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INTERVIEW

Japanese

PAN × 打首獄門同好会

2020年02月号掲載

PAN × 打首獄門同好会

PAN:川さん(Vo)
打首獄門同好会:大澤 敦史(Gt/Vo)
インタビュアー:吉羽 さおり Photo by 新倉映見

-そこから、これぞPANだというオリジナル曲へはどう進んでいったんですか?

川さん:コピー・バンドで始まって少ししてから、当時はゴッチが楽器もできて歌も歌えるというので、曲を全部作っていたんです。でも、ほぼTHE BLUE HEARTSみたいな曲で。だからこそ合わせたときもやっぱり気持ち良かったし、自分らでもこんなんになるんやっていう感動はあったけど、それでいて歌詞の内容がゴッチの持つキュートさが出ているもので(笑)、だんだんと違和感を覚えてきたんですよね。"なんか......ダサくない!?"っていう。

大澤:ゴッチワールドが(笑)。

川さん:"ダサいと思う"って他のバンドの友達に俺が話してたら、それが耳に入ったメンバーが──

大澤:あぁ、耳に入っちゃったか。

川さん:"お前、うちの曲かっこ悪いとか言うてるみたいやな"って(笑)。"そうやねん。俺、いいと思わへんねんな"って言ったんですよね。俺はバンドをやめようか、どうしようかというときがあったんですけど、そのどうしようかとなったときに、じゃあ今の曲全部捨てようとなったんです。

大澤:男らしいなぁ。

川さん:それが高3くらいかな。そこから俺も歌詞書いてみたいって言って、ゴッチが持っていた曲に歌詞を初めて書いたのが、「がんばりまっせ」という曲で。それも曲がジャンジャカジャンジャン、ジャンジャカジャンジャン♪っていう感じだから、そこに"がんばりまっせ、がんばりまっせ"ってつけたんです。初めメンバーは"どうなん、これ?"って難色を示してたけど、"いや、でも、面白いって。こんな歌詞ないやん"ってやってたら、ライヴハウスの人とかも面白がってくれたんですよね。そこに東京の事務所から、"面白いバンドいませんか"っていうのがライヴハウスに来て、"こんな歌詞を歌ってるバンドがいますよ"って紹介されて、CD作らへんかってなったんです。それが高校卒業したくらいで、初めて東京に来てレコーディングをしたアルバムが『たこやき』というアルバム(2000年リリース/現在は廃盤)なんですよ。

-CDができるまでがトントン拍子な感じじゃないですか。これはいけるという感触がありましたか?

川さん:何も知らなかったという感じですね。19~20歳でデビューしてCD作ってというのも、周りよりちょっと早かったのかもしれないから、なんの繋がりもないし、なんのムーヴメントも自分らで起こせてない状態だったんです。東京や名古屋でライヴをしても、まず知名度がないから、誰も観にきてないし。CD屋に行っても、売れているわけがないし。徐々にワゴンセールにあるような状態になって、それを自分らで買ってこれを物販で売ろうみたいな(笑)。

大澤:はははは(笑)。

川さん:でも、ライヴをしながらバンドに出会って、その次からそのバンドのイベントに呼んでもらえることがあったんです。STANCE PUNKSとか、その界隈のバンドと出会って、あぁ、こんな感じのバンドもあるんやとか、活動するっていうのはこういうことなんやとかっていうのがだんだんとわかってきて。

大澤:それが2000年前後ってことかな。

川さん:そうそう。だから、まだ誰も売れてない頃で。神戸に行けばガガガSPがいるとか、名古屋に行ったらTHE BOOGIE JACKとかがいるとかがわかってきて、逆に、"大阪に行きたいからイベントやってくれへん?"って言われて、今度は自分らで主催して呼べばいいんだとか。そういう関係が全国にバーっとできあがっていった感じだった。

-そこでPANが演奏するもの、PANとして表現することっていうのはどう模索していったんですか?

川さん:始めの頃は友達もいなかったし、ライヴをやっても、全然反応がなかったんですよ。大阪では言うても友達が来てくれていたので、身内ノリの感じで何かしら盛り上がっていたんです。それが全然聴いてもくれない。どうしようってなったときに、喋ろうと思ったんです。MCをしようってなって。そこまではMCするという概念もなかったから。

大澤:それは覚醒ですな。

川さん:それで、みんなが意識したのかわからないですけど、1回目のMCのときに"はい、どうもーPANです。どうのこうの~"って僕が喋ると、僕と同じ熱量で、同じくらいのテンポで横のふたりも喋るんですよ。

大澤:喋るとなったらみんなで喋り出す。

川さん:"あのバンド、全員一気に喋る"みたいな。これはこれで面白いってなって。昔の映像を観ると、それぞれの言いたいこと言ってて(笑)。で、最後だけ合うみたいな。

大澤:そこは幼馴染グルーヴだよね。

川さん:そんな感じで喋ることを覚えて。で、ライヴハウスだと終わってから次にこんなイベントやりますとか、フライヤーを配ったりするじゃないですか。俺らもやったほうがいいんちゃうかと。でも、フライヤーって面白くないよなって......俺らPANだから、パン配ったらええやんって。

大澤:そこ、後付けだったんだ。

川さん:それで、サンドイッチ用のうっすいパンを買ってきて、"どうも、PANです"って配ったら、これコストめっちゃかかるなと。配るのは無理やから、物販に置いておこうってなって、物販に来てくれた人に"PANです"ってパンを渡すようになったら、今度はお客さんに"味がないんですけど"って言われて。

-わがままですね、お客さんは。

川さん:じゃあ物販にジャムとかも置いておくかってなって。

大澤:そこでやめようってならないのがすごいよね。

川さん:お客さんがジャムとか塗ってるときにちょっと喋るみたいなね。それはそれでウケてたけど、じゃあこれをステージに持っていこうとなって、ステージでPANですってパンを出したら、それを引っ込めるわけにもいかなくなって客席に投げるという。

大澤:それが始まったんだ。

川さん:ちぎって投げるとか、いろんなアイディアを見いだしながらやってましたね。

-打首も「デリシャスティック」(『庶民派爆弾さん』収録曲)という曲でうまい棒を客席に渡すというのがありますね。

大澤:うちの場合は"丁寧に配る"というもので。投げ始めたら"投げないで!"って言う感じですね。でも、PANの場合すごいのは川さんが"今からお前に食パンを投げるから"って言って、本当にそこにまっすぐ飛んでいくんですよ。そこは野球部の技かなと。

川さん:めちゃくちゃミスったことはないかもしれん。ただ何年か前、"あれ? なんでこんなことしてんのやろ"って思ったことがあって、"俺、今年からライヴでパン投げるのやめるわ"って正月に宣言して、なしにしてライヴをしていたんです。半年くらい経った頃、お客さんに"今日パン投げなかったですね"って言われて、"これ、あってもなくてもどっちでもいいんやな"って思って、あるときから全然やってなかったんですよ。それから何年か経って、またパン投げるのやってみようかってなったときに打首と出会っているんですよね。新しく出会う人が増えてきたので、そのためにまた進化版というか、アピールできることをやろうという。