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INTERVIEW

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グッドモーニングアメリカ

グッドモーニングアメリカ

グッドモーニングアメリカ

Official Site

メンバー:渡邊 幸一(Gt/Cho) 金廣 真悟(Vo/Gt) たなしん(Ba/Cho) ペギ(Dr/Cho)

インタビュアー:荒金 良介

バンド名の変更、ライヴ活動休止など、決して平坦とは言えないグッドモーニングアメリカのヒストリーを前身バンド"for better, for worse"からひっくるめて、メンバー4人に赤裸々に語ってもらった。11月27日の日本武道館公演を目前に、彼らは今どんな心境で臨もうとしているのか。バンドの始まりから根掘り葉掘り訊くことで、紆余曲折の歩みの中でいかに彼らが臨機応変に突き進んできたか、このテキストでわかるだろう。

-ここではグッドモーニングアメリカの歴史を紐解いていきたいと思います。まず前身バンドfor better, for worseの結成は2001年ですね。

渡邊:14年前だから、高校3年のころですね。2000年に俺と金廣が一緒にバンドをやっていたんですよ。MILLENCOLINのコピーとかやってました。

金廣:GRAPEVINEのコピーもやってたましたね。

-そうなんですね。

渡邊:当時はライヴハウスでガンガンやる感じではなくて。僕と金廣はそのバンドのあとにお互いに別々のバンドをやってたんですけど、僕がたなしんと仲が良かったこともあってふたりでfor better, for worseを組んだんですよ。

-なるほど。

渡邊:周りにベースとドラムができる友達がいたので僕はギターをやろうと。それからバンドが動き始めました。それで、同じ高校にTOTALFATがいたんですけど彼らはすでにライヴハウスに出ていたから、たなしんとふたりで観に行くようになって。ああ、かっこいいなと思って、for better, for worseも徐々に動き始めました。

-たなしんさんは当時のことを覚えてますか?

たなしん:うろ覚えですね。ほんとに適当だったんですよ(笑)。

渡邊:ははは。どうしてもバンドをやりたい!というノリではなかったからね。当時ドラムが原曲を作っていたんですけど、放課後にみんなで曲作りしてました。それから少しずつライヴハウスに出るようになったんですよ。とりあえずライヴハウスでライヴをしたいだけだったので当時はこの歳までバンドをやってるとは想像すらしなかったです。

-金廣さんをヴォーカルとして、for better, for worseに迎え入れた経緯は?

金廣:その4年後くらいかな。

渡邊:高校から大学に上がるタイミングで、当時のベースが"俺は弁護士になりたいからバンドをやめる"と言い出して、そこでたなしんがベースをやることになったんです。

たなしん:それも深い理由がなくて。ベースの弦も逆に張ってましたからね(笑)。

渡邊:初めてのライヴでね。

-はははは。

たなしん:当時は金廣と同じグループにいたから、キャンプに一緒に行ったこともあるんですよ。その帰りの車の中で音楽を聴きながら、"どれがベースの音?"って聞きましたからね。

金廣:"えっ、流れてるのに何で聴こえないの?"って(笑)。

渡邊:それが高校3年の終わりです。それで大学1年のころに初めてデモ音源を録ったんですけど、新しく入ったギターがわりと早い段階で、俺はバンドよりも家庭が欲しいからバンドをやめると。それで、残ったドラムとたなしんと僕で、どうしようかと考えて。金廣は別のバンドをやっていたんですけど、いいヴォーカルだし、ちょっと誘ってみようと。

-そういう流れだったんですね。

渡邊:金廣のバンドも傍から見たら、ガツガツやってるイメージがなくて。だったら、俺らと一緒にやろうよって声をかけたら......実は当時やってたバンドでも音源を出して、ツアーを回る予定もあったらしいけど、やると言ってくれたんですよ。それが大学2年のころかな。

-金廣さんは誘われたときにどう思いました?

金廣:当時自分がやっていたバンドがマキシマム ザ ホルモンのダイさん(ダイスケはん/キャーキャーうるさい方)に誘われて、ツアーを回る話があったんですよ。だけど、他のメンバーふたりがそこまでツアーに行くスタンスじゃなくて。じゃあ、他のバンドに行こうかなと。

-そして、2004年6月に初単独作『heartstrings』(1stミニ・アルバム)を発表します。たまに音源を聴き返すことはありますか?

渡邊:今聴いても好きですね、あのころはあのころで楽しかった(笑)。当時TOTALFATがCDを出していたから、俺らも出したいと思ってましたからね。それで"Kick Rock MUSIC"に音源を送って、ようやくリリースまでこぎ着けました。

金廣:そうだ、『heartstrings』を出して、ツアーを回ってる最中に日本語で歌いたいと思ったんですよ。

-かなり早い段階で日本語にしたかったんですね。

金廣:俺は特にMCもしなかったし、雰囲気を何より大事にしていたバンドだったんです。でもその中でライヴ会場に来ている人全員に伝わらないと意味がないと思って。単純に曲が伝わってないんだな、と感じる場面があったんですよ。悲しい曲なのに笑ってる人がいたり......何も表現できていないなと。そのときに"歌詞"だなと思いました。英語ではなく、日本語にした方が伝わるだろうと。ただ、メンバーそれぞれ考えは違いましたね。

たなしん:僕は前のドラムと仲が良くて、音楽的な趣味も合っていたんです。当時、機材車でMr.Childrenがよく流れてて、俺も18~19歳で落ち込んでいた時期に日本語の歌に励まされたということもあって。for better, for worseの周りにいたTOTALFATやSTEREO VISIONは汗だくのライヴをやっていたんですけど、俺たちのライヴはみんな棒立ちで手も挙げにくい空気だったんですよね。その中で音を届けるには日本語しかないなと。それに日本語詞で金廣のヴォーカルを聴いてみたい気持ちもありましたからね。