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INTERVIEW

Japanese

CIVILIAN

2016年08月号掲載

CIVILIAN

Member:コヤマヒデカズ(Vo/Gt) 純市(Ba) 有田 清幸(Dr)

Interviewer:沖 さやこ

-「Bake no kawa」の歌詞はこれまでで最も歌詞らしい歌詞ではないかと思いました。Lyu:Lyuの歌詞は小説のようで、フォーク・ソング的というか......言葉どおりの意味の歌詞だったので。それはコヤマさんの考えを誤解なく受け取れるとも言えるし、コヤマさんと同じような考えを持っている人にとっては救いにもなったけれど、それ以外の聴き手の想いを入れる余白がないと言えばなかった。でも「Bake no kawa」は言葉の中に聴き手が考えを巡らせる余白があるんですよね。

コヤマ:......わりとおっしゃったとおりというか。新しく曲を作ったときに、歌詞の内容に対して新しく意識したことがあって。今までの歌詞は自分の気持ちをただ書きなぐっただけで、言葉が言葉としてただ入っていくだけ。それは"生々しい"、"すごくリアルだ"と言われ、特技であり自分も全然悪いものだと思ってなかったんですけど......。自分で自分が今まで書いてきた歌詞を冷静に遠くから見たときに、"結局これは何を書いているんだろう?"みたいに思ったことがあって。俺は1曲の中にいくつもいくつも気持ちを入れていた。"小説のような歌詞"というのは、言い換えれば"最後まで読まないとわからない歌詞"だから、それは歌としての機能を果たしているのか? と思ったこともあって。もっと音楽を音楽として機能させるために、言いたいことをあえてもっと絞ってソリッドにしていって、始まりから終わりまでを通してひとつのメッセージを書いて、(曲のテーマを)明確にしようと意識してたところはありますね。

-コヤマさんがブログに"僕はずっと音楽をやっていなかった"と書いていらっしゃったのはそういうことだったんですね。おまけにこの曲は化けの皮を被っている人間にも、その人間たちに傷つけられた人間にも、どちらにも光を届けようとしている。だからさらに広い層を受け入れる度量があると思いました。

コヤマ:今の世の中は、一億総ジャーナリスト時代と言われるじゃないですか。SNSが発達して誰もが簡単にいろんなことを発信できる。例えばネット上で誰かが何か悪いことをした、というのが簡単にニュースで流れてくるし、寄ってたかって袋叩きにする風潮もあって。でもその炎上に参加してる人たちって、全員が悪人かというと、決してそういうわけではないと思うんですよね。普段は真っ当に会社勤めをしている人だったり、友達もいて普通に学校に行ってて普段は優しい人だったり......でもインターネットでそういうことに触れると、途端に半ば無意識に、無自覚で他人を傷つけることに参加してしまったりする。「Bake no kawa」を書いていたときはそれを特に強く思っているときで。傷つける側と傷つけられる側、どちらも同じ人間で、その人が持っている顔はそれひとつではないし。きっとインターネットから離れればこの人も優しい面があるはずで......そういうことを表したくて書いていた気がします。

-外の世界を歌っているとしても、もちろんコヤマさんのフィルターを通して見えたものだから、コヤマさんのカラーが色濃く存在している。加えて外の世界を歌っているのは、コヤマさんの"より多くの人に届けるため"という気持ちから生まれたことですし。

コヤマ:前よりも発信者として自覚的になってきたと思います。自分自身のことではないこと、自分を取り巻く周りのこと......自分じゃないことを歌ったとしても、自分のフィルターを通した世界しか歌えないじゃないですか。その時点で、書いているのが俺である以上、たぶん何を書いたとしても俺なんじゃないかなと思ったこともあって。もしかしたらそれも出ているのかな、という気がします。

-そうですね。ヴォーカルも気持ちのままに歌うというよりは、伝えることを意識したうえでのヴォーカル・ワークだと思いました。ヴォーカルのギミックはやりすぎるとリアリティがなくなりますが、上手に使うと効果的に曲を引き立てる。

コヤマ:ヴォーカルに関しても、この2年でいろいろ気づいたことがありました。録音された歌の中にそれも反映されていると思います。沖さん(※筆者)が前におっしゃったように、僕の歌は自分を救うための歌だったんですよね。自分が叫びたいことを叫んで、それで終わっていた。そこからもう一歩遠い視点で見たときに"人に一番伝わる歌とはなんだろう?"と、歌を歌うという行為について考えて......どういう声を出したらいいのかを考えたり、人からアドバイスをいただいて練習をしてきたり。今まで自分の気持ちだけが溢れすぎて、それでいっぱいいっぱいになっていたけれど、自分で"感情を出す、ここぞという部分はどこなのか"というのを冷静に精査するようになったところはあると思います。

-それと比べると、去年の夏からライヴでも演奏していた「爽やかな逃走」は、楽曲の構成としては手癖感もありますし、傷つきながらもなんとか進んでいこうとする歌詞や切迫感のあるヴォーカルなど、Lyu:Lyuとしてのカラーがすごく強い。

コヤマ:「爽やかな逃走」と「自室内復讐論」は、今までの路線の延長線上で新しいことに挑戦していた時期の曲だから、これまでLyu:Lyuの音楽を聴いてきた人には馴染みがあるだろうなと。今回の3曲は曲調だけでなく、歌い方でも三曲三様の表現をしようと思って、意識して自分の感情を思いっきり出したんです。僕は録音の前に"どんな歌い方がいいのか?"というのを自分で検証したうえで本番に入るんですけど、この曲は自分の感情を思いっきり出して歌うことが、曲にとって一番いいだろうという想いがあったので、とにかく思いきりやりました。

-穏やかな曲調であり、ベース・ラインがとても優しい。そことヴォーカルのコントラストもインパクトがありました。ドラムも歌に寄り添ったアプローチを続けつつ、最後にドラマチックに駆け抜けていく。

有田:今回収録するにあたって、太鼓はアレンジし直したんです。『GLORIA QUALIA』や『ディストーテッド・アガペー』のときは"いらんことしないのがいい!"、"曲の流れに沿って、必要なものが必要なだけあればいい"と思っていました。でもそのステージはもうクリアしたから、"逆に俺は今どれだけ出せるんだろう? 隙があればいろいろやったろ!"と思って作りました(笑)。ただ"曲を濁さない"、"邪魔をしない"というのは絶対的なルールとしてあって。そのうえで、セクションごとにフレージングを変えていったり、曲に対するリズム・チェンジでのアプローチをしたり、リフレインの効果を使ってみたり......レコーディングが始まるギリギリまでずっと考えてたし、録りながら変えていったりもしたし、相当悩みながら、新しいポイントを足したいと思って作っていきました。

純市:"優しい"というのは、言われてみればそうかなと思いました。聴いていてストレスを感じないようなものを目指してレコーディングしていたような。