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INTERVIEW

Japanese

PELICAN FANCLUB

2018年11月号掲載

PELICAN FANCLUB

Member:エンドウアンリ(Vo/Gt)

Interviewer:TAISHI IWAMI

"説明できないからこそ価値がある"。経験を通してよくわからないものが減っていくなら自分で探す。バンドの創作意欲が爆発した新作『Boys just want to be culture』とは


-自分たちが好きな音楽への憧れを音にしたり、再現性を研究したりすることをベースに置いてきたことは、必要なことだったと思いますか?

そうですね。でないとただ何も考えてないだけの人ですから。今までやってきたことは、必要不可欠だったと思います。そこから、今作は今までやってきたことを飛び越えるくらいに別格だと感じています。

-どういうところが別格なのでしょうか。

"自分らしさ"について悩んだことがあって。"らしさ"って厄介ですよね。20数年間生きてきて経験した物事、それを消化して出るものが"らしさ"なのかどうなのか。いろいろと考えたことを、別に音楽で表現しなくてもいいんですけど、僕は表現したいんです。答えは出てなくても、なんだかわからなくても届けたい。世界で(PELICAN FANCLUBの)エンドウという人間は僕しかいないし、それを生きてるうちに残したい。そこには、憧れも含まれますし、その気持ちにフォーカスして音にすることとは必死で向き合ってきたんで、ルーツは勝手に出てくるところまできました。そこを経ての、ものすごく感覚的な作品だということですね。

-それが具体的なやり方としては、どう表われましたか?

音楽理論とかも今まで気にしながら作ってたんですけど、そこも抜きにしてやりました。自分の気持ちいい音に対する勘だけを頼りに、絶対にエンドウという人間にしかできない、PELICAN FANCLUBという3人の集まりだからできる存在感のあるものにしようと。

-"自分らしさ"って難しいですよね。私も"自分の耳で判断しよう"とか、"メディアなんかに惑わされちゃダメだ"といった旨のことを、誰かや不特定多数に向けて言ったことがあるんです。でも、そもそも人は何かに影響を受けて物事を取捨選択してる。何がその人オリジナルの感覚で、どこからが流されてるのかって、線引きは難しいじゃないですか。その中で何が大切なのかと言うと、理屈抜きに信じられる作品に出会うこと。今作にはそういう存在感を感じています。

僕が大切にしたいのは、出会うきっかけは様々でも、それを直感的にいいと思ったのか、ってこと。直感的なことにも理由はある。でも、考えても説明できないじゃないですか。説明できないからこそ価値がある、説明できないからこそ美しい。説明できたらつまらないとも思うんです。

-"説明できないからいい"という話は、すごくわかります。

自分の曲について自分でもちゃんと説明できた方が、わかりやすくていいってことなのかもしれない。でも、そういう得体の知れないもの、それこそが自分自身なのかなって思います。他人からしたら理解できないし自分も理由はわからないけど、怖いことや嫌いなこと、好きなことってあるじゃないですか。そのよくわからない感覚が肝だと思うんです。そこを大切にして完成した、僕らが信じて作ったから、誰もが信じていいと思えるアルバムになったと思います。それがうまかろうがまずかろうが、まずは聴いてもらうに値すると自負しています。

-おっしゃったように、私も"なんだこれは?"っていう衝撃があって、まだ聴いたばかりで咀嚼できていない部分もありつつ、でも圧倒的にこの作品が好きなんです。私の経験ベースで言うと、10代のころにライヴハウスかどこかで、初めてJOY DIVISIONやTHE POP GROUPを聴いたときの話。今までテレビ番組とかから流れていた歌と全然違って、メロディはヘロヘロしてるし音はスッカスカ、そもそもこれは音楽なのか、っていうレベルで違和感や疑問と持ちつつ、好きだった。まぁ、話自体はステレオタイプですけど(笑)、その感じに近い。

わかります。僕も10代のころってそういう感じで好きなものが多かったから。JOY DIVISIONの「Disorder」とか、初めて聴いたときは、なんでこれが曲としてリリースできたんだって不安になるくらいで。でもめちゃくちゃ好きだった。あの衝撃みたいなものは忘れたくないんです。いろいろ経験するとそういう体験は減ってきちゃうんですけど、僕は作ることにおいても、よくわからないけど好きな何かを、どんどん探しに行きたいんです。

-そこでタイトルが"Boys just want to be culture"。これは直訳で捉えていいのでしょうか。

そうですね。まず、"カルチャー"について。その言葉自体が漠然としていて、何に対してのカルチャーなのか、見方によっても違います。日本という視点からだと、誰かが海外の人に日本のバンドを教える機会があったとして、そこでPELICAN FANCLUBの名前が挙がったら、その人にとって僕らは日本的な文化の代表的な存在になってるってこと。バンドをやってる高校生がみんなPELICAN FANCLUBのコピーをやってたら、それはそれでひとつのカルチャー。僕らのライヴに来てくれる人たちが、今僕が着ているようなブルゾン姿だったら、それもカルチャー。SEX PISTOLSとVivienne Westwoodの関係性とかもそうですよね。だからまずは、どんな形でもいいんで、僕たちが信じて作った信じられる作品を、いろんな人に評価してもらいたいです。ダメだったらダメでもいい。でも自分はいいと思ってる。逃げも隠れもしない、そういう意志表明でもあります。

-カルチャーの理想像はありますか?

それはメンバーそれぞれにあると思います。僕の場合は、最初は憧れでバンドをやったときにコピーした、BUMP OF CHICKENの4人に感じたこと。"バンドって楽しそうだな"って思って僕もやってみた。まずは僕らもそういうきっかけになりたいです。それがタイトルの主語を"Boys"とした理由にも繋がってくるんですけど、PELICAN FANCLUBはカミヤマリョウタツ(Ba)、シミズヒロフミ(Dr)と僕、男3人のバンドなんです。その生身の感じ。とか言ってますけど、タイトルを考えたのはカミヤマ君で、僕もそれが最高だと思ってます。

-アルバム全体の流れとか、そういうことは考えましたか?

曲単体でも直感的に作ったんで、曲順も感覚的に繰り返し聴きたくなるものにしました。

-1曲目の「Telepath Telepath」で"終わりにしよう"と歌っていて、サウンドからも、それは新しい始まりの宣言のようにも受け取れて、最後の「ノン・メリー」で新しい光が射すような。生きているとそういうことの繰り返しじゃないですか。

たしかに。今気がつきました。1曲目はまだ後ろ向きというか退廃的というか、でも「ノン・メリー」は希望が見えるような曲に......なってますね。ほんとだ。

-でも、底抜けに明るくはない。

そこは僕の人間性だと思います。明るいとは思ってるんですけど(笑)。