Skream! | 邦楽ロック・洋楽ロック ポータルサイト

MENU

INTERVIEW

Japanese

SEBASTIAN X

2013年04月号掲載

SEBASTIAN X

Member:永原 真夏 (Vo)

Interviewer:天野 史彬


-ちなみに、永原さんの好きなラヴ・ソングってありますか?

えー……「千年メダル」。

-THE HIGH-LOWSの。あれは超名曲ですよね。

あの曲は、歌で完全に女心を淘汰してますよね。“永遠じゃない”って言われてるけど、でも千年ってことは永遠ってことじゃーん!みたいな(笑)。あとは、Theピーズの「君は僕を好きかい」とか、「日が暮れても彼女と歩いてた」とか。フラカン(フラワーカンパニーズ)のラヴ・ソングも。やっぱり、ストレートに“好き好き”って歌うものよりも、違った側面も持ってる曲のほうが好きですね。

-じゃあ今回、「ヒバリオペラ」のように巷に溢れるラヴ・ソングとは違った価値観を持ったラヴ・ソングをSEBASTIAN Xが歌うことは、リスナーに対してどういうメッセージになると思いますか?

“恋っていいな”って素直に思って欲しいです。『ひなぎくと怪獣』でメッセージ性の強いものをやった反動でもあると思うんですけど、素直に恋に憧れて欲しいです、もっともっと。そういう気持ちがこの曲には強くこもってます。恋してない時にラヴ・ソングを聴くと“恋してねぇなぁ”って思ったりするし、最近“テラスハウス”っていうものを知ったんですけど(笑)、あれとか見ても“うわぁぁぁぁ”って思うじゃないですか。それって、人間がみんな持ってる恋への憧れだと思うんですよね。人間がふたりでひとつになるって永遠の憧れだし、そこに憧れる気持ちは忘れないで欲しいなって思うんですよね。恋とか愛は人間のロマンだと思うので。

-じゃあ、もうちょっと大きな視点で、「ヒバリオペラ」のようなラヴ・ソングが、今の時代や社会に対して何か意味や力を持ちえるとしたら、それはどういう点でだと思いますか?

うーん……やっぱり、生きてく力になるんじゃないですかね。“こういう気持ちになってみたい”って思ったら、明日も明後日も生きてく気になるし。たとえば高校生の子とかが“クラスの男子、マジキツ~”って思ってても、ある日突然“あいつ!?”みたいなことになるかもしれないし。ほんとちょっとのことで、人の気持ちって変わるじゃないですか。そんな大きな変化を与えるものではないと思うけど、でも、生きていく希望にはなると思います。

-なるほど。僕が思ったのは、「ヒバリオペラ」の主人公って、自分の恋愛における選択が正しいのか間違っているのか、いいことなのかどうなのか判断できない状況にいながら、でも恋に落ちていく瞬間のときめきや高揚感を抱きしめてますよね。それが、今の日本に生きる若者人たちの姿に凄くリンクするんじゃないかと思ったんです。たとえば、政権が変わって景気がよくなってるって言われてるけど、それも仮初の現象なんじゃないかって思う部分もあるし、震災復興にしても、まだまだ問題は多い。そういう釈然としない、確信を持ちにくい時代の中でどうやって自分人たちは輝くことができるのか――その問いに対して、「ヒバリオペラ」の主人公の向う見ずに恋に落ちていく力強さって、ひとつの答えになるんじゃないかと思うんです。

