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INTERVIEW

Japanese

インナージャーニー

2021年09月号掲載

インナージャーニー

インナージャーニー

Official Site

メンバー:カモシタサラ(Gt/Vo) 本多 秀(Gt) とものしん(Ba) Kaito(Dr)

インタビュアー:秦 理絵

インナージャーニーの2nd EP『風の匂い』には、大切なものを見失わないための音楽が詰め込まれていた。2019年に、10代限定の夏フェス"未確認フェスティバル"への出場をきっかけに結成したというインナージャーニーは、インディー・ロックの系譜で鳴らされるオーセンティックなバンド・サウンドにのせて、カモシタサラのやわらかで芯のある歌世界を届ける4人組ロック・バンドだ。まだ結成から2年弱。だが、大型サーキットやフェスにも出演し、注目を集めている。そんな彼らが昨年12月にリリースした1st EP『片手に花束を』に続き、早くも完成させた2nd EP『風の匂い』は、よりバンド感が増した1枚になった。ルーツも個性も"恐ろしいほどバラバラ"だという4人は、いかにひとつになったのか。全員に訊いた。

-資料によると、5月に渋谷WWWで開催した初のワンマン・ライヴ("インナージャーニーといっしょ")は、チケットが1分でソールド・アウトしたそうですね。結成から2年弱とは思えない快挙です。

とものしん:すごいですよね(笑)。

-こういう現象ってメンバーはどんなふうに知ったんですか?

とものしん:それは一般発売だったんですけど。朝、起きたときに、"チケットどうなったかな"と思って、イープラスを確認したら、もうないって表示されて。Twitterで検索したら、"1分でなかった"って書いてる人がいたんですよ。それから資料には、"1分でソールド・アウト"って書かせていただいてるので......。

一同:(笑)

とものしん:本当かどうかわからないです(笑)。

-それでも、実際にソールド・アウトしてるわけだし、今インナージャーニーに対する期待感がすごく高まってるってことですよね。

Kaito:ありがたいですよね。まだ結成してから2年弱しか経ってないし、コロナ禍でライヴ活動もできてない状況だったにもかかわらず、ワンマンを楽しみにして待ってくれてる人たちがそれだけいたっていうのは、自信になりました。

とものしん:売れ残ると思ってたもんね。

-バンドとしては、"ワンマン・ライヴをやる"というのが、ひとつの目標だったと聞いてます。ステージでは、どんな感情を抱いていたんですか?

カモシタ:ワンマンだから、自分たちだけを観に来てくれるお客さんなので、すごく安心感があって。"ありがとう"って思いながら、やってました。全員ラヴ! って思いながら(笑)。私は緊張より、"なんでもやったれ"っていうような気持ちでしたね。

本多:僕はその逆で、みんなが僕らを観に来たからこそ、ちゃんとしなきゃって。

Kaito:たぶん、(本多が)一番緊張してたと思います、この中で。

-途中で緊張が解ける瞬間とかはなかったですか?

本多:うーん......アンコールぐらいですかね。

カモシタ:最後まで緊張してたんだ(笑)。

Kaito:僕は、結成した当初からワンマン・ライヴというものが目標としてあったので、やってきたことが実を結んだんだなって実感はありましたね。コロナ禍で、有観客ライヴ自体も久しぶりだったのに、何百人っていう人たちがわざわざインナージャーニーのためだけに集まってくれたのは、すごく嬉しかったです。

-とものしんさんはどうでしょう?

とものしん:僕は、会場の渋谷WWWでやるっていうことに意味を感じてて。バンドを結成して、まだ(改名前の)カモシタサラバンドのときかな? 始まってすぐの頃に一度だけWWWに出させてもらう機会があったんです。

-イベントで?

とものしん:そうです。専門学校のイベント("Sagittarius")だったんですけど。5バンドぐらい出てて。他の対バンは先輩ばっかりだったから、そこに放り込まれたときに、本当にガチガチになりすぎて何もできなかったんですよ。

-対バンは誰だったんですか?

とものしん:イロムク、四丁目のアンナ、浪漫革命とか。ライヴが上手な人たちだから、ライヴ・バンドってこうなんだって圧倒されて。僕の中で心残りなライヴだったんです。そこのリベンジっていう意味でも、WWWでやって成功させたかったんですよね。

-ワンマンをやり終えて、新しい目標も意識できるようになりましたか?

Kaito:そうですね。もっとたくさんの人を呼べるようになりたいな、とか。

カモシタ:リキッド(恵比寿LIQUIDROOM)とかでもやりたいね。

とものしん:Zepp Tokyoもやりたかったけど、なくなっちゃうから。あとは渋谷公会堂とか。今は名前なんだっけ?

-LINE CUBE SHIBUYAですね。

カモシタ:大きいステージに、ちょっとずつ進んでいけたらいいなと思いますね。

-インナージャーニーは、結成して2年弱で順調にリスナーを増やしてきたバンドだと思うんですけど、自分たちではどう振り返りますか?

