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INTERVIEW

Japanese

0.8秒と衝撃。

2017年03月号掲載

0.8秒と衝撃。

Member:塔山 忠臣(最高少年。) J.M.(唄とラウド。)

Interviewer:岡本 貴之

-実際のレコーディングも、歌録りというよりも録った声の素材を切り貼りした感じなんですか。

J.M.:「ブレイクビーツは女神のために」に関しては、REC終了の30分くらい前に、"ヤバい、もう30分しかない"みたいな感じで、感覚で入れていったんです。オンタイムで手動でエフェクターを動かして、"ここにこれがほしい"ってどんどん足していったり。

塔山:僕が面白いエフェクターを手に入れて、それをスタジオに持っていったんです。最初は使うつもりがなかったんですけど、ちょっとロボっぽい音とか、変調して低い声とか高い声が出るやつでいろいろ試してたんですよ。ひとつだけ、その機材にしかついてない機能があったんですけど、スキャッターっていう、声を刻んで前にドーンと押し出すようなやつで。それが決まった刻みで出なくて、勝手にパン(※パンポット。音の左右の定位のこと)とかもしちゃうから、買ったときに"こんな機能誰が使うねん"って思ったんですけど(笑)、結局、最終的にそれが一番ハマッたんですよ。

J.M.:最後の30分でヤバいってなってからね(笑)。

塔山:間違いなく、その機材のスキャッターを初めて使った曲ですよ。絶対誰も使ってないです。めちゃくちゃ暴れ馬だったんで。

J.M.:本当に感覚だけでやるっていう感じが強かったですね。

塔山:実験ですよね。もともと、その曲はエステのメーカー(TBC)から依頼が来たときに、CM曲で"ちょっとだけ女性ヴォーカルが入ったインストっぽい曲を作ってほしい"って言われて、何とおりか作ったんですよ。最初にかわいらしい曲を作って出したんですけど、それだと"もっと暴れてほしい"って言われて。それで次に暴れた曲を作って出したら、今度は"これは暴れすぎで映像が乗らない"って言われて(笑)。それで今のやつになったんですけど(TBC"キレイはTから始まる"篇CM)、暴れすぎの曲がもったいないから、解体して作ったのが「ブレイクビーツは女神のために」です。

-今回、塔山さんは最後の「痛みの犬」(Track.5)以外はほぼ歌っていないですよね。曲を作っていくうちにそうなったんですか。

塔山:いや、それは最初から考えてました。これはユーモアとして聞いてもらいたいんですけど、最終的に俺は楽曲を作って、ひとりで根暗にDJをやりたいなとか思ったんですよ、冗談で。たまにちっちゃいハコで狂った奴らの前で回したい、それを趣味でやろうと思ったんです。

J.M.:ははははは(笑)。

塔山:でもJ.M.さんの声は好きなんで、J.M.さんの声を借りて、DJでクラブとかでも流せるような方向のビートの効いたものを作ってみたいなっていうテーマで、俺がヴォーカルで入るのを極力なくしたいなと。そう考えると、これまでのハチゲキも踏襲してないんですよね。今まではトントントン、男、女、ドーン、みたいなものが多かったんですけど、ちゃんと踊れるビートが鳴りつつ、J.M.さんの声を彩りとして入れていくというのは考えて作りました。だから最後の曲も本来はJ.M.さんに歌わせたかったんですけど、リハで合わせたときにあんまりしっくりこなかったんですよね。J.M.さんの声はすごく好きなんですけど、たまに合わない曲があるんですよ。これは女性ヴォーカルのヒップホップっぽいバラードで作りたいと思って作ったんですけど。いつも説明するときは、俺が歌うんですね。オカマっぽい声を出して女性ヴォーカルっぽく。

J.M.:そうそう(笑)。

-できるだけニュアンスを伝えたいわけですね。

塔山:そうです。そうしたら、スタッフさんから"J.M.さんの声に聞こえます!"って言われて。

一同:(笑)

塔山:そういう気持ち悪いことをやっていたんですけど(笑)、俺が真似て歌ったら"塔山さんのその声の方がいいんじゃないか"って話になって、キーを調整して録ったんです。

J.M.:歌モノって、塔山さんの方が伝わるんですよね。

塔山:そんなことはないよ。でも、たまにあるんですよね。OASIS の「Don't Look Back In Anger」(1995年リリースの2ndアルバム『Morning Glory』収録曲)は名曲だから、兄弟で殴り合いになるくらいどっちが歌うか取り合ったらしいですもんね。結果お兄ちゃんが歌うという。でも、あれはNoel Gallagherが歌って良かったと思うんですよ、あの繊細な感じが。だから「痛みの犬」は、J.M.さんばっかり歌ってるから俺の歌も入れた方がいいなとか思ったわけじゃなくて、自然に曲が教えてくれた感じですね。

