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INTERVIEW

Japanese

大森靖子

2014年12月号掲載

大森靖子

Interviewer:天野 史彬

予感は確信に変わった! 大森靖子――彼女こそが、この決定打が生まれえぬ時代に生まれた決定打だ。avexへ移籍後初のアルバム『洗脳』。これは"感情"という名の爆弾だ。涙と笑顔と血と汚物にまみれた叫び。生命のテロリズム。ここには"生きている"という実感だけが刻まれている。――1年ぶりの取材。急激に変化する環境の中で、彼女はとても変わったし、何も変わらない。話を聞きながら泣きそうになった。だって彼女は、あなたの命が、感情が、ただそこにあることを肯定するために歌い続けているのだから。さぁ、次はあなたが命を歌わせる番だ。

-アルバム『洗脳』、聴かせていただきました。今まで以上に大森靖子というアーティストがダイレクトに伝わってくる作品ですね。

あっ、よかった!

-大森さん自身の手応えはどうですか?

アルバムを作ってるときには、いろんな会いたかったミュージシャンとか、やってみたかった人といっぱい会えたし、(前作『絶対少女』から)引き続き直枝(政広/カーネーション)さんとかとも作ったりして。その場で会った人とその場で面白い音を作り合うっていう感覚が強くて、それがすごい楽しかったですね。結構ちょこまかちょこまか作ってたんです。フェスに出て、作業して、また次の日フェスに出て......みたいなことを続けてて。だから、作るときは落ち着いて作業ができたというか。帰ってくる感じというか......レコーディング作業はひたすら音楽的になっていい場所って感じで(笑)。楽しかったです。

-レコーディング以外のこの約1年間の活動っていうのは、振り返ってみてどんなものでしたか?

この1年間かぁ......前半にメジャーの契約をしたんですけど、そのときにやっぱりスピードが落ちる感じがあって。たくさんの人と関わるから、いっぱい許可も取らなきゃいけないし。今までは思いついた音をすぐに出せたから、ひとりでやってたけど孤独にならずに済んでたというか。スピード感があった分、孤独になってる暇がなかったんですね。結局、自己顕示欲じゃないですか。それを外に出した瞬間にみんながついて来てくれる場所にいたけど、そのスピード感をなかなか出せなくなったというか。出したら、この人を通して、この会議があって、この打ち合わせがあってっていう、そういうのを経てやっと作品になるっていうものが多くて。それが最初 "うわっ、面倒くさ"って思ったんですけど、段々、ちゃんと予定を組んでいけばもっと大きい力にして出せるようになるんだってわかった。だから、この先1~2年のことも考えようって、自分の中での予定組みも変わってきて。それを周りに伝えるようになってからは円滑に行くようになったし、伝わらないストレスはライヴに向けるようになったから、よりライヴは気持ちよくなりました(笑)。......なんか、盤を残すことって、それが永遠っていう感じがあるじゃないですか。でも、私にとってはそうじゃなくて。盤になったものって自分にとってはどんどん過去になっていくものだから、自分の今の状態を知ってくれている人の方が、自分にとっては永遠じみてるものっていう感じがあって。そっちをライヴに感じちゃったので......なんか、乖離してるんですよね。盤を作るっていうこととライヴをするっていうことがまったく別のものになった感じがあります。

-『絶対少女』までの大森さんの活動って、生き急いでいるっていう表現が1番しっくりくるような、そんなスピード感があったと思うんですよ。そこに対しても、何か意識の転換があったんでしょうか?

それはそれであるんだけど、でも、死なないっていうリミットができたというか。結婚したし......死ぬつもりだったんですよ、やっぱり。死ぬつもりというか、死ぬ予定というか、25~6歳で死ぬと思って生きてきたけど、"あ、意外に死ななくね?"みたいになっちゃって。いつも死ぬ死ぬ論を展開してたときに、"死ぬのはあんまり面白くないから、結婚しよう"って言われて結婚したんですけど、そしたら死んじゃいけないじゃないですか。それでなんか、余生みたいな気持ちになっちゃって。考えてなかった、生きる予定がなかったこの先の何十年かがあるかもしれない。じゃあ、何しようかって思って......そしたら、とりあえずメジャーに行く意味、というか、行った意味を考えるようになって。それでやるべきことを考えましたね。

-その結果見つかった、大森さんのやるべきことっていうのは?

自分のやりたい"本質的な表現"をするんだったら、絶対にメジャーに行かない方ができるわけじゃないですか。でもそれをメジャーでやる意味っていうのは、今だからあるというか。社会的なことと一緒だと思うんですよ。人が生きやすいようにいっぱい作ったルールが、結局、生きづらさに繋がっているっていうのが今の社会なわけじゃないですか。メジャーの事務所も、こういうものが売れやすいからこういうものを売り出そうって、いっぱいいっぱい場数を踏んできて積み上げてきたことによって、逆に根本が見えなくなっちゃってるというか、時代を読めなくなっちゃってる。そういうところを1回こじ開けないと、面白いものは続かないなっていうのがあって。で、実際にフェスに出てみたときに、歌を歌っている人が少ない気がしたんです。上手いバンドが多すぎる。それを観て、これはまずいぞって思ったんですよ。特に自分の下の世代の人たち。自分と同世代の人って少ないんですよね。

-たしかに、今は大森さんと同じ20代半ばぐらいの世代は少ないかもしれない。今のロック・シーンは20代前半のバンドがシーンの前線に立っている感じがありますね。

彼らは賢いんですよ、すごく。それが別にいいでも悪いでもないんですけど、ただ、ゆとり教育って、本質とか理由とかを説明せずに教育しちゃったんですよね。敬語とか、"なんで使わなきゃいけないのか?"っていうことを説明せずに、"敬語は使わなきゃなりません"って教えちゃうような。そうやって合理的なことばっかりを教えすぎてきたし、社会の風潮もそういうものだったから、"そんなんじゃ社会に通じないよ"っていうことを平気で言えてしまう、ある意味ではすごく正しい子たちなんですよ(笑)。でも、賢すぎるから、本質的なことは全部すっ飛ばしてるっていうか。"こういうことをすれば売れる"とか"こういうことをすれば人は盛り上げれる"とか、その本質にある"何故?"っていうことを全部すっ飛ばして結果だけをやっちゃてるから、それは結構危険だなって思ってて。