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INTERVIEW

Japanese

それでも世界が続くなら

2017年07月号掲載

それでも世界が続くなら

Member:篠塚 将行(Vo/Gt)

Interviewer:吉羽 さおり

Bellwood Recordsに移籍しての初のフル・アルバム『消える世界と十日間』が完成した。今作も、一発録音によるテンションの高いアンサンブルで、涙も血も流したことのある心を歌う。痛みのリアリティに耳を塞ぎたくなるときもあるかもしれない。同じくらいこの轟音と歪みの壁の内で、少しの間でも身を潜めていたいとも思う。そういう共犯関係を結べるアルバムだ。今作は"十日間の記録"によるコンセプト・アルバムだという。作品に封じ込めた思いと、11日目として「僕がバンドを辞めない理由」という手紙のような弾き語り曲を添えた思いについて、フロントマン・篠塚将行に訊いた。

-今回のアルバム『消える世界と十日間』はコンセプト・アルバムだということなんですが、制作はどういうふうにスタートしたんですか。

シングル『消える世界のイヴ/アダムの林檎』(2017年5月リリース)のときにはもうアルバムも録り始めていて。その中からシングルにしようという感じだったんです。もともと、曲を作った日の順番でアルバムにしたいなというのがあったんですよね。曲を作るときって、僕は曲を"作る"というよりはメモしているような感覚なんですよ。あったことをそのまま書き残そうみたいなものが、もともと自分のコンセプトとしてあって。違った形でも曲は書けるだろうけど、自分に結構縛りを作っているんだと思うんですよね。

-そうなんですね。

自分にとっては、そっちの方が人間っぽいんです。例えば......インタビューとかの記事の書き方、特に雑誌側にはあるかもしれないですけど、どうしてもこう思ってほしいというプロパガンダ的な要素ってあるじゃないですか。

-ありますね。

導いてしまうというか。きっと音楽にも多々あると思うんです。これは音楽好きな人はみんな思っているかもしれないけど、僕個人的には本当の方がいいんです。本当がいいと思っているんです。本当のことを言われたら傷ついてしまったりすることもあるんですけど、本当でありたいと誰もが思っている気がしていて。僕は少なくともそうなんです。

-書き手としては、そこはせめぎ合いかもしれませんね。

僕の場合は、そんなに器用ではないんですよ。単純に、あったことをそのまま書くことで、自分がこうあってほしかった音楽をやりたかったんですよね。これは、もともと僕がバンドを始めようというときに思ったことでもあるんです。プロパガンダ的な意図や、こう思われたいという意図を、できるだけ歌や音楽から除外するみたいな。そのぶん、誤解もされるだろうし、好きって言ってもらえることは、たぶん想像する以上に減ってしまうかもしれないけど。何かの間違いで聴いてくれた人に対する誠実さを、自分は追求したかったんですよね。でも、曲単位でそれはやるけど、アルバム単位となると、例えば聴いてほしい曲、シングルの曲が1曲目になったりするじゃないですか。そういうのを1回、除外してみたかったのもあるんです。だから今回、シングルを後ろの方に持っていったものを何も言わずにレーベルの担当の人に出して、"いいじゃん"って言ってもらえたときは嬉しかったですね。

-ちゃんとこのバンドの思いが通じたなと。

ちゃんと見てもらっているんだなって。そのぶん、どの曲も気を抜いちゃいけないと思ってやってますし、どの曲も2倍3倍、10倍、20倍の力を注がないと、それこそレーベルに対しても不誠実だなと思ってしまうので。そういう感じだったんですかね。単純に、アルバムからも意図的なものを除外するというか。何もコンセプトにしないみたいなものがコンセプトだったんですよ。

-ひとつのテーマがあって、それに基づくというコンセプト・アルバムではない、ということですよね。

僕の場合、根がカウンター・カルチャーの人間だからじゃないですけど、コンセプト・アルバムと言いつつも、たぶん俗に言うコンセプト・アルバムとは真逆なんでしょうね。ピカソが晩年に、"1枚の素晴らしい、評価される絵を描くことよりも、自分の絵を描いた最初から並べて、自分がどんなふうに考えて、どんなふうに絵を描いていったかを記すことの方がよっぽど重要だ"っていうことを言っていたんです。ピカソは、絵の作風も変わっていきますしね。当然、そのときにいたファンは、何度も離れたりついたりしていくものだと思うんです。僕は、その言葉をずっとバンドを始めたときから大事にしていて。自分のアルバムや、作った曲を並べていって、自分が死んだときにどんな人間だったかを記すようなことがしたいっていうのがあるんですね。そういう曲の作り方というか、"残し方"というんですかね。"作る"っていうのは、僕らしくないのかもしれない。

-ということで、1曲ずつドキュメント的に置いていくようなアルバムにしようと。

そうか、ドキュメント・アルバムって言えばよかったですね(笑)。コンセプト・アルバムだと誤解しか生まない言い方かもしれない。でも、誤解されるぶんにはね?

-それは受け手側のことですから、書き手の意図とは違ってもいいんじゃないですか。吐き出したもの、残したものは、それがもう事実としてあるものだから。

そうですね。僕、あまり自分の曲を振り返って聴かないんです。

-そうなんですか。

"コボちゃん"という、4コマ漫画の新聞連載をしている植田まさしさんが──もう、すごく長い連載らしいんですけど。

-読売新聞の連載ですね。30~40年はやっているんじゃないでしょうか。

完全に同じ話を4回くらい描いちゃっているんですって(笑)。長すぎて。構成や絵の描き方もまったく一緒らしいんです。でも、誰も気づかない。本人は、"自分が描いたものを振り返らないで、描いたものは忘れることにしている"と言っていて。それで続くためには、振り返っていたらダメなんだなと思ったんです。商業的な目的がメインのバンドだったら、また話は違うと思うんですけどね。

-たしかに、同じことをまたやっちゃうのは、あり得ないかもしれないですね。

同じ歌詞の曲を書いて、誰も気づかないとかさすがにまずいですけど(笑)。でも、僕みたいにどこかライフワークな要素が強い――ライフワークだし、コミュニケーションだし、生きてることに直結させたいと思っている僕からしたら、作ったものは意外と忘れたいんですよね。忘れてしまいたい。