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INTERVIEW

Japanese

それでも世界が続くなら

2018年08月号掲載

それでも世界が続くなら

それでも世界が続くなら

Official Site

メンバー:篠塚 将行(Vo/Gt) 菅澤 智史(Gt) 琢磨 章悟(Ba) 栗原 則雄(Dr)

インタビュアー:吉羽 さおり

9月2日のワンマン・ライヴをもって活動中止することを発表した、それでも世界が続くなら。6月に発表したベスト・アルバム『僕は音楽で殴り返したい』に続き、3作目のミニ・アルバムとなる『それでも世界が続くなら』を完成させた。全7曲、ここにあるのは、この4人でしか鳴り得ない"バンド"の結晶であり、人間のエネルギーが渦巻いて鼓動を生み出す、生命の咆哮だ。彼らがロック・バンドとして求めるもの、バンドマンとしての音楽的な姿勢、個の体験や経験が形作ってきた人生や哲学を、音と言葉として紡ぎ上げたアルバムだ。彼らがここにセルフ・タイトルを冠した意味は、とても大きい。

-最新ミニ・アルバムは、セルフ・タイトルとなりましたね。

篠塚:それはやっぱり気になりますか(笑)。

-はい、気になりますね。そして、とてもいいアルバムだと思います。これまでも、歌詞は誰かに宛てた手紙を書くというようなものだという話はしていたと思うんですが、今作ではその対象が、不特定多数よりももっと明解に、"君"や"あなた"や自分自身に向けられているように感じました。

篠塚:それは嬉しいですね。単純にこのアルバム自体が、曲単位で言えばいろいろ思うことはあるんですけど、アルバムということで言ったら、久々に僕っぽいアルバムというか。たぶん、本当は僕ってこういう曲を作りたいと思ってる人なんだろうなと思いますね。僕はすぐに実験をしちゃうんです。自己評価が低いからか、自分が作ったものを心底素晴らしいと思えないんですよね。ある種、強迫観念みたいに、自分の作ったものを"すごくいいアルバムできたろ?"って思えないんです。

-そこまでですか。

篠塚:インタビューで"いいアルバムができた"と言っている人はいっぱいいるじゃないですか。営業のようにそれを言っている人がいて。それを読むたびに、"よくこんなこと言えるよな"って思ってしまう人間なんです。僕自身がそう言えないからっていうのもあると思うんですけどね。そういうので、僕らはアルバムごとに過去の自分たちのやってきたことや、"こういうところがいいよね"っていうことを、意外と大切にしないというか、自分を大切にしないバンドだと思うんです。アルバムごとに変わろうとし続けてきたというか。でも、このアルバムに関しては、ベスト・アルバムを挟んだことも関係あったのかわからないですけど、自己否定があまりなく作れたんですよね。前の自分たちをぶっ壊そうとか、変わるためにアルバムを出そうとか、そういうのに怯えずにできた気がしますね。怖かったですからね、出すたびに。当然聴いてくれた人は、音楽を聴いて、"こういうバンドなんだな"って判断してくれると思うんですよ。その"こういうバンドなんだ"っていうイメージが、うまくいかないからそうなっただけだったり、僕らが未熟者だからみんながいいように解釈してくれているだけだったりして、それは本当の自分とは言えないんじゃないかな、みたいに思ったりすることをずっと繰り返してきたんです。でも、今回はそういう自虐がなくなったんですよね。

-作ってる段階からその感覚はあった?

篠塚:作ってる段階から、僕だけじゃなくみんな自然にやっている感じがしたんですけどね。どうだった?

琢磨:うん、自然にやってる感じがした。

篠塚:結構、作るときに無理する瞬間とかあるじゃん?

