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INTERVIEW

Japanese

Poet-type.M

2016年02月号掲載

Poet-type.M

Member:門田匡陽

Interviewer:石角 友香

-たしかに独特な比喩的表現だし、彼ら自身がそういう象徴になってる部分も。

そうです。David Bowieが亡くなったときにある人が、"David Bowieがいなかったら、もっと世界のロックはマッチョな方向に進んでいたかもしれない"と言っていて非常にいい言葉だなと思って。そのアンチ・マッチョイズムというか、非常に耽美的な美しさをわりと自覚的に取り入れてる感じがしますね、冬盤は。まぁ、ただ、どこをどう取って"ボウイイズム"なのか?ってのは、人によって違うのでなかなか危険な言葉ではあるんですけど(笑)。ただ、一貫して言えるのは"耽美的な美しさを有している"ということだと思います。まあ、僕とは根本的な何かが違うんですけど、冬盤は"ボウイイズム"っていうのを初めて意識的に自分の中で表現できてよかった作品ですね。"ボウイイズム"をやることに対するレシピっていうのが自分の中で完成したんですよ。つまり「快楽(Overdose)」(Track.4)に関して言えば、David Sylvianがソロのあとにもう1度JAPANで曲を作ったらどうなるか?っていうレシピができたというか。それで、「永遠の終わりまで、『YES』を」は、Aメロに例えば「Space Oddity」(David Bowie 1969年リリースの2ndアルバム表題曲)があの雰囲気を持ったまま四つ打ちだったらどういう曲になっていただろう?とかっていうレシピができて。そこに自分の要素をプラスするっていうのが今回の作曲方法でしたね。

-自分の中にあるまだ表現してなかった深い部分が、そういうニュアンスを持っていたと?

まずPoet-type.Mの"Dark & Dark"の3枚で自信がついたってのが大きいですね。つまり、自分が影響を受けた人のどんな要素を取り入れたところで、それがPoet-type.Mの音楽として成立するであろうっていう実感をちゃんと感じてやれたんです。でもそれは"Dark & Dark"の3枚もそうだけど、"門祭り"も大きかったかもしれないですね。思ったよりも3バンドともバラバラにやれたから、そこはすごく自信に繋がりました。

-リスナーとしても違う態度で聴けたし、音楽って正直だなと思いました。

うん。だから、ひとりのアーティストが3つの名義でライヴをやるってことは別にないことではないと思うんですよ。ただそれが、俺ほどバラバラにやれるヤツはいないだろうなっていう自負はあります。ひとりでやれる音楽の限界がDavid Bowieだと思ってるんだけど。

-門田さんがこのアルバム制作で悩みに入っちゃったことが仕上がりからは全然感じられないですが。

そこは意地というか......実は冬盤のレコーディングが終わってから自分でもびっくりするぐらい体調が悪くなったんですよ。何もできなくって。だからどんだけ......そういったのは自分の制作人生でも初めてだったので、ちょっとそれはびっくりしましたね。

-虚脱したんですか?

虚脱でしょうね。もういろんなところで自分を騙してたんでしょうね(苦笑)。

-でき上がったことによって達成された感じはなく?

まったくなかったですね。"やった! これで「Dark & Dark」がとりあえず終結できた"って気持ちはまったくなくて。だから打ち上げとかもしてないし。そういう意味では、俺また自分で抱えきれない重荷を作ってしまったんじゃないか?って気持ちの方が大きい気がする(笑)。"俺、これ、『the GOLDENBELLCITY』(※2007年リリースのGood Dog Happy Menの1stアルバム)から続く物語を終わらせようとしてたのに、余計大きくしちゃったよ、どうしよう"っていう思いがあります。それで、Poet-type.Mはもう帰ってこれないなっていうのもわかったし。全然イメージがつかなくなっちゃいました。Poet-type.Mが2016年の東京ってワードを出して歌ってる絵が。

-でも"大きいYESを言う"というのは当初からあったテーマでは?

そうですね、"永遠の終わりまで、「YES」を"っていう言葉は、春盤の「唱えよ、春 静か(XIII)」って曲で、"XIII(サーティーン)"っていう女の子の旅立ちに向けて歌われてるワードではあるんですね。そのワードを1年経って一周して、また同じ季節が巡る中で、同じ風景なんだけど、確実に1年って時は流れていて。そこに対してもう一度"永遠の終わりまで、「YES」を"っていう言葉を言えるのが、僕の理想だったんです。でもそれを言えない、簡単にそこにたどり着かない状況になっていて。それで自分でもわかんなかったんですけれど、この曲を作って、副題が"A Place, Dark & Dark"になってるってことは、恐らくその"永遠の終わりまで、「YES」を"は、春盤のときは"XIII"個人に向けての言葉だったんだけど、今は僕が"Dark & Dark"ってものに対して、"永遠の終わりまで、「YES」を"って言い切ってしまったんじゃないか?と思ったんですよね。