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INTERVIEW

Japanese

キタニタツヤ

2018年10月号掲載

キタニタツヤ

Interviewer:秦 理絵

-そう言われて、どう思いましたか?

たしかに自分は作曲家らしい作曲家じゃないなと思いました。あんまり器用にできないんですよね。でも、できないなりに、例えばアイドルの曲を書いてくださいって言われたときも、自分の味を出しながら、アーティストに寄り添える作家になろうと思ってはいたんですけど。結局、器用にできないことを完全に見透かされてたんです。

-そこから、バンドとしてsajou no hanaをスタートしつつ、ソロ・シンガーとしての活動もはじまっていくことになったと。

sajou no hanaの方は、sanaさんっていうヴォーカリストがいて成り立つバンドなので。音を作るにしても、歌詞を書くにしても、彼女を念頭にして組み立てるし、渡辺 翔さんが作曲専門で、僕は編曲専門っていう分業なんです。たまに僕も曲を書いたりしますけど、キタニタツヤとは全然違うんですよ。

-ソロのキタニタツヤは自分の表現したいことを突き詰める場所にしたいですか?

まったく何も縛りがないですからね。もともと僕は音楽以外に趣味がなくて、その音楽が仕事になっちゃったことで、趣味がなくなったんです。だからキタニタツヤ名義で活動をすることで、新しく趣味を始めたぐらいの感覚でもあって。自分のための音楽がないとやっていけないから、逃げ場でもあるんですよね。

-仕事も音楽、趣味も音楽だと、毎日ずーっと音楽のことを考えてるんじゃないですか?

そういうことになりますね(笑)。音楽のことを考えてるか、家でぐーたらするか、ふたつしかないですよ。

-そういう経緯を経てリリースされるのが、キタニタツヤとしてのソロ・デビュー作品『I DO (NOT) LOVE YOU.』になりますね。1曲目の「悪魔の踊り方」が、人間への憎しみに満ちた曲だから、最初は聴くのを躊躇うぐらいだったんですけど、何回も聴いているうちに、すごく愛されたい、愛したい人の作品だなと思って、愛しくなってきたんですよ。

ありがとうございます(笑)。今回のアルバムには2年前の曲も入ってたりもするんですよ。「芥の部屋は錆色に沈む」、「記憶の水槽」、「初夏、殺意は街を浸す病のように」とか。でも、完成してみたら、ずっと同じようなことを歌ってるなぁって思いましたね。他人とのコミュニケーションが大好きな自分と、他者の一切を否定したい自分が、常に背中合わせでくるくるしてるっていう。昔の曲もあるから、一貫したコンセプトがあって作ったわけじゃないんですけど、"あ、これは統一性があるな"と思いました。

-ということは、アルバムのタイトルが"I DO (NOT) LOVE YOU."になったのも、制作がある程度進んでからだったんですか?

途中でコンセプトができたみたいな感じですかね。そのタイトルを付けたあとに、最後の3曲を作ったので。

-キタニさんは、どういうときにコミュニケーションが大好きだなと思ったり、否定したくなったりするんですか?

人と酒を飲むのが大好きなんですけど、かと思って、家に帰ると、人が嫌だなー、自分が嫌だなーって思うときもあるし、極端なんですよね。僕、こんな暗い歌を書いてるけど、ずっと小中高ではクラスの中心人物だったんですよ。

-本当に!?

陽キャラだったんですよね。卒業文集とかで、クラスの面白い人ランキングで常に1位の人だったんですよ(笑)。

-それなのにアルバムには自己嫌悪の曲だったり、人間への憎悪みたいなものを書いた曲だったりも多いですよね。特に「悪魔の踊り方」なんかは、ヘイトの塊みたいな曲で。

「悪魔の踊り方」はミュージック・ビデオの反響がすごかったんですよね。総理大臣の顔が出てくるから、政治批判の歌だって言われちゃって。この曲は"ちゃんと自分で考えようよ"って言いたかったんですけど。例えば、コメント欄に誰かが"この曲はこういう解釈なんだ"って書くと、"なるほど!"って簡単に賛同してしまう人がいる。それに対して"いや、そうじゃなくて、曲の意味とかそういうのも含めて自分で考えてよって歌なのに"という悶々とした気持ちがあったりして。憎しみを解消するために作ったのに、また憎しみが膨らんでいくっていう。

-人に対する憎しみが湧くのは、どういうときが多いですか?

発作のようにっていう感じかな。あんまり原因はなくて。ひとつ思うのが、ニコニコ動画やってたら、ずっとコメントが流れてくるんですよね。そこで書かれるコメントを見ることで聴いてくれる人への憎しみも出てくるんですよ。自分より人気のある人のコメントを見て、嫉妬してしまったり。それが、「悪魔の踊り方」ができたきっかけでもあるんですけど。でも、ライヴで300人ぐらいの人が来てくれて、自分の音楽を楽しんでくれてるのを見たときは、"やっぱりラヴだよ!"って愛でいっぱいになるんですけど。

-ちゃんと顔が見えるひとりひとりは好きなんだろうけど、それがネットという場所で匿名になったときに、嫌な部分が見えるっていうのもありますよね。

そこで人を好きになることもあるんですけどね。今回、「悪魔の踊り方」をネットで上げてみて、自分の曲を聴いてる人たちが、どれだけ頭を使ってくれてるか。逆に、どれだけ音楽というものを頭を使わず、エンタメとして受け取ってるか、そのバランスは見えた気がしますね。かと言ってこれからエンタメに振り切ろうとは思わないですけど。これは僕の趣味なので。