琢磨:うんうん。

篠塚:"これはみんなが好きって言ってくれて、嬉しいけど。嬉しいからこそそこに媚びちゃダメだよね"みたいな。

-あぁ(笑)。そんなところまでも。

篠塚:"それで嫌われてもいいよね"っていうか、"嫌われた方がその子のためだよね"っていうか。だって、本当は自分はそんな人じゃないのに、虚像な訳じゃないですか。本当はパンダを見にきたはずなのに象だったみたいな。でもパンダに見えちゃったから"やっぱりパンダだわ"って言ってるのって、嘘じゃないですか。僕らが騙してるっていうことになるわけで。

-きっと、そこは作っている側の深読みしてるところだと思うんですけどね(笑)。

篠塚:そうそう(笑)。聴いている方から見えた答えや、聴いてくれてる人が感じていることがすべてだと思うんです。僕らがその感想や、思ったことを決めるべきじゃないと思うんですね。でも、やってる僕らからすれば、それが誠実か、不誠実かっていうのはあると思うんですよ。たとえそれが相手に見えなくても、僕は誠実でいたいんですよね。今は例えばロックが好きな人も、どうせバンドは裏ではお金稼ぎしてるよねとか、こういう曲を書いておいて本人たちは女の子とかに手を出しまくっているんでしょ、ってたぶん思われていると思うんです。でも、そう思わせたのは誰なんだっていう話をしたら、僕らバンドをやってる人間で。そういう、チャラいと思わせるような音楽が当たり前にはびこっていて。結果さえ出れば、中身なんてどうでもいいっていう、ちょっと詐欺師みたいな瞬間があってしまうんですよ。それがバレているのに、まだ隠そうとしていて。そもそも僕はそういう人間が好きじゃないから、加担するつもりもないし、自分がバンドをやると言ったら、どう伝わるかよりも、どういう姿勢で届けるかが大事なんです。

-それがよりまっすぐ出ているんですね。

篠塚:一番自然ですからね。思想もやり方も僕ららしいというか。メロディとかは、ポップになってしまうこともたまに避けちゃうんですよね。いいと思われなさそうな曲を意図的に書きたくなると言いますか。いいと思ってもらえそうな曲を書くっていう行為が僕は苦手なんですよね。これは女子の、赤文字系/青文字系で言うと青文字系って言うんですかね。

-いわゆる、モテを意識せず自分の個性を出すっていうか。

篠塚:男子ウケを狙わないみたいな感じですかね(笑)。

-なぜそうなるんだと思いますか。

篠塚:もともとがカウンター・カルチャーなんですよね。自分にとっての音楽やバンドをやるっていう行為自体が、カウンターだったから。そもそも、人に好かれにいっているのが見え見えのテレビの音楽とかに感動できなかったですからね。僕は中学校の頭くらいまでいじめられっ子でしたし。そのくらいから不登校で学校も行かなくなって、高校は卒業しましたけど、定期的には行ってなかったんです。片親で、母親しかいなくて。テレビで流れているような曲で、自分の部屋や人生に似合う音楽がないんですよね。例えば、"お父さん、お母さん、いてくれてありがとう"みたいな曲が流れるじゃないですか。当然、家は凍りつくんですよね。"明日いいことがあるよ"って歌われても、いじめられていたから、僕の明日にはいいことがないんです。どの曲を聴いても、マイノリティはマイノリティなんですよね。大衆に向けて歌うことを過度に意識している曲は、たくさんの人に届けなければいけないという発想があると思うんです。その大衆というものは、やっぱりマジョリティになるというか。もちろんそう言ってるわけではないけど、僕らマイノリティはそう感じてしまうんですよ。常にマジョリティに向かって作られる作品から外れたマイノリティって、高確率で同じようなタイプの人間だったりするんです。社会の常識や現代の中だと、笑われたり、バカにされたり、居場所がなくなったりする状況で。そういうのが自分は嫌だったというか。つまり僕は、自分の曲や音楽が過度にいいものになることや、自分の人間性以上にメロディがよく聞こえちゃう感じを避けていたんです。僕を表現するなら、もっと歪んでいてもいいし、きれいなメロディじゃなくても、いい曲だと思われなくていいっていう。じゃないと、表現じゃなくて"商品"になっちゃうっていう意識がずっとあって。

-なるほど。

篠塚:今回は、それを気にしなかったというか。前回のアルバム『消える世界と十日間』(2017年リリース)が良かったというのもあるかもしれないですね。前回は、"作ってただ出す"みたいなことをやったんですけど、そこからいい意味で、自己否定的に壊してしまうことを1回やめられたと言いますか。