ありがとうございます。逆に言うと、この歌の主人公は、政治とかには全然興味ないんですよ。今の原発の問題に対しても、“超怖い”としか思ってないと思います。そういうことに関心がない子を主人公にしたんですよね。私は根本的に、時代の主人公は、立ち上がった者じゃなくて、立ち上がれなかった者だと思ってるんです。なので、この曲の主人公も、自覚的に政治にものを申したり、“原発反対!”って動ける主役ではなくて。そこまで届かないんですよね、こういう気持ちって。心のどこかで、こういう時代だからこそ、普通に恋愛に夢中になってる女の子を主人公にしようと思いました。今って、音楽業界には意識の強い方が凄く多くて、3.11以降の原発問題とか、それ以外にも子育ての問題とか、自給率の低さとか、そういうところに対して嘆いて、活動している方々がいっぱいいて。でもその一方で私が知っている世界っていうのは、そういうことにまったく関心がない人たちもいっぱいいて、でも、その人たちも死ぬほど悩んでるんですよね。“○○くんがさ~”みたいな。“知らないアドレスからメール来ててー。でも受信ボックスが500まであるのにメール445通しかなかったの。っていうことはメール消してるじゃん~”みたいな(笑)。そういうことを本気で悩んで、胃が痛くてご飯も食べられない子だっているわけですよ。そこに優劣はないし、勝ち負けもないし、善悪もないと私は思っていて。そういう強い気持ちも、「ヒバリオペラ」にはこもってます。よくある普通の恋愛に憧れて、恋愛をして、悲しい思いをしながらも、それすら楽しいと思える感覚を持ちながら生きてる人間を描きたいなと思いました。

-うん、だから「ヒバリオペラ」は、日常生活の中で自分が抱えている喜びや悲しみに忠実になっていくことで見出せる輝きっていうものを凄く提示してますよね。

やっぱり、私は若い世代に、“今ヤバいから。今マジでヤバいから。日本よくないから”っていうことを伝えたくはないんですよ。私が伝える時は、“いいから好きに生きろ”って言いたいんですよ。別に、そんな深いことじゃなくていい。今自分が集中できることが、勉強でもなくて仕事でもなくてバイトでもなくてもいい。たとえば、夢がなくて今1番楽しいのがバイトでもいいし、“俺、カッコいいヤンキーになりたいっす”とかでもいい。なんも考えずに、真っ直ぐ自分の人生をまっとうして欲しいんですよ。そこに対して、“そういうふうに生きてるけど、10年後どうなると思う?”って言うのは野暮だと思うので。変に自己啓発したり、変な不安を植え込みたくないんですよ。それに、大人たちが思ってる以上に、若者たちは気づいてるから。ヤバいことも、マズいことも、これから先、おじさんおばさんになった時に自分たちが日本の中心になることだってわかってる。“今の若い世代はゆるい”とか言われてるけど、私は、みんなちゃんと責任を持ってるなって感じるんですよね。みんな責任を持とうっていう意識とか、理解しようっていう意識を持ってる。それを運動で表現する人もいれば、母親だったら家庭で表現するだろうし、デモに行けなくても家庭を守ったり、友達と遊んだり、いろんな形で人はそれぞれ責任を持ってると思うので。なので、これからの日本がどうって言われるよりも、自分がどうやって生きていくのか、手放しで好きに行きなさいって言われた時に、何を指針に生きていくのかっていうことこそが大事だと思うんです。そういうところで、SEBASTIAN Xはメッセージを出してこうと思ってます。

-わかりました。今日のお話を聞いても思いましたけど、やっぱり去年の『ひなぎくと怪獣』を境に、永原さんのミュージシャンとしての意識は凄く変わりましたよね。自分の立場とか、言いたいこと、リスナーに対する目線っていうものが、凄く定まってきてるなって感じました。

そうですね。バンドとして、今までずっといろんなことに対して無自覚だったんですよね。普通に友達同士で、音楽が楽しくて集まったところから自然にここまで歩んでいた感覚で。ずっとフワフワしてたんです、SEBASTIAN Xって。それこそ、“やってやるぞ!”っていう感覚を今まで持ってなかった。その時その時できた曲とか、その時その時のライヴとかを大切にしながら、どんどん繋げてきたバンドなんです。でも、『ひなぎくと怪獣』のツアーが終わって……まだ半年経たないぐらいですけど、音楽に自分の魂を入れるっていうことに対して正直になろうって、前より思うようになりました。改めて、自分がやりたいことと、やらなきゃいけないことと、自分の立ってるポジションを強く再確認したし。だから、今年は“やってやるぞ!”って思ってます。人生で初めて、そういうふうに思ってますね。