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INTERVIEW

Japanese

ドレスコーズ

2022年10月号掲載

ドレスコーズ

Interviewer:石角 友香

恋ほど人を強くも狂おしくするものはないという意味で、久々に志磨遼平の軸にある表現が戻ってきたようにも感じられる、ドレスコーズの8thアルバム『戀愛大全(読み:れんあいたいぜん)』。だが、現実は先が見えないコロナ禍に半ば慣れ、地上で戦争が起き、この国の元元首が暗殺された夏。かつてないカオスの中で志磨は別次元の"現実"を描いたのではないだろうか。いついかなるときも、若くて幼い夏の恋のエネルギーとスピード感は現実を凌駕するぐらい圧倒的だ。まずは近年、コンセプチュアルな作品が続く彼の創作のモチベーションにどんな変化があったのか、そこから話を始めてもらった。

-このアルバムのテーマにも関係すると思うんですが、コロナ禍3年目ともなると、日々の感覚も変わってきませんか。

そうですね。まぁ3年も経てば、慣れるとこもあるというか。慣れって怖いですよね。

-どういう部分に慣れの怖さを感じます?

これだけの未曾有の事態ですから様々な意見にそれぞれ賛成反対はありながらも、世界中の大多数が思う"最善の道"を僕らは辿り始めたじゃないですか。で、はじめはそれに不平不満や疑問があったとしても、3年も経てばなんとなく慣れて抗わなくなってしまうっていうのを、生で初めて見るっていうか。

-あぁ、戦前や歴史上のことじゃなくリアルタイムですもんね。

ね。例えば僕は愛煙家なんですけど、2~3年前まではわりとご飯を食べるところでもタバコが吸えたんですよね。でも、今はご飯を食べたあとにお店の中で一服、なんて信じられない。初めは"参ったなぁ"と思っていた条例に自分も慣れてしまった。

-こんな政府の状況でも暴動も起こらないですし。

それこそ安倍(晋三)さんのこともそうですけど、僕らには不平不満を訴えるノウハウがまったく備わってないですからね。まだまだ日本人は赤ちゃんです。

-そういう状況を見ていると、よりこの社会が成熟するときまで見届けたいというか、知らんぷりはしたくないと言いますか。

絶望はしませんけど、あまりに未成熟やなっていうのをつくづく痛感しますね。

-最近のドレスコーズの作品は、前作『バイエル』(2021年リリースのアルバム)が象徴的でしたが、コンセプチュアルで。結果的にそうなるのか、もしくはこういう時勢ゆえにコンセプトありきになるのか、どちらでしょう。

もちろん後者だと思います。僕がそういうコンセプト・アルバムを作ったのは2017年の『平凡』が最初で、次に『ジャズ』(2019年リリース)があって、このふたつは"たられば"の話というか、"もしも自分たちがこういう状況に陥ったら"っていう、いわゆるディストピア的なSFっぽい設定です。でも、去年の『バイエル』はいよいよディストピア以外の何ものでもない状況が実際に訪れてしまって──例えば緊急事態宣言なんかが出て、音楽や文化的な営みは不要不急と言われ、人が集まってはいけません、というお達しが出て。今までのようにスタジオに集まってワーワーと唾を飛ばしながらやってたことができなくなって、改めて音楽の作り方とか、そもそも僕らが音楽を必要とするのはなぜか? っていう根源的なところまで考えざるをえなくなり。

-否応なしに考えますね。

例えばライヴが大好きな方っていると思うんです。ライヴがやれなきゃ意味がないっていうバンドマン。でも、改めて考えてみたら僕は全然ライヴできなくても平気だな、とか(笑)。そういう自分の特性がよくわかった。で、僕は逆境でテンションが上がる質(たち)なんですね。これもダメあれもダメ、って言われたら"ヤバい、状況が悪すぎてテンション上がってきた"っていう(笑)。この状況をどうやって面白がってやろうか、っていうような。だからたぶん僕、ここ3年くらいずっと躁状態みたいな感じだったんですよ。で、たぶん今はそうでもなくて。通常営業に戻るというか、なんのコンセプトも掲げずに普通のアルバムを作ってみるか、っていうつもりで作ったんですけど、やっぱりコンセプチュアルに聴こえます(笑)?

