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INTERVIEW

Japanese

GOING UNDER GROUND

2011年04月号掲載

GOING UNDER GROUND

Member:松本素生(Vo&Gt) 中澤寛規(Gt&Vo)

Interviewer:伊藤 洋輔


-うんうん。では、ストレートに聞きますが、なぜタイトルは『稲川くん』なのでしょうか?

松本:これはですね、「稲川くん」って曲があるんです。今どこにいるかはわからないんだけど、稲川くんって俺の小学校の時の同級生をモチーフしたものなんですけど。でも、アルバム・タイトルになってるけど曲としては収録してないという(笑)。それは、ホントにすげえいい曲できたんだよって中澤とかに聴かせたんだけど、なんか今これをバンドのフォーマットに落とし込むにはちょっと違うな、というかできないなぁって感じたんです。だから大事に作っていこうと思って、まだ作り続けているんですよ。稲川くんというのは母子家庭の子で、そのお母さんは夜の仕事をしていて、いつも鍵っ子で、お弁当なんかも市販のもので、運動会の親子競争とかもお母さん来ないから先生と一緒に走ってたりとか、その……子供にとってはハードな毎日を送っていたり……そのことで馬鹿にされたりしてね……でもそいつが底抜けに明るい奴で俺は大好きだったんですよ。

-うんうん。

松本:それで……なんでこのタイミングでこの曲が生まれたかわかんないけど、後づけでいろいろ考えると、あいつは10歳くらいで人間のグロテスクな部分を俺なんかより見て育っていたのかもしれないし、けどすごく逞しくもありいじらしくもあり、その頃はなんだろうこの差は?って俺はどぎまぎしてたんですけど、この曲を作っていると「ああ、当時の俺は感動していたんだ」って解釈することができたんです。それってゴーイングをやり続けて歌いたいという衝動とか、もっと言うと音楽をやりたいという根幹はそこだったとも気づかせてくれたんですよね。彼からの影響とは違う……なんか一生懸命生きている姿こそ歌だな……ということなんですけど……。

-影響とは違う?

松本:なんていうかな……例えばいいレコード聴いたから俺もやりたいとか、女の子のモテたいでもいいですけど、音楽への衝動は人それぞれで。だけど俺の場合、歌わずにはいられないっていう根源は、“人”っていうことにしか興味はないんです。人の温もりとか嫌らしさとか、突き詰めればそれが歌なんだよって。それが「稲川くん」という曲ができたことで頭の中にあった霧が晴れるように原点を再認識した感じがして、さらにその想いをメンバーみんな共有してくれたんです。それで今回のアルバム・トラック10曲を見ながら思ったんですけど、さっきのモチベーションの話につながりもしますが、今この歌わなきゃいけないんだという10曲をコンパイルした時、これは『稲川くん』として括っていいんじゃねぇかって。あまり難しく考えてもいなくて、コンセプト・アルバムという意味合いもなく、ただ純粋に歌わなくてはならないものとしてのタイトルなんです。

-なるほど。それが音源としてリリースされることはあるんですか?

松本:もうね、ライヴでは披露しているから知ってる人は知ってると思うんだけど、この前、第1次段階の録ったよね。

中澤:うん。プロトタイプ稲川くんみたいなやつ(笑)。

松本:そうそう、でもどこに落としたらいいかわかんねぇ(笑)。

-あまりにも素生さんのパーソナルな1曲なんですね。

松本:うん、パーソナルだし……まだ距離感というか、掴み切れてないところもあるのかな。

-では次に、これは中澤さんに質問したほうがいいと思いますが、ギターの鳴りが『LUCKY STAR』では少し控えた印象を受けたんですが、本作では再びアグレッシヴなギターが戻ってきましたね。これには意図的に?

松本:それ俺も思うよ。

中澤:あ、そう?たぶんね……ヤル気の問題かな(笑)。

松本:(笑)。

中澤:やっぱさっきのモチベーションなんですよ。新作と前作では自分の向き合い方が全然違うんですよ。前作は頭でやり過ぎていたというような感覚があって、やり尽くしてしまったからどうしよう、みたいな悩みの解決策をメンバーそれぞれバラバラの方向でずっと考えてたような。だけど新作は細かいの抜きに、バンドとして本当に気持ちのいい演奏をするっていう、シンプルな方向性で掻き鳴らすことを見失わずに取り組めたんです。逆に言えばただそれだけだったというものですけど、ある程度キャリアを積めばアレンジや音色の知識も豊富になるからあらゆる方法論を見出せるけど、今はそうじゃないって思えたことが良かったんです。これは僕だけじゃなくてメンバーみんなでね。

松本:そうだね、自分らが32歳なったからかもしれないけど、いろいろツマミいじってやりくりするのが薄ら寒いって感じるようになったのかもね。もちろん求めている音色を探していろいろ考えるのはとても大切なことではあるんだけど、なんか鏡の前でいろんな服のチョイスをやりくりしてるみたいな、5年前はそこにリアリティがあったかもしれないけど今ならなんでもいいじゃん?って言える(笑)。それは他者あってのやりくりだし、それよりも真の意味で着たい服を着れた、というかね。