J.M.:結構しっとりしてる曲ではあるんですけど、やっぱりどこかにうちららしい個性を入れたいというのはあって。

塔山:バラードと言えども、結構下回りのドラムとベースはガツガツしていてトラックとしては力強くて。フォーキーなバラードはやったことはあるんですけど、こういう感じはやったことがないですから。それも、J.M.さんと"遊びでGORILLAZみたいなこともやってみたいね"って話していて、こういう曲があるって聴かせたのが最初だったんですよ。GORILLAZもヒップホップとかダブを中心に、結構かわいい曲もあるじゃないですか? 自分もいろんな方向の曲があるので、それをファイルで分けてるんですよね。"ハチゲキっぽい"って言うとおかしいですけど、僕の好きなカラーとハチゲキのお客さんの好きなカラーのセッションがちゃんとできている部分があるんです。そこは期待に応えたいし驚かせたいと思っているんですけど、それとはまた違うファイルの曲をいろいろ作り溜めているんですよ。その中の、J.M.さんと"遊びでGORILLAZみたいなこともやってみたいね"って言ってた曲ですね。

J.M.:うちらは結構フォークが得意だったりするんですけど、前作収録の「ジャスミンの恋人」から、ダンス・ビートに対してのグッとくるようなバラードっていうのが私の中で好きになっていて。(同じアルバムに入っている)「白昼夢」が、私の中では結構深いところを表現できた曲だなって思ってるんです。王道のバラードというよりも、身体の中心にズンッてくるバラードが好きになってきているんです。

塔山:それをJ.M.さんは"カルマが高い"って言うんですよ。昔、石野卓球さんが電気グルーヴの「虹」(1994年リリースの5thアルバム『DRAGON』収録曲)を表現するのに"売れた「Shangri-La」より「虹」の方がカルマが高い"って言ってたっていう話をJ.M.さんに話したら、それ以来"カルマが高い"って言うようになって。

J.M.:ははははは(笑)。なんか、一般人受けよりも、音楽っていう概念から見たときに深みがある曲というか。玄人が聴いて"いいな"って思う音楽が好きになっていて。

塔山:もともと、結成したときからそうしたかったみたいなんですよ。1stアルバム(2009年リリースの『Zoo&LENNON』)のころも、CDショップに行って販促でメッセージを書くときに、僕は"聴いてください!"とか書いてるのに、J.M.さんはいつも"アコースティック・ダンス・ロック"って書いてるんですよ(笑)。だから、アコースティック・ギターとダンス・ビートの融合を図ってたんでしょうね、ずっと。実際にアコースティック・ギターが鳴ってない曲でも、ちゃんとコード感があるというか。J.M.さんが大事にしているところって、ダンス・ビートにアコースティック・ギターを乗せるっていう安い意味じゃなくて、楽曲としてアコギだけでも表現できるように仕上がっている感じというか。ネイキッドになってもいけるし、ダンスになってもいけるっていうような意味だと思うんですよ。J.M.さんのその考え方はすごく好きなんですよね。

J.M.:たぶん塔山さんが望んでいた方向ではないと思うんですけど、「痛みの犬」は自分の持っている憎しみすらも曲に入れたいなって思ったんです。苦しさとか悲しさとか、人が感情でぐちゃぐちゃになる、人生にもがいているような気持ちを音に込めるというのが、私はグッとくるものがあって。KING CRIMSONに「Fallen Angel」(1974年リリースの7thアルバム『Red』収録曲)っていうすごく好きな曲があるんですけど、精神面の苦しさや葛藤の合間に訪れる儚い幸せが曲に入っているなって思うんですよ。大衆受けするようなバラードというよりは、音で内面性を表現しているのがすごいなと思っていて。自分たちの初期曲「黒猫のコーラ」(『Zoo&LENNON』収録曲)とかすごく明るい曲で、みんな好きでいてくれてるんですけど、今自分たちが生きた時間があったうえでバラードと向き合うと、やっぱりただ優しいとか悲しいよりも、もうちょっと奥にある内面の、人生の苦みとかを表現したいという思いがありますね。

-"逆境の中でこそ、自分の中にある「ナニか」を表現する。"というのは、そういうところに繋がっているんですね。

J.M.:そうですね。ただ、うちら世代なんかよりも、おじいちゃん世代の人たちは戦争に行ってるし、友達とかって文字どおり"戦友"じゃないですか? 今の現代的な繋がりとは全然違うんですよね。うちらが感じてる逆境なんかよりも、そういう人たちが乗り越えてきた逆境の方が内容が濃いから、自分に起こっていることに対して真っ向から"うわっ、逆境だ"なんて思ったりしないですけど。

-他の曲が攻撃的でアッパーな曲なので、「痛みの犬」で終わるのはすごく意外な感じがしました。

J.M.:私は作品で重要なところって、その曲を聴いているときじゃなくて、終わったあとのその人に残る気持ち、余韻だと思っていて。自分が想定したような方向でその人が聴き終えてくれたら嬉しいんですよね。そういうものを目指して作っています。