲に作ってる曲が多いなと思います。

-今回のアルバムで言うとアレンジやサウンドが面白いなと思ったひとつが「パール」なんですけど、この曲は何からできたんですか?

「パール」は、最初はアコギで作ってたんです。アコギで作っててスタンダードなアコースティックな音源にしたかったんですよね。テンポ感とかを変えてくることによって使いたい音とかが変わってくるんですけど、パソコンの中だとそれが無限なんですよ。なので、デジタルの力に頼ってできてきたものに引っ張られながら、形ができていったというか。なんかこう、バンドだと必ずそのステージの中で出せる音の限界ってものが物理的にあって、それがかっこいいなと思うんですけど、家の中だとそれがないんですよね。なので、良くも悪くもどこまでもやれるところまでやってみよう、みたいな。

-今回、完全に宅録ということで、すべてDAW上で完成したんですか?

そうですね。私、2年前に引っ越しをしたんですけど、その家の思い出はほぼこの作品を作ってたという記憶が強くて。

-冬湖さんが今の部屋に引っ越してからの記憶は音楽を作ってることが大半?

音楽を作ってるというか......なんですかね? それまで実家に住んでて、そこから東京に引っ越したんですけど、実家だと自分の部屋にそのスペースがあって、部屋を出てキッチンでご飯食べて、お風呂に入って居間でテレビを観てとか、そういう仕切りがあると思うんですけど、今は部屋もワンルームみたいな感じなので、それをやるしか選択肢がないというか、それに向かい合う選択肢以外をあんまり持ってなくて。だから嫌じゃないし、自ずとずっとやってたなぁということですね。

-制作の背景を知ると、曲の全部が全部、恋愛のことではないような気がしてきました(笑)。

(笑)部屋の状況。

-日常というか、もっと言えば部屋に紐づいてる作品なのかなと。

そうですね。やっとこの作品が表に出て、やっと消化されるものがあるんじゃないかなと思います。あまりにもうちにこもりすぎていた作品だなと、今聴いても思うので。誰かに聴いてもらうというか、外に放出されたときにやっと意味を持つCDだなと。

-限りなく日記に近い小説、私小説的というか。人が読んで、自分だけが見ていたものじゃなかったとわかる感じというか。

確かなものになっていくというか。向き合いすぎているとどうしても客観視できなくなってくるってことだけは客観視できていました。あまりにもずっと向き合っていたので、自分の判断ができなくなってくることが必ずあって、それを誰かに見てもらう、聴いてもらうっていうことで意味を成すのかなと思いますね。

-今までのソロ作品に比べて、音を選ぶことに集中してたということですか?

単に集中してたからというか、時間がかかったんですよね。宅録してると"よーし、できた!"と思って夜寝て、夜は"最高だ!"と思っていても朝起きたら"最悪だ"ってことの繰り返しなんです。それで今までのソロ作品もできあがってるんですけど、やっぱり今回、どうしても自分は新しい楽器を使ってみたいとか、こういうことをしてみたいって思えば思うほど、その回数が増えていく。夜は最高だったものが朝最悪になるっていう、その回数が増えていくことによって物理的に時間がかかってくるんですよ。そうするといったんわかんなくなって、投げ出す瞬間もありますし、そういうのを1年半ぐらいずっとぐるぐる繰り返してたので。時間なんじゃないのかなと思いますね。時間がかかりすぎたものって、自分で理解しすぎるが故にわからなくなる部分がすごいあると思うので。それが要因かなと思いますね。

-それはオケを作ってる段階でそうなんですか? 歌詞が乗る前というか。

歌詞に関してはずっと、最後の最後まで微調整をするので、そこは大丈夫なんですけど、例えばもうできてるオケでひとつの打ち込みの音をなくして、そのフレーズを生でギターで弾いてみようってなったときに、一気に変わるというか。"じゃあ歌詞も一気に全部変えなきゃいけない"みたいに、いい意味ですごい変わる瞬間ってあるんですけど、そういうのをしてしまっていると、いつでもそういう瞬間を求めるというか。だから全部ができあがった瞬間に"いや、これだけじゃなくて次にもっと良くなることがあるんじゃないか?"って、それを探し始めるんですよね。最初のころとか言ってしまえば、そんなにずっと宅録をやってたわけではないので、そういう経験が乏しかったなかで"できた、やったー!"で終わってたんですけど、今回はそうはいかなかったなと。

-特に最高と最悪の落差がすごくて、それでも曲にしたぞっていう曲は?

すごくシンプルなんですけど「雪に咲く朝の花」って曲があって、この曲はこれまでもずっと歌っている歌なんですね。ソロのときにアコギと歌だけで歌っていて。そうやって録音してそれでリリースの形を取ろうと思ってたんけど、でもどうしても自分が思ってる情景と合わなくて、アコースティック・ギターと歌だけだと奥行きがなく感じてしまって。例えばバンド・セットにしてみたり、キーを変えてみたり、いろんなことを試して。で、その中でやっと見つけた音で作り上げたので、一番その曲が右往左往したというか。たぶん長く持ってる曲の方が自分の中でイメージを作っちゃってるんでしょうね。それにちょっとでも噛み合わないと、なんか頷けないというか。

-ピアノですかね? 鍵盤の音が入ってるのが効果的で。

そうですね。そこにたどり着いてほんとに良かったなって。

-冬湖さんのイメージとして、寒い国の音楽というか、静かに仕上がってるなぁと。

札幌の"雪まつり"に出させていただいたときに作った曲なので、なんかそこのイメージが強いんでしょうね、自分の中でも。

-弾き語りだと歌は明確に聴こえるんでしょうけど、温度とか空気感が表れているようで。

そうなんですよね。"雪まつり"に出たとき、ほんとに指の感覚がないぐらい寒くて、マイナス10℃とかで外に出るんですけど(笑)。だからなんて言うんだろう? エレキ・ギターで轟音出したときに倍音が聴こえるみたいな感じで、いろんな雪像から響いて自分が出してる音じゃない音が聴こえる感覚があったんです。そういうのがやっぱりイメージとして残ってて、それをものにするまで時間がかかるんですね。