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INTERVIEW

Japanese

門脇更紗

2021年03月号掲載

門脇更紗

インタビュアー:石角 友香

二十歳前後のシンガー・ソングライターやソロ・アーティストが続々と登場し、このジャンルがアップデートされている今。一風変わったタイトルの曲でメジャー・デビューを果たしたのが門脇更紗だ。光るのはサウンドだけでなく、日常を切り取る言葉にも独特の感性が見受けられ、地元関西のライヴハウスや路上ライヴで培ったパフォーマンス力が反映されたヴォーカルの表現力も強みだ。念願だったメジャー・デビューを発表し、アーティストとして本格的な一歩を踏み出した彼女のライフ・ストーリーと、デビュー曲「トリハダ」、そしてこの曲に連なる作品についても訊いた。

-まず2月に行われた配信ライヴの感想をうかがえますか?

"ライヴでメジャー・デビューの発表をする"っていうのが私の長い間の夢だったので、それが叶って嬉しかったです。欲を言えば有観客でお客さんの前で言いたかったですが、緊急事態宣言が出てるなかでも、そういう機会をいただけたことだけでもありがたかったですね。自分の口から言えて良かったなっていう気持ちでいっぱいです。

-門脇さんが"歌、好きだな"って自覚したのはいつごろだったのでしょうか。

ちっちゃいときから家族が撮ってくれた動画とか、歌ってない動画はないんじゃないかっていうぐらい。でっかい声で歌ってたので、おじいちゃんやおばあちゃんも一緒に住んでたんですけど、すごい怒られてました、"うるさい!"って(笑)。でもそのときから自分で作ったメロディを歌ったりとか、SMAPさんの曲をキティちゃんのマイク・スタンドで歌ったりとかしてたので、誰かの前で何かを披露するみたいなのは好きだったのかなと思います。

-そこから"歌手になりたいな"という思いになったのはいつごろですか?

12歳のときです。小学校の卒業アルバムに願い事として書くくらい子供のころからシンガー・ソングライターになりたいなぁと思ってました。自分がライヴでギターを弾いて歌ってるところばかり想像していましたね。

-門脇さんの年齢だといろいろ意識して聴いてたのは2010年代ってことですね。

はい。今年22になるので、(意識したのが)12歳のときだったんでちょうど10年前です。

-今の洋楽のヒットの潮流とそんなに大きく変わらないと思うんですが、洋楽のほうが聴いてました?

そうですね。もともとYUIさんをすごく聴いてたんです。で、YUIさんが活動休止されたのをきっかけに、他の曲もいろいろ聴いてみたくなったのがきっかけです。小学校低学年の頃は、"ハイスクール・ミュージカル"とかをよく聴いていたんですけど、いつの間にか英語の曲はあまり聴かなくなってしまってたんです。でも中学のときにTaylor Swiftに出会って、もう1回"洋楽を聴きたい"って目覚めて。そこからは好んで洋楽を聴いてましたね。高校生の頃もクラスが英語に特化したクラスで、周りに留学したいとか外大を受けたい子たちがたくさんいたので、みんな洋楽を聴いてて、シェアしながら聴いてました。

-どんなティーンエイジャーでしたか?

ライヴをたくさんやったし、すごく音楽に対して成長できた十代だったと思います。10歳のときにギターを始めてから、ここまでくるにあたってずっと音楽について考えてきたと思うんですけど。すごく長いようで短い十代でした。

-シンガー・ソングライターになりたいなと思ってからは夢は揺らがず?

揺らがずでした。なぜ他に目移りしなかったのかわからないんですけど、意外と無我夢中に来てます。自分の性格は、結構、飽き性だったりするんですけど、これだけはずっと変わらなかったですね。

-最初に作った曲は覚えてますか?

覚えてます。14歳のときに「to look up」って曲を作って。こないだのライヴではメジャー・デビューのことを発表する直前に歌ってた曲なんですけど、あるオーディションに落ちて、悔しさから"じゃあもう曲作っちゃえ"と思って作った曲です。まだ歌詞もそのままで変えてないんですけど、だからこそ歌うとその頃を思い出すというのはありますね。

-"この気持ちを忘れないぞ"という気持ちで書いた?

それはありました。最初は魂が抜けたぐらい悲しかった。投票制のオーディションだったんで、周りの子たちに投票してもらって力を貰ってたので、それを裏切ってしまったと思って、すごく悲しかったんです。でも、やっぱそのことがあるからこそ今があるので。そのときは悲しかったけど、今はそれで良かったなというふうに思います。

-大阪では路上ライヴもやってたんですよね。

梅田のグランフロントでやらせていただいたり、地元でやったりしてましたね。

-当時は地元の人以外にも観光客の人とかも多かったんじゃないですか?

めっちゃ多かったですね。韓国や中国の方もいたし。それでCD買ってくれる人とかがいるとすごく嬉しかったですね。

-それは根性つくと思います。

ははは。そうですね。寒い冬とかも手の感覚とかないなか歌ってた、そういうのも楽しくて、またやりたいなって思います。

-そして一昨年に東京に出てこられて。いかがですか?

もともと地元と東京を行ったり来たりはしてたんで、"怖いな"とか"ひとりだな"とか、そういう抵抗みたいなものはあまりなくて。逆に両親のもとから離れられるって言ったらあれですけど、ほんとにひとりでなんでもやらないとなんで、"できるかな?"って不安もありつつも、ワクワクしながら出てきました。でも、年が明けて春先からはコロナのことがあったので、活動が最初の計画通りには行かなかったんですけど、"おうち時間"があったおかげで曲を作るとか、いろいろと、休みがなかったらできなかったであろうということもできたので、すごくいい時間でした。

-いろんなアーティストが東京をテーマにした曲を書いていますが、門脇さんの「東京は」(2020年3月配信リリース)は情景が浮かぶ曲で。道に落ちてる"Bluetoothのイヤホン"とか。

そういうのも結構、大事にしながら作りました。"マーチンの8ホール"とか。そこはめっちゃ迷ったりして。マーチンの8ホールって言うのか、靴とかブーツって言うのかとか、いろいろ悩んで、でもほんとに履いてた靴をちゃんと歌詞に出そうと思って、そこは書きました。私が今まで聴いてきた東京の歌は、東京が冷たいとか、意外とネガティヴな要素が強いイメージがあって。でも地方の人からするといつまでも憧れの場所なんだな――慣れてくるとそういうふうに思わなくなるけど、19歳やハタチの頃って、一番憧れだったので、そのときの気持ちをそのときに書いておきたくて。ちょっとキラキラした「東京は」という曲を書きました。

-印象に残ったのが"この場所は平等"というフレーズで。どんなときに思いました?

この歌詞を書こうと思ったのが、渋谷のTSUTAYAのスターバックスのところからスクランブル交差点を上から見てたときで。そのとき、なんで傷ついてるのかわからないんですけど、自分の中でどんよりしてたんです。で、いっぱいの人が行き交うのを見て、ここで傷ついても、みんな頑張ってるなみたいな、みんなそれぞれ傷ついてるのかなとか、ここなら平等な気がするなって気持ちがすぐ浮かんで。地元にいたらそんな気持ちには絶対ならなかったから。東京に来て、いっぱいの人たちを見て、もちろん地方にもいるけれど、私みたいに夢を追いかけている人が多い場所だなと思ったんです。ここなら平等な気がするから頑張れるなぁっていう気持ちをくれたのはその瞬間って感じでした。