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INTERVIEW

Japanese

The Mirraz

2012年01月号掲載

The Mirraz

Member:畠山承平(Vo&Gt)

Interviewer:島根 希実


-私は、今作を聴いて、The Mirrazが赤子に戻ったという印象を受けました。世界や世の中、自分自身、日常、あらゆるモノへの認識や感情が、一度フラットな状態になったというか。勿論全くの赤ん坊とは、違うのだけど、無垢で無防備な、愛への信頼に満ちている状態。自分自身や世界に対して、ただ愛だけ享受しているような状態にあるという印象を受けました。――難しく考えるなよ、と。ただ音を鳴らすこと。ただ歌うこと。ただ愛すること。ただ励ますこと。そういう状態。畠山さんご自身は、本作では、どんな視点でもって世界をみて、どんな立ち位置から音楽を鳴らそうと思っていらっしゃいますか?

赤子という表現は確かに正しいかもしれません。音楽の本来の姿ってなんだろう?音楽ってなんだっけ?ということをものすごく考える時間がありました。今作は音楽を本来の姿に戻す作業、というか。音楽が音楽であるために作ったアルバムだと思ってます。音楽はあるときから、生活の一部になりました。そして心の支えになりました。でも、今では心の支えになるために音楽があるような気がしてならなかった。音楽は本当はそうじゃなくて、音楽は独立した存在なはずで。音楽がもたらしてくれる"結果"が"心の支え"なだけ。"心の支え"を買うために音楽を買うわけじゃないはず。そんなことを考えてました。"心の支え"は音楽じゃなくても出来る。"音楽"にしか出来ないことをやりたかったんです。俺はただ"音楽"をしたかった。

-私は、『Skream!』12月号のコラムで、以下のようなことを述べました。――2011年という年は、誤解を恐れずにいうならば、音楽にとっては、"飛躍の年"であったと思います。震災、そして原発問題に見舞われた今年。そんな状況下では、音楽なんて無力で無意味なものなのではないかと、皆がその存在意義・存在理由を見失いました。デモや援助といった活動ではなく、ただ"音楽だけ"をとったならば一体何ができるというのだろうか...あまりに大きな命題です。それは、作り手にとっては自らの無力さを痛感する局面でもあったと思います。その結果として、生み出された作品の多くは、この苦しい難題に対して、必死に立ち向かおうとする底力を見せつけてくれました。――私自身、自分に何が出来るだろうかという不甲斐無さ、そして何も出来ないという不甲斐無さが、出来ることなんてないという不甲斐無さを生み出し、結果、何をどうすればいいのか分からないという感情へ繋がって、これまで当たり前だと思っていた日常全てのことが間違っているような恐怖感に襲われ、何をどうしていいのか分からなくなりました。そんな中で、その苦しい渦中で産み落とされた音楽が、共にあがき、共に迷い、共に戦ってくれたんです。ただ、今作のThe Mirrazの音楽は、それらの音楽の、どれとも違うものでした。全ての暗い要素を払拭してくれた、少なくとも聴いている時だけは、足元がおぼつかない中、歩くこともままならない中で、前を歩いてくれた。2歩も3歩も前を歩いてくれたんです。

そうですね、震災という存在を目の前にして、敢えて無視した作品です。目の前にあるけど無視して音楽をやるっていう姿勢を目指しました。だから無視してるわけじゃないんですけどね。わかってるけど、俺はこれやるから、っていう。The Mirrazがもっと売れていて、誰もが知っているアーティストだったら、また違う形だったと思います。俺はThe Mirrazがまだ売れてないのにそういうことするのは売名行為と勘違いされるのは嫌だったし、力も金もないから中途半端な偽善行為になるのは嫌だったし、こういう時って邪魔なものは邪魔じゃないですか。手助けが、逆に足手まといになる瞬間っていうか。でも音楽が必ず必要になる時がくるって思ったから、音楽が必要になった時のために作ったっていう感覚があったから、先を歩いているような感覚を感じてもらえたのかも。もちろん、すごく迷いました。こんなときにこんな能天気なことしてる場合なのかな?って思ったし。でも、俺が2010年の夏から明るい音楽を作ろうと思った理由は、暗い世の中に対して、音楽だけでも楽しい気持ちになるものを作ろう、と思った。だからその気持ちが今でこそ届くんじゃないかって思ったから、そういう自分の気持ちを信じてリリースすることを決めました。