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INTERVIEW

Japanese

キタニタツヤ

2018年10月号掲載

キタニタツヤ

キタニタツヤ

インタビュアー:秦 理絵

"こんにちは谷田さん"というボカロP名義でネットにアップした楽曲が注目を集めている他、アイドル・グループ Payrin'sへの楽曲提供、さらに今年8月には3人組バンド sajou no hanaのベーシストとしてもデビューを果たすなど、音楽シーンで注目を集めているキタニタツヤが、シンガー・ソングライターとして初のフル・アルバム『I DO (NOT) LOVE YOU.』をリリースする。卓越したクリエイターとしてのアイディアやこだわりを細部に詰め込んだ秀逸な楽曲に乗せて、歌詞には自己愛と自己嫌悪が絡み合い、自殺寸前の絶望ゆえに誰かに縋りたいという祈りが綴られている。そして、"I DO (NOT) LOVE YOU."="私はあなたを憎む"だ。なぜ、キタニタツヤは痛烈に負の感情を歌うのか。話を訊いた。

-作曲家でもあり、バンドもあり、そして、今回はシンガー・ソングライターとしてデビューということで、キタニさんの活動はかなり多岐に広がってますね。

その全部が有機的に繋がってるんですよ。例えばsajou no hanaっていうバンドでは、自分ひとりでは生まれないようなものを作ってるから、そのスキルは他の場所でも役に立つんです。それは作曲家として他のアーティストに曲を提供するときもそうだし、あとベーシストとしてサポートすることもあるんですけど、全部が繋がってますね。

-例えば、ゲスの極み乙女。とindigo la End、最近ではジェニーハイも始めた川谷絵音さんなんかも、いくつか違う音楽活動の場所があるタイプですよね。

そうですね。だから似てる部分があるのかなと思うんですけど。僕は活動の場所がたくさんあった方が健康的に創作ができるようになったんですよね。

-今回のインタビューでは、そういう活動に至った経緯も含めて、キタニタツヤさんの音楽遍歴からじっくり話を訊かせてもらえればと思います。

よろしくお願いします。

-まずキタニさんは、どんな音楽に影響を受けてきましたか? 音源を聴かせてもらうと、日本語を大切にする邦楽ロック系なのかなと思いますけど。

僕、22歳なんで、たぶんこの世代のアーティストに多いと思うんですけど、やっぱりアジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)から始まってるんですよ。小学校2年生ぐらいのときにアジカンがデビューをして。アニメ"NARUTO-ナルト-"のオープニング曲になってた「遥か彼方」を聴いて、ロックを知りました。そこから、最初にハマったのは、元ナンバガ(ナンバーガール)のドラムのアヒト・イナザワさんがやってるVOLA & THE ORIENTAL MACHINEなんです。あと8ottoとか。

-それを小学生のときに聴いてたんですか?

親が年中スペシャを観てるような家だったので、自然と耳に入ってくるから、(音楽に興味を持つ)準備はできてたんです。"あとは勝手にハマれ、息子よ"みたいな(笑)。振り返ると、インプットが多い環境だったと思います。ライヴにも連れてってもらったし。

-ライヴ・デビューは誰だったんですか?

小学生のときに行ったアラバキ("ARABAKI ROCK FEST.")ですね。印象に残ったのはMO'SOME TONEBENDERだったんですけど。存在だけは知ってて、ライヴを観て感動しました。

-自分でも音楽をやりたいと思うようになったのは、いつごろからですか?

小学生のときから漠然と、大人になったら音楽をやるんだとは思ってました。でも、そういう人が周りにいなくて。中学に上がってからバンド好きの友達と出会って意気投合したんですよ。高校生になったら、自分たちでバイトをして、楽器を買って、バンドをやろうって約束をして。で、中学卒業と同時にベースを買いましたね。

-高校で組んだバンドでは何かコピーをしましたか?

最初はアジカンのコピーをしてました。で、途中からギター・ヴォーカルの子がオリジナル曲を作ってきたんですけど、それを聴いて、"いや、俺はもっといいのを作れるぜ"ってなんの根拠もなく思ってたんですよ(笑)。それから自分の曲を作ったら、意外と良くできちゃって。そのバンドから独立して自分の曲を作り始めたんです。

-もうバンドを組みたいとは思わなかったんですか?

他にメンバーもいなくて。それで何をしてたかっていうと、家でドラムを打ち込んで、録音したギターと一緒にオケとして流しながら、ライヴハウスでベースを弾きながら歌ってたんですよ。だから、そのころから同期を使ってたんですよね。DTMで曲を作りながら、今はなきMyspaceとかに音源をアップしてました。

-それがニコニコ動画に音源を投稿していくことにも繋がっていくんですね。

高校生のころに一番ハマってたのもVOCALOIDだったんですよね。小学生のときから聴いてたバンドの音楽も好きだったし、ライヴも行ってたんですけど、それとは別にボカロ界隈の新しい音楽に出会ったのも衝撃だったんです。

-ちょうど00年代の後半ぐらいだと、ボカロ・シーンも全盛期を迎えるころですよね。

そう。ひとりで音楽をやることが当たり前になってきたんですよね。バンドじゃなくてもいいっていうか。僕がハマるより前だと、VOCALOIDって、もっとオタク・コンテンツっぽかったんですよ。"初音ミクが歌ってくれる!"みたいな。でも、僕が好きになったのはボカロが始まって3~4年が経って、いろいろな人が入り込んできたころだったから、ギター・ロック系の曲も増えてきてて。そのタイミングで聴き始めたこともハマるきっかけだったんです。

-自分でも音源をアップロードし始めるようになってから、少しずつ手応えを感じるようになったのは、いつごろだったんですか?

なんとなく知られるようになったのは2年前ぐらいですね。このアルバムにも入ってる「芥の部屋は錆色に沈む」っていう曲を上げたときに、ちょっとずつ聴いてくれるようになったんですよ。10万回再生がひとつの目標だったんですけど、この曲で達成して。それまではあんまり聴いてくれる人もいなくて、ふてくされたところもあったんですけど(笑)、そこから、このままやっても聴いてくれる人はいるんだなって思いましたね。

-そのころから本格的に音楽で食べていくことを考え出すようになったんですか?

いや、その前からですね。大学3~4年生で、みんなが就活を始めるころに、僕は絶対に就職はしたくなくて、音楽だけやっていきたいなって思ってて。ただ、VOCALOIDだけでも食っていける人はいるけど、"自分はどうか?"って考えたときに、全然そうでもない。趣味程度の規模だなっていうのもあって、作曲家になったんです。仕事も音楽、趣味も音楽にするっていうのが、自分にとっては健康的でいいのかなって考えるようになったんですよ。とにかく、ずっと音楽をやりたいなと思ってましたね。

-とはいえ、仕事として裏方の作曲家になるかと思ったら、今はアーティストとして表に立つことになりましたよね。

そうなんですよね、不思議と(笑)。作曲家として事務所に入ったのに、ディレクターに、"お前は作曲家じゃなくて、アーティストだと思っているよ"って言われて。"君にはバンドをやってもらうから"っていう話をされたんです。