-ラヴ・ソングに振り切ってるっていうことが、こうやってパッケージになったときに、コンセプチュアルな提示のされ方をしているように映るんです。一曲一曲に物語があるっていうこと自体がコンセプトになるのかな? と。

それはパッケージの仕方が──何かトピックがないと宣伝にならない、っていう資本主義の仕組みがちょっとよろしくないかもしれないですね(笑)。普通のアルバムができました、じゃ売れないから。

-(笑)たしかにラヴ・ソングを歌う志磨さんは通常営業ではあるので、まとめ方っていうか、視点の置き方みたいなものが以前とちょっと違うだけなのかもしれない。

はいはい。

-通常営業とはいえ、やはり意思表示だと思っていて。今のような時勢には人のことを気にして作る人と、自分のために作る人が顕著になると思うんです。

僕、どっちなんでしょう。

-志磨さんは自分の中に映ったものがあってそれを作品として出していらっしゃるのでは。

今世界が一変して、それを反映せずに、影響されずにものを作ったり考えたりするってことは不可能なんです。それに一切触れないっていうのもただの逆張りで、"影響を受けてなるもんか"っていう影響を受けているんです。だからどんな形にしても、この今の状況の影響下から逃れられない。その"逃れられない"という事実が悔しい。その悔しい事実への反抗、逃亡がこのアルバムかもしれない。この世界から脱走したいという(笑)。

-すごく気骨のあるアルバムだなと思うんです。

ありがとうございます。

-今年のことをそのまま映すより、人に影響を与えるものなんじゃないかと。

そうだと嬉しいですね。そもそも音楽であるとか映画であるとか、漫才とかコントでもいいんですけど、そういった文化的なもので"人生が変わる"って、すごく高尚なことですよね。例えば"コロナ禍の影響で人生が変わった"とか、あるいは戦争とか天変地異とか、そういった不可抗力みたいなもので人生が狂わされることはあるにせよ、"これを読んで人生が変わりました"とかっていうのは、言ってしまえば架空の体験なわけですから。架空なのに実際にショックを受けるという。"戦争ぐらいすごい曲"みたいなことでしょう?

-自分の中で戦争が起こるって、自分の価値観が壊されることなので。

そうそう。それぐらい高尚な営みだったんだなぁってしみじみ思いますね。この状況でも以前みたいに人の人生をポジティヴに変えられるぐらいのものってのは、どんなものなんでしょうかね。

-今回のアルバムにもあるような、ラヴ・ソングに表現されている気持ちや、音楽として鳴ってるものを経験しておいたほうが、少なくとも後々生き延びられるというか(笑)。

うん。それはそうですね。

-今回は夏らしいし若いし、ラヴ・ソングばかりなのも納得するんです。

うんうん。それにバカだし。

-でもバカが何に対しても強いし、"すべてクソ"って言えるような。

そうそう。

-それが志磨さんのコロナ禍前からの"通常営業"だと思うんですが、通常営業する! という意思もあるのではないかなと。いかがですか。

そうかもしれないですね。"どこの店が閉まろうとも、うちだけは開いてるで"っていう。意地でも現実を受け止めないぞ、という意志。ちょうど真夏にこのアルバムを作ってたんですけど、実際はずっとスタジオに篭って、外の夏を空想しながら作ってたわけです。手塚治虫の"火の鳥"じゃないですけど、核戦争が起きた世界で、地下シェルターに潜ってそこから地上に思いをはせる、みたいな(笑)。"今地上はどうなってるのかな"とか、"昔、地上でこんなことがあったな"とか、"いつか戻りたいな"とか。この先のいつかまた戻れるかもしれない地上、そういうイメージで作ってましたね。普通、夏に夏の曲作ってたら間に合わないんですよ、産業的な意味で(笑)。それぐらいわかってながら、でもやっぱりこの夏の気分を書き留めておきたいっていうようなところはありました。

-もとに戻ることがいいとか悪いとかじゃなく、思い出として美しいんですかね?

というよりも、"地下シェルターから地上を思っている構図"自体が、ちょっと哀調を帯びた美しさっていう感じ。でも、それっていつでもそうなんですけど。

-コロナ禍でなくても?

そう。あたかも今年の夏は特別悲しかった、というような感じで言っちゃいましたが、別にコロナ禍の前の僕らが絶好調やったかっていうと、そんなこともないですから(笑)。常に人間はそういうもんだし、あんまり悲観的になるのもよろしくないですね。今思いました。

-志磨さんが表現活動をされ始めたときからそういう場所から言ってることは変わってない?

そうですね。僕らがすべて満たされたためしなんか1回もなかった。"なかったけど、それで?"っていうね。表現の動機がなくなるなんて幸せなことはね、僕らには起きないです(笑)。書かざるをえん。