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INTERVIEW

Japanese

0.8秒と衝撃。

2015年08月号掲載

0.8秒と衝撃。

Member:塔山 忠臣(最高少年。) J.M.(唄とラウド。)

Interviewer:天野 史彬

-このアルバムって、最初にも言いましたけど、聴き手を孤独にする、聴き手と1対1で繋がる作品なんですよね。それが、"なんとなく盛り上がるから"みたいな感じで多くの人に同時に共有されていくものとは、また違った音楽の在り方を伝えている感じがして。そこがすごく今の時代に対して貴重だなって思ったんです。

塔山:あぁ、嬉しいです。ネクラ度で言ったら、今回のアルバムはパワフル・ネクラですよ。でも、こういうアルバムをポジティヴの象徴であるロック・フェスみたいな場所でどう表現していくのかっていうのは、俺たちからしたら"見とけよ"っていう話なんです。ひとりで聴くようなアルバムを、ああいう場でどうやってエネルギーを共有していくのかっていう、それは今後のライヴの見せどころなんですよね。人と音楽を共有するには、アッパーなシンセのフレーズがなかろうが、四つ打ちじゃなかろうが、関係ないんですよ。ちゃんと表現できるんですよ。

-そこは本当に、ハチゲキに期待したいところで。

塔山:あと、僕、前から言っているようにTHE SMITHSが好きなんですけど、彼らとやろうとしている方向が似ているなって思って。彼らも、孤独な人の疎外感を歌ってきたけど、それこそがロックのポジティビティだったりするじゃないですか。自分にダメなところがあっても、"自分らしく"でいいんじゃないかって思えるというか。僕なんかは、それがあるからロックを聴いている部分はありますからね。ただ楽しくていいだけなら、パーティー・ミュージックを聴いたり、売れてるチャートの音楽を自分で順番を入れ替えて聴いてればいいだけですから。でも、THE SMITHSみたいなバンドを聴く理由は、ハッピーでアッパーなところにはないものがあるからですよね。どんだけダメなところがあっても、"俺みたいな奴、他にもおるんちゃうか"っていうことを考えさせてくれる、ある種の優しさですよね。サウンドが激しかろうがなんだろうが、優しい。結局、人生に対して、全部が全部満足してる奴ばかりがライヴに来てるわけじゃないですからね。どちらかと言えば逆ですよね。そういう意味では、この『破壊POP』っていうアルバムはある意味、パワフルなんじゃないかって思ったんです。それは、音がどうとかじゃなくて、表したいことがパワフルというか、深いというか。

-ある種のネガティビティをポジティビティに反転させる、ロックが放つメッセージとしての強度、パワフルさですよね。J.M.さんも、今、塔山さんが言ってくださったような音楽の受け取り方って、されてきた経験はありますか?

J.M.:私は、THE MAD CAPSULE MARKETSのライヴ映像で上田(剛士/現:AA=)さんを観たときに、"私、こんな人になろう"って思って(笑)、すごく身体が動いたんですよね(※J.M.は今年、AA=のモード学園CM曲に客演している)。日常で聴いたり、誰かのインタビューを読んで感銘を受けることはあっても、感動することは少ないタイプなんですけど、上田さんの場合はそれがあって。......でも最近は、他者に100を求めなくなってきてるなっていう感じもあります。傑作を求めないというか、自分がもらえるものがあれば、それでよくて。人に100点を求めなくなってきている。エッセンスみたいなものが素敵であれば、それでいいなって思うんですよね。世間で駄作って言われているものでも、個々の表現や描写はすごいなぁとか。一般的な評価って、たぶん全体を見て評価するんですけど、そうじゃなくて、ひとつひとつの表現の細かい部分に何かを見出せればいいかなぁって。そこを簡単に切り捨てちゃうと、その作品に何のために時間を割いたのかっていうことになるじゃないですか。

塔山:そうそう、人に100点を求めないっていうのはネガティヴなことじゃなくて、消費してるだけじゃないっていうことですよ。映画でも、ハリウッドの大作で、興行収入がすごくて、それが日本に入ってきて......みたいな謳い文句はどうでもいい。そんなんじゃなくて、自分が観たくて観て、そこから何を得るかっていう話だと思うんですよ。今って、"なんでみんなそんな簡単に諦めちゃうんだろう?"って思う。"これはクソ"とか"これは神"とか......なんだそれって。もっとあんじゃん。みんなにクソって言われたものでも、自分の中でいいなと思える要素がひとつでもあったら、それってちょっと嬉しくないですか? 味覚でもなんでも、人にわからないものをわかってるっていう、そこにフューチャーがあったりすると思うんですよね。でも今って、人を責めるのも簡単になってて、ちょっと悪いイメージがついたら叩きのめされるじゃないですか。バランスがおかしいんですよね。俺は、売れた/売れてないとかじゃなくて、人がいいと言ってるか/悪いと言ってるかだけじゃなくて、面白いと思うものを単純に面白いと思いたいんですよ。音楽って面白いなって思う部分があるから、まだやってるわけだし。それを思わなくなったら辞めちゃうだろうし。自分たちが表したい世界があったら、そこに挑戦していけばいいんですよ。だって、MY BLOODY VALENTINEの『Loveless』(1991年リリース)だって、最初のチャートではめっちゃ低かったらしいですからね。でも、今になってみると、当時のチャートのベスト3の音楽より、断然多くの人の中に残ってると思う。そういうふうに、自分たちの表現したいことをちゃんと表現していきたい。その中で、自分とは厳しく闘いたいんです。

-おふたりの中で、アートを作っていくことに対する覚悟がすごく深まっていますよね。『破壊POP』を作っている過程で、そういった覚悟が強まっていった実感はありますか?

塔山:そういうものが1番響いていたんだと思うんですよ。FOALSで言ったら2ndだし、DEPECHE MODEで言ったら『Violator』だし。自分で聴いた音楽が、そういうものだったんですよね。で、そこに共通する感覚を言葉として表すなら、"メランコリー"だったっていう。昔のインタビューで、Johnny Marrが、"なんでTHE SMITHSの音楽は、雨っぽい斜陽感があるんだ?"って訊かれたのを読んだんですけど、Johnny Marrはよくバスに乗ってたんですって。彼の地元のマンチェスターってほとんど曇りか雨らしいんですけど、バスの窓に雨が当たる感じをギターの音で鳴らしてみたいと思ったから、こういう音になったんじゃないかって話してて。それがすげぇカッコイイなと思って。どっかのライヴハウスでバンドが暴れて、そのハコが潰れたっていうのと同じくらいカッコいい話だと思ったんですよ。そのぐらいパワフルな話だなって。感情にキュンとくる感じがパワフルなんですよ。俺のキュンとくる要素を詰め込んだのが、このアルバムっていう感じなんですよね。