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INTERVIEW

Japanese

PELICAN FANCLUB

2018年11月号掲載

PELICAN FANCLUB

Member:エンドウアンリ(Vo/Gt)

Interviewer:TAISHI IWAMI

PELICAN FANCLUBの新作ミニ・アルバム『Boys just want to be culture』が凄まじい。80年代のニュー・ウェーヴやインディー・ポップからの影響を強く感じさせる、1stミニ・アルバム『ANALOG』と続くセルフ・タイトル作。90年代のオルタナティヴ・ロックや往年のフォーク・ソングなど、リファレンスの幅が広がった『OK BALLADE』。その3枚の集大成と言ってもいい、満を持してのフル・アルバム『Home Electronics』を経て、明らかに新たなフェーズに突入。音楽的バックグラウンドという意味では大きな変化はないのだが、とにかくその折衷感覚や作品の展開が、まるでPELICAN FANCLUBという3人の"人間"そのもののように生々しい。カルチャーへの敬意から自分たちだからこそ生み出せるカルチャーの創造へ。新たなムーヴメント誕生の瞬間を見逃すな。

-2015年(1月)の1stミニ・アルバム『ANALOG』から今作『Boys just want to be culture』までを通して聴いてみたのですが、とてもいい段階を踏まれているように思いました。まず、『ANALOG』は80年代のポスト・パンクやニュー・ウェーヴ、日本で言うネオアコの色が強かったと思うんです。

そうですね。COCTEAU TWINSやTHE CUREが好きで、そこに対しての愛の表現というか、敬意を示すようなイメージ。僕が音楽をやるということは、そういった好きなバンドへの憧れを表現するのと同じくらいの感覚でした。続く2枚目のセルフ・タイトル・ミニ・アルバム(2015年8月リリースの『PELICAN FANCLUB』)も、向いている方向は近くて、その世界観を深めていった作品です。

-そして3枚目のミニ・アルバム『OK BALLADE』(2016年リリース)で、サウンドの幅が大きく広がります。

僕ひとりではなくて、メンバー全員それぞれの音楽的な部分を掘り下げていこうって話になったのが『OK BALLADE』。それまでは、インディー・ポップとかドリーム・ポップ、ネオアコ的なものをやってたんですけど、RAGE AGAINST THE MACHINEみたいなことをやってみようとか、フォーク・ソングをやってみようとか、よりバリエーションに富んだ作品にしようという意識を持っていました。

-『OK BALLADE』に入っている「説明」は、今おっしゃったRAGE AGAINST THE MACHINEの存在を強く感じる、それまでのキャリアにはなかった重心の低いヘヴィな曲。エンドウさんがもともと憧れを音にしていたTHE CUREやCOCTEAU TWINSは、大きく括ると、そのRAGE AGAINST THE MACHINEらが台頭してきたオルタナティヴ・ロックの元祖となるバンド。ルーツを踏まえているから、表層的な音はまったく違っても腑に落ちる。それがPELICAN FANCLUBの良さだと思うんですけど、そこの感覚をメンバー同士共有できていないとできないことですよね。

なぜ好きなのか。理由を追求すれば核は浮かび上がってくると思うんですけど、そこは深く考えずに、"よくわからないけど好き"っていうものを寄せ集めていくうちに、メンバー同士の共通点がかすかに見えてきた感じです。それが不思議な説得力になっていたというか、元も子もない話かもしれませんが、純粋に音楽が好きっていう、そういうことだったんだと思います。

-ルーツを掘ることと、いい表現の関係性については、どう思われますか?

僕は単純に、好きなものに出会ったらルーツを知りたくなるんです。例えば、オンタイムの好きなバンドが5つあったとします。そこで、そのバンドのメンバーたちが好きな音楽を過去に遡って探っていくと、絶対に共通しているアーティストがいるんですよ。実際にそれを聴いてみると、"わかる!"って思う。僕の場合、それがTHE CUREだったんですよね。その"わかる"って感じはすごく楽しいんで、僕らの音楽にも持っていたいことです。

-『ANALOG』のときから感じていたんですけど、PELICAN FANCLUBの根っこ、おっしゃった"わかる!"という部分は、THE CUREからもうひとつ遡って、パンクにあるんじゃないかと。

なるほど。どこからパンクなのかって、難しいですよね。THE CLASHはパンクだけど、じゃあTHE SMITHSはパンクなのかどうなのか。"パンクっちゃあパンクだろ"って。SEX PISTOLSのJohn Lydon(Vo)がやってるPIL(PUBLIC IMAGE LTD)やJOY DIVISIONも、括りとしてはニュー・ウェーヴと言われてますけど、パンクがあっての流れだった。僕はもともとニュー・ウェーヴが好きで、その大きなルーツのひとつはパンクだと知って、だったら僕は本来パンクが好きなんじゃないかって思っていろいろ聴いてみたら、見えてくるんですよね。その流れが。ルーツを知るということは、いろんな音楽を聴くということであり、自分が好きなもののツボがわかるってことだとも思うんです。

-その"ツボ"がなんとなくでもメンバー間で共有されている。

そこには、コード進行の感じとか展開の感じとか、様式美的なこともあります。"これそうだよね"みたいな。メンバーそれぞれに好きなものや個性はバラバラでも、そういう感覚があるから薄っぺらい真似事にはならないし、嘘がない。その核となる部分がパンクなのかもしれません。パンクから派生していく、様々な音楽の先にPELICAN FANCLUBがいるように思います。

-過去へのリスペクトによって獲得したPELICAN FANCLUBらしさがそびえ立った作品。それが昨年リリースした初のフル・アルバム『Home Electronics』だと思いました。

『Home Electronics』は先の3枚をまとめた集大成的な意味合いが強かったです。当時の自分たちが持っている最大の技量、ベストを尽くしたと思います。

-そして迎えた今作。『Home Electronics』でひとつ極まったうえで、また異なる次元に足を踏み入れたと言いますか、今までとは決定的に違うエネルギーを感じたんです。

そうですね。今作はこれまでのような何かに対する憧れではない、というのが大きな違いだと思います。

-と言いますと?

自分が今まで生きてきた経験を通して自然に出てくるもの、と言いますか。例えば、ここにある紙コップを見て、どんなコード進行があるかとか、どんなメロディにしようかとか。音楽的なバックグラウンドというよりは、何かしらの対象物に対する"イメージ"を音にした、感覚的な作品。だから憧れは一切なかった。でも、結果的にわかったことでもあるんですけど、ルーツや自分たちが好きなものって、勝手に出てくるものなんですよね。

-そういう次元にまでいきたいという気持ちは、最初からありましたか?

いえ、なかったです。最初は自分のために"こんな曲があったらいいな"と思って作ってました。だからこそ憧れが強く出ていたんだと思います。"この曲のこの雰囲気を日本語で歌っているものを聴きたいな"って感じで。