とものしん:もともと僕らは大会の出場をきっかけに結成して。

-"未確認フェスティバル"ですね。

とものしん:はい。その大会の名前もあって、いろいろなライヴに出していただけるようになったんです。でも、まだそんなにライヴ経験がなかったから、試行錯誤しながらやっていて。2019年の12月くらいから、月8~10本ぐらいコンスタントにやれるようになって、とりあえず"場数を踏もう"ってやってきていたんです。(2020年の)2月ぐらいまではライヴをやれてたんですけど、3月から(コロナで)全部途絶えてしまって。

-コロナ禍でライヴができない時期は、ネットを中心に活動を続けていましたね。

とものしん:いろいろなことを考えるようになったんですよね。カバー動画をやるとか。そのあと、久しぶりにバンドが集まったときにまた新しいグルーヴがあったので。そういう意味では、コロナがあって、ライヴだけじゃなくて、別の視点からものを見られるようになったのは大きかったと思います。

Kaito:コロナに直面したのが結成して数ヶ月後の出来事だったので、逆に柔軟に捉えられたのかなっていうのはありますね。SNSとか、個人の活動を広げて、バンドとして次のステップに進むためにはどうしたらいいかっていうのを考えられる時間になったんです。

-話が変わりますが、インナージャーニーというバンド名は、andymoriの「インナージャーニー」から付けたそうですね。全員、andymoriが好きなんですか?

とものしん:ここふたり(とものしんとカモシタ)が特にって感じですね。

Kaito:実は音楽のルーツも性格も全員バラバラなんですよ。

-あ、そうなんですね。おひとりずつ影響を受けた音楽を教えてもらえますか?

カモシタ:私は小学校のときは嵐を聴いてました。で、中学校1年で吹奏楽部に入ったんですけど、1年で"無理!"と思ってやめちゃったんです。

-楽器は何をやってたんですか?

カモシタ:クラリネットをやってたんですけど、折ってしまって。

とものしん:ジミヘン(Jimi Hendrix)だ(笑)

カモシタ:ロックンローラーだったんです(笑)。吹奏楽部をやめたあと、ラジオを聴くようになって、バンド音楽と出会ったんです。そこから、セカオワ(SEKAI NO OWARI)とか、日本のバンドを聴くようになって。中3でTHE BAWDIESに出会ってからは一気にロックンロールを聴くようになりました。ソウル、ブルースとか。Chuck Berryとか。

-THE BAWDIESのルーツを掘って聴いていったんですね。

カモシタ:はい。で、高1、高2はずっとロックンロールバンドのコピバンをやってて。そこで友達に、andymoriを教えてもらって、すごくいいなと思って聴くようになったんです。あと、高校のときは本当にTHE STROKESとかOASISみたいな、アメリカとかイギリスとかの海外の音楽をよく聴いてましたね。

-日本のバンドの中でandymoriがぐっときたのはどういう部分だったんですか?

カモシタ:熱量が心にガッと入ってくるんですよね。でもその中に優しさみたいなものがあって。ずっとそばに置いておきたい感じがしたんです。

-カモシタさんはソロとして活動した時期もあったそうですけど、ルーツ音楽はバンドが中心ですし、やっぱりバンドを組みたいっていう想いが強かったですか?

カモシタ:めちゃめちゃ強かったです。コピバンとか、ちょっとだけオリジナルをやった時期もあったんですけど、そのときは歌うのがあんまり好きじゃなくて。曲を作るほうがいいなと思ってて、ヴォーカルが別にいるバンドが良かったんですよね。そこから、どうして、ソロでやることになったのかはあんまり覚えてなくて......。

-何か音楽に関わっていたかったんですかね。

カモシタ:うんうん、そうですね。とりあえず自分で作って歌って、(Eggsに)曲を置いていこうってやったんですけど。いざライヴをするってなったときに心細いし、ひとりだから、みんな自分を見るし恥ずかしいし、みたいに思ってて。ずっとバンドが好きだったから、今はこのバンドをやれて良かったです。

-とものしんさんはどうですか?

とものしん:ルーツは幼少期に母親が車で流してたポルノグラフィティとグループ魂だったんですよ。あとはBOØWYとか。小学校のときは空手をやってたから、そんなに音楽を聴くこともなかったんですけど、中学に入ったときに、何か部活には入らないといけなくて。入学式で女の子がベースを弾いてるのを見て、あれなら簡単そうだな、と。ラッパより弦のほうが簡単だっていう邪な考えで吹奏楽部に入ったんです。

-3年間続けたんですか?

とものしん:いや、1年でやめてしまって、そこから、マキシマム ザ ホルモンを聴いて、"あ、バンドってかっこいいな"と思うようになって。中学2年生で一番大きかったのがゆらゆら帝国に出会ったことでした。そこから、人生で初めてCDを買ったのが八十八ヶ所巡礼なんですよ。で、筋肉少女帯とか人間椅子にいって。

-サブカル寄りのバンドを好んで聴いてたんですね。

とものしん:"イカ天(イカすバンド天国)"に出てたような人たちですよね。海外だと、RUSH、RAMONES、レッチリ(RED HOT CHILI PEPPERS)を聴いてました。そういう状態で高校に入学して、そこで出会った子に、初めてNUMBER GIRLとブッチャーズ(bloodthirsty butchers)を聴かせてもらったのも大きかったです。で、大学に入って、このバンドに出会う前ぐらいに、音楽サークルに入ってて。1年間で120曲ぐらいコピーをやってたんです。そのときの幅は今にも繋がってますね。同じ日のライヴで、筋肉少女帯とJUDY AND MARYをやったり、2と黒猫チェルシーをやったり。IRON MAIDENをギターで弾かされたり。そんなんをずっとやってました。

-その中にandymoriも入ってたんですか。

とものしん:120曲の中で20曲ぐらいandymoriでしたね。高2のときに、初めてandymoriの武道館ライヴの映像を観て。なんか説明できないかっこ良さを感じたんです。ものすごい演奏でテクニカルなことをするわけでもないし、(小山田)壮平さんってきれいに歌ってないじゃないですか。何を言ってるのか、わからないものもある。でもバンドってこうだよねって思いましたね。言葉にできないかっこ良さを体現してたんです。